詩篇102

「私の日は 伸びていく夕影のようです。 私は 青菜のようにしおれています。」詩篇102:11

青菜を湯がくと、束だったのが一気に小さくなります。茹でなくても置きっぱなしにすると、やがてしなびてしまいます。

落ち込んだ心をそんな形容で表すこの詩は、詩篇の中で特に親近感を覚える一つです。ここ数日、小さなことで悩み、よく眠れない日々が続きました。
「苦しむ者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの」と表題にあるのは、気落ち「あるある」で、正直さに魅力を覚えます。

前後の詩篇が賛美と歓喜に満ちている中にこの詩が置かれているのは、落胆した者への慰めです。正直な弱いそのままの姿で、主の元に近づいてよいのだと励まされます。

さらに、落胆しても信仰を失わないようにという励ましを受けます。
「主は その聖なるいと高き所から見下ろし 天から地の上に目を注がれました。捕らわれ人のうめきを聞き 死に定められた者たちを解き放つために(19~20節)」。

たとえ倒れていても、主のあわれみは全地に、そして小さな者に注がれています。

祈り:神様、あなたのあわれみと愛を感謝します。しおれた青菜のような時も、涙にくれる時も、あなたは決して変わらない方です。信頼します。
今喪失の痛みの中にある___さん、___さんの信仰が支えられ、主の慰めと励ましが豊かにありますように。アーメン