マタイ22

マタイ22、出27−28

「だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。」マタイ22:9

王子のための披露宴に招かれていた人たちは、「ふさわしくなかった」(8節)。公式に招待されていた人たちが相応しくなかったので、王は誰でも大通りで招きなさいと言った。
神様の招きは、公式な方法、立派な人々に対してだけなされるわけではない。超法規的な、時には型破りな方法でなされる。だから、私たちがその人の救われ方を批判したり疑ったりすることはできない。ただ、その人が確かに神と出会っているなら、そして神の前に罪人であり、十字架の救いが必要だと分かっているならば、それが証拠である。もっとも、その後の歩みはまた別のことである。
神が招いてくださった婚礼に、せっかく礼服まで用意してくださったのだから、それを着て参列しよう。

パリサイ人とカエサルの硬貨を見せての見事な論破、復活と結婚についての教えなど、イエス様は驚くような答えで対応された。型破り、常識破り、しかしそこには知恵と愛がある。
「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(37節)」、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい(39節)」と黄金律をくださったのもこの章である。