マタイ17

「イエスは言われた。『あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に「ここからあそこに移れ」と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。』」マタイ17:20

何をもって聖書の「信仰」と言うのだろうか、と考えたことがあります。
自分の思い通りに物事が運ぶことでしょうか?それは希望的観測とか、独りよがりの予想にすぎません。
「信仰」とは、みこころが行われることと、神のご人格そのものへの信頼感と言えると思います。

山に「移れ」と言えば移るとあります。
その山は、自分にとっての邪魔物でしょうか。そういう時もありますが、そうでない時もあります。
むしろ、自分自身の心の中にある障壁を「山」というのかもしれない、と考えさせられます。

祈り:神様、暑い夏で身体も心も弱りがちです。その中で、信仰まで弱ることがないように助けてください。主がよい方であると信頼する心を今日も与えてください。アーメン