マタイ27

マタイ27、レビ4−5

「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。『この方は本当に神の子であった。』」マタイ27:54

「見張っていた」はNIV訳ではguard。護衛、その人の状態を守るためにも同じ言葉を使う。
3年半の間、イエス様を護衛していたはずの弟子たちは皆逃げてしまった。十字架の極限状態で護衛するように命じられたローマの兵士たちは、イエスが神の子だったことを知った。もう少し早く、この事実を知っていたら、と思った者はいたのだろうか。
さらに、墓に葬った後も「墓の番をした」guardした番兵たちがいた。もし彼らがもっと早く、イエスが生きているときに神の子だと知っていたらどうだっただろうか。

同じ護衛をする者であっても、イエスを見張る者か、擁護する者か。どちらに立っているのかと、福音書の記者は言外に問うてくれているように思う。