コロサイ2

コロサイ2、箴言8−9

「私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。」コロサイ2:2

奥義とはキリストのことである(参照1:26)。NIVスタディーバイブルでは、「奥義」について次のように説明されている。

〜「奥義」とは元々異教の用語であり、特別に選ばれた人々だけにしか知らされない秘密の内容を示す単語であった。しかしパウロは、ここで違う意味でこの語を使っている。というのも、「明らかにされた」「知らされた」「現された」という表現と共に用いているからである。つまり、クリスチャンにとっての「奥義」とは、限られた人への秘密の知識ではなくて、かつては隠されていたが今は明らかになった神の真理を表している。〜

奥義というのは何かよくわからないことではなく、キリストが来られて救いのみわざを成し遂げてくださったこと、信じる者に永遠のいのちが約束されたこと、聖書が全てキリストを指し示しているということである。
私も、あなたも、この「奥義」を知っている。そして、キリストと出会う人が起こされるように、その人も「奥義」を知ることができるようにと願っている。