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マタイ26

「まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」」マタイ26:13 わずか数時間のうちに、状況が大きく動きます。食事のあと祈りに行き、逮捕、裁判とあっという間のことです。 イエス様はすべてご存知でした。それでも、最後まで冷静に父のみこころに従われました。 緊急の時なのに、油を塗った女性の行為も喜んでくださいました。2千年たっても覚えられているとは、本人も思わなかったでしょう。しかし、霊的には大きなことでした。 私たちにとっても、イエス様への姿勢、ささげ方、愛の表し方として見本を示してくれているようです。 神様に祈り、促されることがあるなら、純粋に幼子のように従うというチャレンジを与えてくれます。 祈り:神様、あなたに喜ばれる歩みに導いてください。今祈り心で静まります。 _____のこと、______のことが心に浮かびます。 今日私にあなたが望まれることは何でしょうか。みこころを教えてください。従う心を与えてください。アーメン

マタイ25

「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」マタイ25:13 地震の注意報を受けて、水が売り切れだそうです。 なぜ、あわてて買いに走らないといけないのでしょう。あらかじめ備えていなかったからでしょうか。あるいは、不安からもっと用意しなければという気持ちになるのでしょうか。 まだ断水していないのだから、朝ごとに水道の水をくみおいて日々使うこともできますね。 必要な人の手に行き渡るよう、パニックを防ぐ行動を心がけたいと自戒しています。 ともしびの油の話も、いつかわからなくても、普段から心を整え備えるという点で少し似ています。 油の用意ができていた娘たちはあわてませんでした。 しかし油を持って来なかった娘たちは、油を買いに行きました。ところがその間に花婿が来てしまいます。 「目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」と教えられています。 これはイエス・キリストの再臨のたとえです。 地震に備えることは大切です。 そして、イエス様の再臨に心を備えることも、永遠にかかわるだけにもっと大切です。 祈り:神様、いつ来るかわからない地震に備える人たちに、必要なものが行き届きますように。そして、イエス様がいつ来られてもよいように、私たちの霊と心を整え、備えさせてください。愛する人たちにも永遠のいのちの福音を、自然な形でシェアできますように。アーメン

マタイ24

「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」マタイ24:14 世の終わりのしるしについて、イエス様が語られます。 恐ろしく思える描写があり(二人のうち一人が残される、とか)、幼い頃には文字通り2分の1の確率かと思い震え上がりました。 でも心配はいりません。 聖書の別の箇所に繰り返し書かれているように、イエス様を信じる人は必ず救われます。 そして、全世界のすべての民族に福音が伝えられてから終わりが来る、という約束が示されています。不公平はないし、知らなかったという言い訳もできないということです。 南海トラフ地震の注意喚起情報が出され、何となく落ち着かない日々です。 何があっても、キリストは変わらず、揺るがない土台だということを改めて思いめぐらす機会だと言えます。 祈り:神様、あなたには不公平がなく、世の終わりがいつかも最善の時を定めておられることを信じます。先日の地震で被害を受けた方々、警戒体制で備えている役所や消防、警察の人たち、互いに声をかけあう人たちを励ましてください。 情報弱者とよばれる外国人、病気や障がいのある人をお守りください。 私自身も、心が平安で過ごせますように。アーメン

マタイ23

「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」マタイ23:23 律法学者やパリサイ人に対して、イエス様の厳しい叱責が続きます。 律法を形ばかり守るのではなく、その中身が大切だと言われます。 パリサイ人たちだけではありません。 私自身も、自分を省みると、心が正義、あわれみ、誠実からほど遠いことに気づきます。守ろうと思っても、弱さや至らなさが出てしまいます。 パウロが「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか(ローマ7:24)」と言ったとおりです。 キリストがいなければみじめなままだったことを思う時、そのあわれみに心から感謝します。 祈り: 「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私 は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。 こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ7:25~8:1)」 イエス様、私も律法学者やパリサイ人と同じ性質の者です。あなたのあわれみにすがり救われました。いつもこの原点に戻り、感謝とへりくだりを持つことができますように。あなたが血の代価を払ってくださったことに感謝します。アーメン

マタイ22

イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが、重要な第一の戒めです。」マタイ22:37~38 イエス様が学者たちを驚嘆させる、そんなお答えが続きます。 その中で、旧約聖書のすべてを凝縮した戒めを二つ教えてくださいました。 その一つ目が「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」です。 私たちの精一杯、ベストを尽くして主を愛することを、主は喜んでくださいます。 「私は感情的で」「私は頭でっかちで」と福音理解の不十分さを嘆いてくよくよするよりは、豊かな感情や知性が与えられていることを感謝しましょう! それを主を愛するために、今日も用いていきましょう。 祈り:神様、私に与えられたものをもってあなたを愛します。自分と違う持ち味の人を批判せず、比較せず、互いに喜べるよう助けてください。 それぞれに与えられた賜物を、主のために用いさせてください。アーメン

