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ヨハネ7

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の059心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 」ヨハネ7:38 当時は、祭司が祭儀用の水をシロアムの池(貯水槽)から神殿に日々運んで来たと言われています。 水は神へのささげ物として、賛美とともに儀式の中で祭壇に注がれました。 続く39節には 「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである」とあります。 イエス様はご自分を信じる者には聖霊が与えられ、心の奥底から「生ける水の川」として流れ出ると言われました。 尽きることのない水源のように、信仰者に与えられた聖霊が自由に流れ続けてくださると約束されています。 季節の変わり目で夏の疲れが出る頃です。気力がわかないこともあります。 しかし自分の力ではなく、聖霊の力が働いておられる事実を認めたいと思うのです。 余計なことはせず、静まって聖霊の語りかけを待ち望みます。 祈り:神様、心も身体も疲れ気味の方々をねぎらってください。あなたの愛で励まし聖霊様で心を満たしてください。必要な休息と静まりの時間が与えられますように。アーメン

ヨハネ6

「わたしはいのちのパンです。」ヨハネ6:48 聖餐式は楽しみですか?毎月行う教会もあれば、毎週行う教会もあります。いずれにしても、キリストの教会はこの礼典を大切にしています。 イエス様はご自身を「いのちのパン」と表現されました。 信じる者は肉体は滅びても、霊的な永遠の「いのち」を持っています。 聖餐式は、十字架で裂かれた主の肉体と流された血を覚えて行います。 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。(54節)」 という意味をかみしめながら行います。ぶどう液とパンを通して、十字架の恵みを思い起こします。 月1回として、1年に12回、10年で120回。主の恵みを改めて思い起こす、貴重な機会です。体調を整えて臨む方々の中に、キリストの愛を味わい応えたいという熱い思いを感じます。 祈り:神様、主イエス・キリストの十字架の恵みと意味が、ひとり一人の心に迫りますように。からだを「いのちのパン」として差し出してくださった熱い愛を、さらに多くの方が知ることができますように。アーメン

ヨハネ5

「そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。」ヨハネ5:5 袴田さんの無罪判決が出ました。冤罪だと言われてからも長い年月がかかり、事件から60年近くを経ての判決でした。 お姉さんの笑顔が印象的でした。 ところが、ご本人は判決を聞いても自身のこととはピンとこないようでした。長年精神の極限状態を経験した人なのだと、改めて考えさせられました。 38年間ベテスダ池のそばにいた人も、自分が癒されるとは思えなくなっていました(「良くなりたいか」と聞かれた後の返答、7節)。 癒された後に尋ねられると、誰が癒してくれたのかわかりませんでした(13節)。 後になってイエス様だと知ったこの人は、その時に救い主をはっきり知ることができました。 私たちも、イエス様の救いを知りながらピンと来ていないところがあるかもしれません。長年の自己中心的な歩みのせいであったり、肉の習慣に引きずられていたり、いろんな原因があるでしょう。 救いと罪からの解放ということの大きさをじっくり思い巡らし、味わい、感謝を新たにする秋になりますように。 祈り:神様、あなたの救いがぼんやりとしているところがあるなら、その意味がよくわかるように助けてください。もうわかったつもりでも、さらにその素晴らしさと主の愛の大きさに気づかせてください。アーメン

ヨハネ4

「ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。」ヨハネ4:37 以前狭山の教会に来られていた方が、他の教会で洗礼を受けたという知らせを聞くことがあります。 逆に、よその教会のチラシを見て狭山の教会に来られる方もおられます。 どちらにしても、福音を分かち合うのは神様が私たちに託された共同作業です。 縄張りはなく、独り占めでもなく、互いに協力し福音の収穫を喜び合うのだと、教会も、そしてひとり一人も、いつも意識していたいものです。 祈り:神様、ひとりの救いには多くの人々と祈りがあることを覚えます。___さんの救い、___さんの信仰のリバイバルを祈ります。近隣の____教会、____教会のために祈ります。主にあって共に歩む信仰者の群れを祝福してください。アーメン

ヨハネ3

「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」ヨハネ3:17 夏の疲れが出てくる頃です。教会もいくつか行事が重なりました。 疲れると、些細なことが気になったり、対人関係の距離感が難しかったりします。 静まって神様の安息にひたる時間が必要な時期かもしれません。 16節の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 は、聖書の中の聖書と言われる有名な箇所です。 さらに、続く17節でも、神が御子を世に遣わされたのは、「さばくためではなく、御子によって世が救われるため」だと述べられています。 神様は良いお方です。私たちが日々生きるのも、神様の愛の上に土台を置いているから平安です。様々なことに目が向いてしまうほど疲れたら、今ひとたび自分の足はどこに土台を置いているかを確かめたいと思います。 祈り:神様、。あなたの愛に感謝します。今両手を広げ受け取ります。私の今日の歩みの足を、あなたの愛の上に置きますから導いてください。 疲れを覚えている___さん、___さんのために。 能登半島に住む人々のために、心が支えられ、実際的な助けが満たされるようお祈りします。アーメン

