詩篇23

詩篇22~24、民数記1~3

「まことに 私のいのちの日の限り
 いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
 私はいつまでも 主の家に住まいます。」詩篇23:6


死の陰の谷を歩んでも、わざわいがあっても、敵がいても、(4〜5節)、生きている限り主の慈しみと恵みが満ちている人生だと、告白することができるだろうか。

目に見える状況が刻一刻と変わっていく中で、目に見えない次元でも神の支配が進んでいることに思いを馳せようとしているだろうか。

神様が愛ならどうしてこんなことを、と思うようなことがあるが、それでも苦難に寄り添ってくださるのが神様だ、という信頼を失わないダビデの姿にならえたらどんなに良いだろう。

民数記3:12には「レビ人は主のもの」であると書かれている。
レビ人の人生は、もはや自分自身のために生きるのではなく主のために生きるためのものである。献身した者も主のものであり、主の人生を生きる者だということの再確認をする者である。