マタイ21

「群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。『ホサナ、ダビデの子に。 祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 ホサナ、いと高き所に。』」マタイ21:9 イエス様を歓迎した群衆たち。この後1週間もたたないうちに、「十字架につけろ」との扇動に迎合してしまいます。 「何と愚かな心変わりを」と思います。 しかし、私たちの心も同じようにふわふわと定まらず、周りのうわさや批判に流されがちだと気づきます。 若い年代では、ピア・プレッシャー(友人関係を壊したくないという思い)がより強いです。彼らの信仰が守られ、イエス・キリストを信じることは「かっこいい!」という確信が与えられますように。 祈り:神様、教会に今来ているユース、以前来ていたユースの____さん、____さんたちを励ましてください。 また、どの年代であっても信仰が守られますように。揺るぎそうになってもイエス様を否むことがないように、教会や兄弟姉妹を汚すことがないように、心を守ってください。アーメン

マタイ20

「あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」マタイ20:27 聖書には「!?」と思うような逆転の発想、逆説的な教えがあります。 この章だけでも 「後の者が先になり、先の者が後になる(16節)」 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい(27節)」 「あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい(28節)」 とイエス様はおっしゃいました。 しかし、この考え方が「!?」ではないと最近わかってきました。 リーダーがチームの後ろから仕える「サーバント・リーダーシップ」が言われるようになりました。聖書の教えの有益さが証明された形です。 イエス様自身が仕える者の姿をとって見本を見せてくださいました。 私たちは、今日誰に、どのような仕え方をすることができるでしょうか。 祈り:神様、聖書を与えてくださり感謝します。イエス様のへりくだった姿にならうことができますように。家族の中、教会の中で、比較ではなく互いに仕え合い、互いを喜ぶことができるよう導いてください。アーメン

マタイ19

「イエスは彼らをじっと見つめて言われた。『それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。』」マタイ19:26 ご両親の財産を管理することになった方が、その大変さを話してくださいました。 不動産や株など多くのものがあると、管理にかかる手間と時間が多く、片手間にはできない。 管理そのものが一つの仕事になる、ということでした。 多くの財産があることは少しうらやましい感じもしますが、だまされたり取引に失敗したりする危険も伴い、神経を使うようです。 その方は、税務署とのやり取りも大変なので、専門家に託しました、とおっしゃっていました。 自分はもっと大切なこと、信仰の歩みと聖書の学びに時間を使いたいということでした。 今日の文脈は、金持ちが救われることの難しさを語ります。 もっとも、金持ちに限らずどんな人も、心に神以上の大事なものがあるなら、救われることは難しいです。 しかし、人にはできないことが神にはできます。聖霊が働く時、人の思いを越えた神のわざが行われます。 祈り:神様、私の力ではできない____さんや____さんの心を開き、イエス様を救い主として受け入れることができますように。聖霊の働かれる時に人が変えられることを感謝します。祈り続ける信仰を与えてください。「人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます」ということばを信じます。アーメン

マタイ18

「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。」 マタイ18:3~4 子どもキャンプの恵みを、重ねて思い返しています。 子どもの心は柔軟です。興味を持ち受け入れることがたやすいので、新しい学びや技術を大人に比べて容易に身につけることができます。 福音も同じです。これまでの歩みや思い込みから「向きを変える」ことがたやすいので、子どものような心の人が天の御国に入ると言われています。 たった1度のキャンプ参加でも、教会に行って福音を聞いたことがあるという経験は、その後の人生にはかりしれない影響を及ぼします。 私たちがまだ知ることのない、神様のご計画に期待します。 同時に、背後の祈りと働きを主はとても喜んでおられます。 「また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです(5節)」 と、御国での確証と幸いが書かれています。 祈り:神様、主を愛し子どもたちを愛する一人ひとりを祝福してください。私たちがまだ知らない、主の幸いなご計画が進んでいることを期待し受け取ります。礼拝や洗礼の恵みが、熱波以上に今週も流れあふれますように。アーメン

マタイ17

「イエスは言われた。『あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に「ここからあそこに移れ」と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。』」マタイ17:20 何をもって聖書の「信仰」と言うのだろうか、と考えたことがあります。 自分の思い通りに物事が運ぶことでしょうか?それは希望的観測とか、独りよがりの予想にすぎません。 「信仰」とは、みこころが行われることと、神のご人格そのものへの信頼感と言えると思います。 山に「移れ」と言えば移るとあります。 その山は、自分にとっての邪魔物でしょうか。そういう時もありますが、そうでない時もあります。 むしろ、自分自身の心の中にある障壁を「山」というのかもしれない、と考えさせられます。 祈り:神様、暑い夏で身体も心も弱りがちです。その中で、信仰まで弱ることがないように助けてください。主がよい方であると信頼する心を今日も与えてください。アーメン

