マルコ10

マルコ10、民数記7−8

「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためにきたのです。」マルコ10:45

イエス様は、いつでも父なる神の御心を行う準備ができておられた。金持ちの青年が来たときも、丁寧に接し、「彼を見つめ、いつくしんで」教えてくださった(21節)。子どもたちにも祝福をしてくださった(16節)。バルティマイを呼んで来なさい、と言われ癒された(52節)。

民数記で祭司たちが主に仕える用意ができているように、と命じられているように(8:11他)、私もイエス様の姿に倣おうとするなら、心はいつも準備ができているよう整えられていたい。疲れた思いだけでなく、人を恐れる思い、どう思われるか、私のような者なんて、と卑下する思いからも解放されたい。