ピリピ1

ピリピ1、詩篇140−142

「…あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。」ピリピ1:9〜11

パウロが祈ったのは、ピリピの教会の普通の人々のためにだった。意外に感じるかもしれないが、ここで、愛が豊かになるのは知識と識別力によるのだと言っている。
愛は感情に振り回されるものだけではなく、もっと冷静な要素が含まれているというのである。
そして、愛は増し加わり、成長できるものであることもわかる。

そしてゴールは私たちが義の実に満たされて、神の栄光と誉れを現す者となることである。私たち自身から出る善行や努力ではなく、キリストが与えられる義の実によるのである。

そして、目指すところはキリストの再び来られる日であり、一時的な状況で落胆しないというのがパウロの信仰である。パウロ自身も投獄されていたので、人間的には先が見えなかった。今の私たち(2021年)もコロナウイルスの流行がおさまらず、先が見えないような思いになっている。それでも、しばしの状況に落胆せず、義の実をいただき、愛が増し加わるように、成長するようにと歩み続けるのだ。私たちの究極のゴール設定がキリストの日にある。