ヨハネ2

「それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。」ヨハネ2:22 イエス様は「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」(19節)と言われました。 それは、46年かかって建てられたエルサレム神殿の建物ではなく、イエス様ご自身のからだという神殿(21節)についてでした。 十字架にかかって「壊れた」ように思われた主のからだは、三日目によみがえりました。しかも、今も生きておられます。 「イエス・キリスト」という名前は、偉人として日本人の多くが知っています。しかし、その方が救い主であり、今日の私たちを愛して十字架にかかったことをどれだけの人が知っているでしょうか。三日目によみがえり今も生きておられる主であることを知っている人は、ごくわずかです。 先に知った私たちは、そのよい知らせを分かち合うよう召されています。 祈り:神様、復活のからだでよみがえられたイエス様が、今も生きておられ、私たちの人生と大きな関係があることに感謝します。今日職場で、学校で、近隣で、家庭で、どのように福音を分かちあえるか、そのための備えができるのか、歩みの中で教えてください。アーメン

ヨハネ1

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:14 チャリティーコンサートがありました。地震と大雨が重なった能登のためにささげられます。 ヨハネの福音書は「すべての人を照らすまことの光」であるキリストを宣言することから始まっています。 ことばであるこの方は人となり、私たちの間に住まわれ、恵みとまことに満ちておられました。 この方は「父のみもとから来られたひとり子としての栄光」を現されました。 暗いニュースが多い世の中にあっても、私たちは同じキリストの栄光を今日見出だすことができます。 祈り:神様、キリストの栄光を私たちが今日見いだすことができるよう、霊の目を開いてください。あなたの希望がこの日本に広がりますように。自分のことだけでなく、日本や世界のために祈れるよう、私の祈りを開いてください。アーメン

ルカ24

「二人は話し合った。『道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。』」ルカ24:32 「心は内で燃えていた」 とふりかえる二人の弟子でした。 彼らはそれを流してしまいませんでした。 ただちに立ち上がってエルサレムに戻り、道中のことを話しました。 エルサレムにいた十一人と仲間も、イエス様が復活されたことを話していました。 これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われました(36節)。 さらに焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がられました(42~43節)。 あかしと分かち合いが励ましだけでなく、主の臨在を共に喜ぶ時となりました。 今日も、教会ではあかしと分かち合いが行われています。そしてその中止にはイエス様がおられます。 祈り:神様、共に分かち合い祈り合える、霊の兄弟姉妹を感謝します。主のからだである教会につながる幸いを、感謝しつつ今週も歩みます。アーメン

ルカ23

「百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、『本当にこの方は正しい人であった』と言った。」ルカ23:47 聖書の中でも最も暗い章の一つです。神の子を十字架にかけて殺すという場面です。 しかし、23章の暗闇の中で、一筋の光が見えるような節があります。 イエス様の姿が信仰をもたらした人々の様子が出てくる節です。 イエス様の無実を信じ、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言われた犯罪人の一人(41~43節)。 「本当にこの方は正しい人であった」と言った百人隊長(47節)。 議員たちの計画や行動に同意せず、ピラトのところに行って、イエス様のからだの下げ渡しを願い出たアリマタヤのヨセフ(50~53節)。 絶望に思える時でさえ、神様は生きておられ、人の心に働かれます。 神にある希望はなくなることがありません。 私たちの歩みも、どんなに暗く思えても、そこに主が生きて働いておられます。 祈り:神様、私たちにはわからない状況でも、そこに働いておられることを信じてあなたに信頼します。孤立無援に思える時、主が共にいてくださることが感じられますように。難しい状況を通っている___さん、____さんに主の希望が確信と共に感じられますように。アーメン

ルカ22

「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」32節 まもなく捕えられ十字架にかけられることを、イエス様は知っておられました。ぺテロがご自身を否認することも知っておられました。 そうした極限の状況で、ぺテロのために祈り励ましてくださったのでした。 「あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。(26節)」と語られた以上のことを、イエス様は身をもって示されました。 この方が、私たちのことを愛し続けてくださらないわけがあるでしょうか。いいえ、徹底的に愛し、いのちをささげ、世の終わりまで私たちと共にいてくださいます。 この方のお名前を通して、私たちは祈ります。仲保者であり、祈りを聞き届けてくださる方であることを信じています。「イエスの御名」には力があります。 祈り:神様、キリストの愛を感謝します。この方のお名前を通して祈ることが許されていることに感謝します。この特権を受け取ります。 ____のことも、_____のことも、イエス様にますます信頼して祈ることができますように。アーメン

