詩篇108

詩篇106−108、詩篇146−147

「どうか敵から私たちを助けてください。
 人による救いはむなしいのです。
 神にあって私たちは力ある働きをします。
 神こそが 私たちの敵を踏みつけてくださいます。」
 詩篇108:12−13

私にとっては、焦りと無力感からの解放がテーマである。
迫害で苦しんでいる世界のクリスチャンを見ると、行って何かしなければ、といても立ってもいられないような気持ちになる。日本の被災地のニュースを聞くと、自分に何かできないかと焦りが出てくる。そして、無力な自分、ある人たちのように実効的な働きができないことに落ち込むということが今でもある。
しかし、神がそれを望んでおられるかどうかは別である。
「人による救いはむなしい」とあるように、人間的な思いや突発的な行為は長続きしないし、時には迷惑にさえなる。

実際には「神にあって力ある働き」ができるということ、
つまり、神が私に何をするように召しておられるかをキャッチすることが第一段階であるということである。
ある人にとっては即座に飛び出すことである。しかし、私にとっては熟考して戦略を練ること、書いて励ますこと、スポット的な動きよりは長期的、持続的なオプションを見出すこと、そしてレポートして協力者を発掘することであると感じる。
そうであれば、状況を集め、祈り、祈りを分かち合い、人知れず献金し、分析し、影響を与えていくというシンクタンク的な働きに神が召しておられるのである。他者と比べずに神に相談しながら進めていれば、家にいても、人に知られなくても、神が戦ってくださることを知り、同時に自分も神の戦いを体験しているのである。

主よ、人間的な比較の罠から自由であらせてください。アーメン