マタイ16

「すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。」マタイ16:17 16章の主題をひとことで表せば、「聖霊による悟り」だと言えます。 イエス様が霊的な必要すべてを与える方であること、救い主キリストであること、救いのために苦難にあうこと、やがて主の教会が生まれることなど、途方もなく思える事柄を理解するには、聖霊の助けが必要でした。 私たちも、あのこと、このことを自分の常識で判断するのは簡単です。しかし、神様が私たちの理解を越えたご計画を持ち、働かれる方だと悟るには、信仰と聖霊の働きが必要です。 子どもたちに蒔かれた福音の種がどのように芽を出すかも、私たちの想像を越えています。期待し祈りつつ、聖霊に任せることができますように。 祈り:神様、あなたのみわざに期待する信仰を与えてください。キャンプの守りと祝福に感謝します。子どもひとりひとりを祝福し、主ご自身がとらえてください。私の_____のことについても、たゆまずあきらめず、祈り続けることができますように。アーメン

マタイ15

「しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。」マタイ15:18~19 どきっとするようなイエス様のおことばです。 口で言ったことは、実は心から出て来るのだ、と。 失言とか、口がすべってとかではなく、心が(意識していなくても)話します。 だから、謝る時には言葉じりの問題でなく、その心を謝罪するというのが必要なのだと学びます。 そして、その謝罪を受け入れ、赦しあうのが信仰者の人間関係です。 祈り:神様、私が口から出した言葉、人を傷つけた言葉を悔い改めます。そのときの疲れた心、怒りや腹立ちの心を悔い改めます。相手を癒してください。アーメン

マタイ14

「それを聞くと、イエスは舟でそこを去り、自分だけで寂しいところに行かれた。」「群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。」マタイ14:13, 23 バプテスマのヨハネが殺されたことを知ったイエス様は、ひとりの時間を持とうとされました。父の神の前に祈り思いを注ぎ出すと共に、悲しむ時が必要だと思われたのかもしれません。 しかし、群衆は追ってきました。イエス様は邪魔だと追い払うどころか、「彼らを深くあわれんで(14節)」、癒しや五千人に食物を与える奇跡をなさいました。 その後、再び一人になる時間を持たれたのでした。 疲れた時に限って、大切な相談や用事が入る経験はありませんか。 私たちの肉体は有限です。不必要なことにはノーということが大切です。 しかし、神様の促しを感じるなら、それに従うことも時に必要です。みこころなら、神様は力を与えてくださいます。 それらを見分ける霊的な洞察力が、特に暑いこの夏、日々神様から与えられますように。 祈り:神様、あなたの深いあわれみと知恵に感謝します。今日、私が何を選びとることがあなたの御思いでしょうか。教えてください。祈りによって必要なことに焦点を定め、他の人っがもっと上手にできることにはノーと言うことができますよう、導いてください。アーメン

マタイ13

「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。」マタイ13:44 デイキャンプが明後日になりました。ある方が、「子どもたちのために、ここまで多くの方が祈り関わっておられるのですね」と言ってくださいました。 当日の実働はさておき、多くの方が子どもたちを祈りに覚えているということが、キャンプの醍醐味だと思います。 それは、子どもたちに天の御国を伝えたいからです。 「畑に隠された宝」のように、天の御国はすぐそこにあるのに置き去りです。 「ここだよ」と紹介してくれる人がなかなかいないからです。 一度紹介されれば、それを掘り出すか放置するかは紹介された側の責任です。 子どもたちに紹介する機会を持てるのは大きな喜びです。 もちろん、教会での楽しい思い出は心に一生残ります。今すぐでなくても、必ず芽を出すと信じます。 ぜひ続けてお祈りください。 祈り:神様、天の御国の価値が私たち自身にももっとわかるようにしてください。デイキャンプや、各教会、団体で行われる夏のイベントに聖霊の働きがあり、祝福がありますように。子どもたちにケガなく、楽しく、キリストの臨在が感じられる一日となりますように。アーメン

マタイ12

「人間は羊よりはるかに価値があります。それなら、安息日に良いことをするのは律法にかなっています。」マタイ12:12 パリサイ人たちは、聖書以外にもたくさんの律法を定め、「あれはだめ、これはだめ」と教えていました。 安息日には労働をしてはならないという教えは、今日でもユダヤ教徒が守っています(エレベーターのボタンを押すのも「労働」なので、安息日には各階停止の自動運転になります)。 空腹を満たすために穂を摘むのもだめ、病をいやすのもだめだというのはおかしい、とイエス様はおっしゃいました。 なぜなら、イエスが神ご自身であるのに、彼らが神を礼拝する目的と手段を取り違え、逆にしていたからです。 笑い話のようですが、自分自身や教会の中にも同じことがないか、考えさせられます。 自分の好みやこだわりが律法になっていないか、自問すると思い当たります。 神があがめられ、神を喜べるなら、ほとんどのことは二の次、三の次だと自分の心に言い聞かせています。 祈り:神様、私たちの無用なこだわりを許してください。肉から出てくる_____の思いを認めます。それらが聖書の原則に優先することがないよう、助けてください。家庭でも教会でも、こだわりより主の愛を選びとれますように。アーメン