ルカ21

「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」ルカ21:28 私は子どもの頃、終末の話が怖くてたまりませんでした。一人置き去りにされ、見捨てられたらどうしようかと、その恐怖におびえました。幸い、今は黙示録が希望に満ちていることに気づき、その恐怖から脱出することができました。 一般に終末が恐ろしく感じられるのは、映画や小説で滅亡の場面が出てくるからでしょうか。苦難ばかりが強調されるからでしょうか。 たしかに、聖書には苦難が記されています。 しかし同時に、終末がキリストの再臨と栄光、歴史の完成である輝かしい時であることが約束されています。それは、信仰者の完全な贖いの時でもあります。 「しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」(36節) とあるように、注意深く主に聞き、信仰から離れることなく過ごしているなら大丈夫です。 信仰者にとっては、恐れる必要はありません。 むしろ、終末を待ち望み、預言の成就を期待するというのが健全な姿勢です。 祈り:神様、歪んだ恐怖でなく、キリストと共にいるなら大丈夫だという平安を私たちに与えてください。「マラナタ(主よ、来てください)」と祈った初代教会の信仰者のように、キリストの再臨の素晴らしさを期待します。信仰を強め、希望をもって祈る者にしてください。アーメン

ルカ20

「彼らは、民の前でイエスのことばじりをとらえることができず、答えに驚嘆して黙ってしまった。」ルカ20:26 政治家や実業家が、ふと漏らした一言で大変な批判を受けたり失職したりするのをニュースで見聞きします。 私自身も、発言が意図しないニュアンスで記録されたことがあります。自分の言葉足らずを反省するものです。 エルサレムでのイエス様は、十字架にかかられることを知りつつも、一つ一つに的確に対応されました。 宗教リーダーたちが何とか陥れようとしますが、ことごとく失敗します。 この態度と知恵を見るだけでも、不完全な人間には真似ができません。 イエス様が普通の人ではなく神の子、キリストであると知り得ます。 祈り:神様、イエス・キリストが神の子として地上に来てくださり、もう一度来られるといういう約束を感謝します。不完全な私たちの言葉や態度が相手を傷つけたり、傷つけられたりします。そのたびにキリストの元で悔い改め、ゆるすことができますように。兄弟姉妹が今日直面する人間関係を祝福し、そこでの問題に解決が与えられますように。アーメン

ルカ19

「それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。」ルカ19:4 小学生の頃、ザアカイの話が大好きでした。 自分と同じように小さくて、それでもイエス様をひとめ見ようと木に登ったこと。イエス様がちゃんと彼に気づいていて、声をかけてくださったこと。そして、彼が自宅に招いて、今までの悪い行いを悔い改め、償うと決心するハッピーエンドであること。 子どもの心は、ザアカイと一緒にそばのいちじく桑の木へ走り、よいしょ、よいしょと木に登り、どきどきしながら彼と一緒に木の上から道を見下ろすのでした。 今も、教会で子どもたちが目を輝かせて聖書の話を聞いています。1回1回がかけがえのない種まきの機会だと教えられます。 子どものために、また子どものような開かれた心を持った人のために、教会は祈り仕える幸いを託されています。 祈り:神様、教会に来る子どもたちに福音がまっすぐに入りますように。毎週はもちろん、キャンプやクリスマスの機会も用いさせてください。心を開いて集う大人にも、十字架の恵みと主の愛がまっすぐに届きますように。____さん、____さんを覚えてお祈りします。アーメン

ルカ18

「イエスは言われた。『人にはできないことが、神にはできるのです。』」ルカ18:27 教会にいると、このことばを実感します。 さまざまなきっかけで教会を訪れる方がいます。誘われたわけでもないのに、行ってみようと思う方もいます。 長年「信じられない」と悩んでいた人が、あるとき救いを受け入れるお祈りをされます。そして洗礼を受けます。 誰からも強制されていないのに、喜んで教会の奉仕をします。礼拝が楽しみになります。 その他にも不思議な思いや導きを、じわじわと体験します。 すべて、人のわざではありません。神がそのようにしてくださるのです。 私への聖霊の働きが、確実に日々あることに気づきます。 祈り:神様、人にはできないことがあなたにできることを信じます。私にも日々聖霊が働かれ、導いてくださることを感謝します。____さん、____さんが、あなたの導きに確信を持てますように。アーメン

ルカ17

弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言うと、イエスは彼らに言われた。「死体のあるところ、そこには禿鷹が集まります。」ルカ17:37 再臨のときまでに起こることをイエス様が説明されると、弟子たちは「主よ、それはどこで起こるのですか」と尋ねました。 イエス様の答えは「死体のあるところ、そこには禿鷹が集まります」でした。 これは、死体にはげたかが群がるように、当然の帰結、結果であるという意味です。 再臨までのプロセスが必ず起こるのだということを言われました。 もっとも、怖がる必要はありません。聖書の預言を通して神様はご計画を示し、約束を果たしてくださいます。 そして、主のご計画は希望を与えるものです。 黙示録を読むオンライングループに参加しました。聖書を少しずつ、丹念に読み、祈り、思いめぐらし、主のご計画と希望を学びたいと思っています。 祈り:神様、終わりの時までのご計画が、信じる者にとっては決して恐ろしいものではないことを感謝します。主に期待し、みことばの約束を見上げて歩めますように。私たちの生涯に、あなたのご計画がなされていきますように。アーメン