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IIコリント1

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」IIコリント1: 4 この聖句は、聖書の中でも大きな力を持つものの一つだと思います。 神が、私たちのどんな苦しみの時も慰めてくださる、という希望があります。 そして、周りの人たちのことも、同情心や人間の思いだけでなく、神の慰めという大きな力によって慰めることができるというのです。 この人も、あの人も、自分自身も、慰めの必要があふれる時代です。 そして神は、その必要を全て満たすことのできるお方です。 祈り:神様、あなたが慰めをくださるという約束を感謝します。私には今、_______について慰めが必要です。また___さんには______の慰めが必要です。主が働いて、慰めの力と希望をください。アーメン

Iコリント16

「 一切のことを、愛をもって行いなさい。」Iコリント16:14 手紙の終わりに、実際的な連絡が記されています。 ・パウロがコリントに行ってから献金を集めることがないように、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい。(2節) ・パウロが現地に着いたら、コリント教会の承認を得た人たちに手紙を持たせてエルサレムに派遣し、贈り物(献金)を届けさせる。(3節) ・パウロはマケドニア経由で行く(5節) ・五旬節まではエペソに滞在する(8節) ・働き人であるテモテがコリントに行ったら、軽く扱わず、不自由なく過ごせるようにしてあげてほしい。(10~11節)・・・ それとともに、信仰に堅く立ち、一切を愛をもって行うようにと勧めます。 目に見える行動や働きの根底に、信仰と愛があるようにというのが、パウロの願いでした。 私たちも、動く前に信仰と愛がありますように。それらが原動力となりますように。 祈り:神様、コリント教会へのパウロの働きが信仰と愛に根ざしたように、私たちの今日の行動がキリストへの信仰と愛に動かされるものでありますように。衝動的な失敗から守り、祈りをもって対応できるように導いてください。アーメン

Iコリント15

「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」Iコリント15:10 パウロの激務の原動力は、神の恵みでした。 ”Pause, Recharge, Refresh" (立ち止まり、充電され、新たにされる)というデボーションの本があります。 神によって充電され、新たにされるに先だって、立ち止まることが必要です。 日々の雑事に追われて走り続けると、まるで自分で走っているかのような錯覚に陥ります。 神の恵みで走っていることを再確認する大切さを学びます。 私たちの原動力は何でしょうか。 祈り:神様、私たちの原動力があなたの恵みであるように、立ち止まり充電して頂く時を持たせてください。アーメン

Iコリント14

「神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、」Iコリント14:33 異言の用い方と解き明かしについて、秩序をもって徳を高めるようにと語られています。 さらに、教会で語ることへの秩序の勧めが続きます。 異言を配慮なく語ることと、女性のうるさいおしゃべりとが同列に置かれているのが興味深いです。 どちらも、その人や賜物を否定したのではありません。 勝手気ままではなく、秩序を守るような用い方をするようにということです。 それは、神が平和の神だからです。 自己中心ではなく、愛をもって語ることを聖書は勧めます。 祈り:神様、あなたの愛と平和を保つような言葉が出るよう、私の思いと口をお守りください。アーメン

Iコリント13

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。Iコリント13:4 読むたびに「私には無理だ」と思います。 「愛の章」とも呼ばれる13章には、愛がとても高い基準であることが端的に延べられています。 目標にはするけれど、失敗続きだと感じるかもしれません。 でも、これらの愛の基準を完全に満たしているのが主イエス・キリストです。 その愛を私たちは受けている存在であるということにも目をとめたいと思います。 祈り:神様、あなたの愛の深さ、広さ、高さに感謝します。私をこの愛で愛してくださったことを感謝します。キリストの愛を受け、流し出す者とならせてください。成長を助けてください。アーメン

Iコリント12

「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」Iコリント12:26 血液透析をされたご夫婦の本を読みました。夫である方の闘病生活と、そのために腎臓をささげた家族、再度透析生活に戻った時の心境などが綴られていました。 仕事を続けるために、早朝から透析に行き、何時間もじっと全身を横たえます。 妻である筆者も、送迎やサポートを全力で続ける様子は、「夫婦は一心同体」になるということば通りでした。 聖書は、教会がキリストのからだであり、私たちは部分であると語ります。 「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(27節)」 だから、一部分が苦しみは全体の苦しみ、一部分の喜びは全体の喜びとなります。 ただ同情や共感するだけでなく、事実そうであるということを覚えます。 今、どんな苦しみがあり、どんな喜びがあるでしょうか。 祈り:神様、教会の___さん、____さんを覚えて祈ります。日本の___にある教会と信仰者のために祈ります。世界の____に瀕している教会とクリスチャンのために祈ります。アーメン

Iコリント11

「だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」Iコリント11:28 聖さん式によく読まれる箇所です。ただ習慣としてではなく、自分自身を吟味し、主の前に悔い改めと新たな信仰の決意をもって歩み出すことを教えています。 個人のあれこれだけでなく、教会という霊の共同体の一部である自分自身です。 そうでなければ(みからだをわきまえないなら)、自分自身に対するさばきを飲み食いすることになるというのは厳粛なことです。 次回の聖さん式、あるいは愛さん会に、どのような気持ちで参加できるでしょう。 祈り:神様、私を探ってください。あなたより優先しているものや、自我が盲目にしていることがあるなら、それらを除いてください。主により近づきたいです。アーメン

