マタイ23

「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」マタイ23:23

律法学者やパリサイ人に対して、イエス様の厳しい叱責が続きます。
律法を形ばかり守るのではなく、その中身が大切だと言われます。

パリサイ人たちだけではありません。
私自身も、自分を省みると、心が正義、あわれみ、誠実からほど遠いことに気づきます。守ろうと思っても、弱さや至らなさが出てしまいます。
パウロが「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか(ローマ7:24)」と言ったとおりです。
キリストがいなければみじめなままだったことを思う時、そのあわれみに心から感謝します。


祈り:
「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私 は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ7:25~8:1)」

イエス様、私も律法学者やパリサイ人と同じ性質の者です。あなたのあわれみにすがり救われました。いつもこの原点に戻り、感謝とへりくだりを持つことができますように。あなたが血の代価を払ってくださったことに感謝します。アーメン