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使徒17

「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。」使徒17:26~27 テサロニケで難にあい、ベレアではテサロニケからの追っ手が群衆を扇動して迫害しました。 さらにアテネに移動したパウロでしたが、そこでも彼は福音を語り続けました。 彼のメッセージの中には、生かされている場所と時代が決まっているのは、神を求めるためであるということが語られています。そして、神は私たちの近くにおられることも話されています。 私たちが今日、日本に生かされているのもまた、神を求めるようになるためです。 「なぜここにいるのか」という存在の問いへの答えがあります。 祈り:神様、生きている意味を問うとき、それはあなたが意図をもってこの時代、この場所に置かれたからである、と答えられることを感謝します。 生き甲斐を失っている人が、キリストに出会い、生きる意味を見いだすことができますように。___さん、___さんを覚えてお祈りします。アーメン

使徒16

「二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』」使徒16:31 木曜集会で、テサロニケ人への手紙第一を読んでいます。 テサロニケに行く前、パウロとシラスはティアティラで投獄されていました。 しかし、その投獄を通して他の囚人や看守の家族に福音が届きました。 むち打ちと獄中での暮らしは身体的には過酷でしたが、それさえも益に変えられました。 どこかに不調を感じているでしょうか。たゆまずあきらめず、主に期待しましょう。何よりも、この福音には永遠のいのちが明確に示されています。 人が本当に必要なものが提示されているのです。 祈り:神様、あなたのあわれみと、困難を益に変えてくださる恵みの大きさに感謝します。いやな思いをした時も、落ち込まずあきらめず、主を見上げ続けます。___さん、___さんを励ましてください。アーメン

使徒15

「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」使徒15:11 今日、教会には様々な人が集っています。生まれも育ちも、現在の環境もさまざまです。 初代教会も同じでした。 教会の中に多様性があるのは良いことです。教会の幅が広げられ、多くの人に福音を届けることができるからです。 ところが、元パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った(5節)のでした。 経験や過去の常識に固執し押し付けようとする時に、教会にひずみが生じます。 エルサレム教会で起こった問題は、律法はキリストが成就されたことと、福音が異邦人にも無条件の恵みとして与えられることを軽んじていました。 救われる前の宗教、前に集っていた教会、家庭でしつけられたこと、職場の常識... それを今の教会に当てはめること、比較することはひずみを生みかねません。 エルサレム教会は、最低限の共通認識で一致しました(19節~)。 立ち返るところは、昔も今も 「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです」ということです。 祈り:神様、私の偏狭な常識や思い込みをゆるしてください。あなたが愛され、恵みを注いで救われた教会の人たちを愛することができますように。サタンの惑わしや混乱させようとする霊から、教会をお守りください。アーメン

使徒14

「彼はパウロいの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼をじっと見つめ、癒やされるにふさわしい信仰があるのを見て、」使徒14:9 日曜日の礼拝メッセージでは、この後の部分、パウロたちが神だと誤解された箇所以降が語られました。 もちろん、彼らは神ではありませんでした。 ただ、彼を「じっと見つめ、癒やされるにふさわしい信仰がある」かを見ました。 そして、その信仰があることを確信できたので、主の癒やしを宣言しました。 癒されたのは神です。 私たちも、人を見てではなく神を見て歩むことが大切です。人を見ると落胆します。主を見上げる時に、主が変わらないお方であることに安心し、平安をいただきます。 祈り:神様、人の言葉や態度に左右されがちな私を助けてください。あなたを見上げ、あなただけに信頼することができますように。今週の歩みも導いてください。アーメン

使徒13

「総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。」使徒13:12 魔術師エリマは総督を信仰から遠ざけようとしました(8節)。 ところがパウロは聖霊に満たされたパウロによって罪を指摘されました。 それには力とわざが伴いました。 結果として総督は主の教えに驚嘆し、信仰に入った(12節)というのです。 信仰が試されていますか。伝道してもうまくいかないと思うことがありますか。 挫折や失敗でさえも、神様は用いることができるお方です。 逆転の結果、逆転の人生を備えてくださいます。 新しい週も、この主に期待しましょう。 祈り:神様、伝道や信仰生活がうまくいかないと思うときにも、すべてを益としてくださるあなたに信頼します。破産や失業、不合格や引きこもりなど、行き詰まりを通った人生がキリストにあって用いられ、主の栄光と希望が輝く人生となりますように。渦中にある人たちにキリストの励ましがありますように。 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」アーメン