Iコリント10

「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」Iコリント10:12 まさに自分自身に当てはまることばです。 自分の力で立てると思い込み、ふと足元を見たら崖っぷちのぐらぐらする岩の上だ、というイメージがあります。 何を頼みにして立っているのでしょう。社会的地位、財産、今の人間関係・・・ しかし、それらは全て一時的なものです。 なくなった時、何を頼りにしますか? そもそも、立てていたのでしょうか? 自分を支えるものが取り去られたように感じた時、喪失を感じます。 試練と言えるかもしれません。 聖書は 「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」(13節) と、変わらない神の御腕と希望を語ります。 祈り:神様、今試練や空しさの中にある人に、脱出の道と主にある希望を示してください。うつで苦しむ___さんをお守りください。自死家族を持つ方々に、キリストの十字架には深い深い慰めと自責感からの解放があることを感じられますように。アーメン

Iコリント9

「私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」Iコリント9:23 パウロの覚悟を見る思いです。 「福音のためにあらゆることをしている」と言い切る彼は、「競技場で走る人たちのように」「朽ちない冠」を得られるように走りなさい、と続けます(24、25節)。 彼がそこまで断言できる理由は、彼が福音の恵みを知っていたからでした。 このように言えるほど、福音の恵みを味わう生涯を送れたら、どんなに素晴らしいでしょう。 父なる神様が愛し、招いてくださっているという事実を受けとります。 祈り:神様、あなたの愛と恵みを受けとります。そして応答したいです。体力・気力は衰えても、内なる人は日々新たにされるようにと願います。主がそうしてくださり、最後まで朽ちない冠を目指して走ることができますように。アーメン

Iコリント8

「次に、偶像に献げた肉についてですが、『私たちはみな知識を持ってい』ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。」Iコリント8:1 「サーバント・リーダーシップ」という本を読みました。そこには、リーダーの特質が愛である(もちろん他の特質もありますが)とありました。 聖書は何千年も前から、この原則を語っています。 知識があると思っても、それはまだまだ足りないから高ぶるのは間違っていること。 愛によって人は育っていくこと。 私たちがゆだねられている人たちーーー子ども、近所の人たち、後輩、部下、教会に新しく来た人ーーーは、愛によって育っていきます。 祈り:神様、私に愛と謙遜を与えてください。主の愛の姿勢にならうリーダーとなれますように。アーメン

Iコリント7

「私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。」Iコリント7:35 以前、「女性の品格」という本が話題になりました。 「品格」という語に、上品な人格的なものを感じる人も多いと思います。 クリスチャンは、イエス・キリストという最高の品格、品位を持った方を手本にすることができます。 今日はパウロの牧会指導とも言える内容です。 特に、結婚や男女関係のあり方について、主キリストの望まれることはなにかを論じています。 そして、それは「束縛」ではなく「品位ある生活」のためです。 聖書を読むのは、イエス・キリストをより深く知るためです。 その方を知るにつれ、品位、品格が備わってくるのだと思います。 祈り:神様、主キリストのご人格にならう者とさせてください。日々キリストを知り、近づき、その方の謙遜と忍耐に学ぶ者となれますように。アーメン

Iコリント6

「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」Iコリント6:19 性的に乱れていたコリントの町の風習が、教会にも暗い影を落としていたようです。 パウロは浮気や結婚外の関係を戒めています。 「あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。それなのに、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするのですか。そんなことがあってはなりません。(15節)」 そして、からだが「あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮」であること、「もはや自分自身のものではありません」と、身勝手なふるまいを慎むべきと教えます。 私たちのからだが聖霊の宮なら、性的なことだけでなく生活習慣全般を健康に保つことがみこころだとわかります。 私たちの仕事と休息のバランス、食事や睡眠などにも主が関心を持っておられる恵みを覚えます。 祈り:神様、あなたが私を造り、私の人生と日々の生活スタイルにも目を注いでくださり感謝します。主の喜ばれる生活習慣に導いてください。過度なストレスから解放してください。アーメン

Iコリント5

「新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。」Iコリント5:7 過越の祭りの時には、種無しパンを食べました。 それと同じように、パン種(イースト)を取り除いた状態でいるよう勧めています。 この文脈でのパン種は、悪い影響を及ぼすもの、罪深い習慣を指しています。 別の文脈では、パン種がふくらませるもののたとえで用いられています。 それぞれの文脈で理解しないと、逆の意味で受けとり混乱するかもしれませんね。 キリストが十字架にかかり、恵みのわざを行ってくださったのですから、 悪い混ぜ物がないよう、教会も、自分の心も見張り、気づいたらすぐ悔い改める者となれますように。 祈り:神様、十字架の恵みを感謝します。きよい者とされましたから、罪深い習慣を繰り返すことがないよう、聖霊様どうぞ助けてください。互いに戒め、互いに建て上げ、キリストの身体として教会に集います。アーメン

Iコリント4

「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。」Iコリント4:1~2 「キリストのしもべ」というのは「召し使い、家来」のイメージが浮かびます。 しかし「神の奥義の管理者」というのは、イメージしにくいかもしれません。 そんなに大切なものの管理を任されるなんて、と。 しかし、実際はそうなのです。 神様から福音を分かち合うことを委ねられているという特権を、どれほど味わっているでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に管理者として福音をゆだねてくださったことを受けとります。その宝物を忠実に管理し、分かち合うことができるよう、管理者の資質を訓練してください。今週も導いてください。アーメン

Iコリント3

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」Iコリント3:16 神の同労者として、私たちは神に召されています。 そして土台はイエス・キリストです。 私たちは土台の上にたてられた神の宮(建物)だと聖書は述べます。本当に、聖霊が住んでくださる宮なのです。 その宮をどんな素材で建てるか、どうメンテナンスするかが、私たちにゆだねられています。 祈り:神様、あなたの宮を建てる者として、心を整えてください。主の御霊をないがしろにすることがありませんように。与えられた特権、神の子としての身分に感謝します。アーメン