マルコ2

マルコ2、レビ11−12

「そして言われた。『安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です。』」マタイ2:27−28

パリサイ人は、してはならないことを非難したり、律法を守ったりすることばかりに重きを置いていた。
しかし、本来の安息日の趣旨は、神が創造のわざを7日目に休まれたこと、神が人を7日ごとに休むように、そして神を礼拝するように人を造られたからである。
信仰生活でも、日々の判断でも、神様の御心は何であろうかと考え祈ってから行動したい。そうすることで、無意味な惰性や不自由なしきたりだけ(心が伴わない)の信仰生活から脱出することができる。
レビ記11章の食物規定も、衛生のためという説もあれば、周囲の異教の国の習慣に染まらないためという説もある。しかしいずれにせよ、神が当時のイスラエルの民をきよく健全に保つためにくださった習慣であった。ただ禁止する規則だけではなく、その背後には神の愛と義があったのだった。

安息日は人のために設けられた、とイエス様は言われた。そして、人のために安息日が設けられたのであれば、もっと神の前に安息し心から喜び礼拝することを願い、大切にしていきたい。なぜなら、安息日の規定は私たちへの、神による愛と義の現れとして定められたのだから。