使徒12

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」使徒12:5 投獄され、解放は困難だと思われるぺテロのために、教会はあきらめませんでした。 「教会があきらめない」というのは、「教会に集う一人一人があきらめない」ということでした。 ぺテロのために「熱心な祈りを神にささげていた」とあります。 あきらめず集って、祈り会を持っていたのでした。 今の教会も、大きな問題が来たときに「あきらめない」教会となれます。 弱い者の集まりでも、互いに支えあい、共に主を見上げる集まりです。 生まれたての初代教会がこのように祈れたのは、聖霊の助けがあるからでした。 同じ聖霊が、私たちの教会にも注がれています。 祈り:神様、初代教会と同じように、熱心に祈ることを私たちに教えてください。聖霊の助けを頂いて共に立ち上がり祈ることができますように。アーメン

使徒11

「...弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」使徒11:26 「キリスト者(クリスチャン)」の名前の由来です。キリストに似た者、キリスト派と呼ばれるようになりました。 「推し活」でアーティストを推す人たちは、グッズをそろえ、サイトをチェックし、ライブに参加し、一体感を楽しみます。時間や労力を惜しみません。 一般のアーティストに対してでさえそうなら、イエス・キリストに対してはもっと「推す」ことができます。 なぜなら、キリストは私たちを命がけで愛し、永遠のいのちを与えてくださった素晴らしい方だからです。 祈り:神様、あなたの愛に感謝します。「キリスト者」と呼ばれて幸いです。さらにキリスト者としてキリストを推薦し、歩み続けることができますように。アーメン

使徒10

「そこで、ペテロは口を開いてこう言った。『これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。』」使徒10:34~35 えこひいき...子ども心に、学校で、ひいきされている(ように思える)友達と自分との扱いの差に敏感でした。 家庭の状況や地縁、血縁は、自分の努力ではどうしようもありませんでした。 そして、聖書の当時はユダヤ人だけが選ばれた民族だ、というのが常識でした。 ところが、ぺテロとコルネリウスに聖霊が働かれ、ぺテロは神が全世界のどの民族も同じように愛しておられることを確信しました。 今でも「神はえこひいきをする方ではなく」という表現を読むたび、子ども心の不安が癒される思いを経験します。 祈り:神様、あなたがえこひいきをする方ではないことを感謝し賛美します。あなたの愛が全世界のどんな人にも等しく注がれていることを、多くの方が知ることができますように。___さん、___さんが体験できますように。アーメン

使徒9

「そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。」使徒9:39 サウロ(パウロ)の回心、アナニアの勇気、ダマスコからの決死の脱出、アイネアの癒しと、劇的な出来事が続きます。 しかし、それと同じくらい輝いているのは、あのサウロを引き受けたバルナバのあわれみです。 そして、表舞台には出ず、しかし心をこめてやもめのために衣類を作っていたドルカス(タビタ)の心です。 目立つ働きをする人に劣らず、キリストの性質を生きざまで表した人たちでした。 そして、周囲の人にキリストの愛と大きなインパクトを与えたのでした。 祈り:神様、教会や社会で、キリスト者として人知れず奉仕をしている人たちを覚えます。___さん、____さんに、主の祝福とねぎらいがありますよう祈ります。アーメン

使徒8

「ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」使徒8:5 使徒の働きの筆者ルカは、ピリポについて淡々と記しています。 葛藤はあったかもしれませんが、それほど肩に力が入っていた印象も受けません。 確かなことは、彼が聖霊の働きに素直に従って行動した人物であったということです。 聖霊の導きに従ってサマリアで伝道すると、 ・群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。(6節) ・ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。(12節) その後、 ・主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。そこで、ピリポは立って出かけた。(26~27節) 荒れた場所だとわかりつつ出かけて行くと、福音が必要な人に出会いました。 ・御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。 そこでピリポが走って行くと、(29~30節) ・ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。(35節) 再び別の場所へ移動します。 ・それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。(40節) 私たちはピリポほどあちこちへ移動するよう召されてはいないかもしれません。しかし、彼と同じように聖霊の語りかけを聞く者となりましょう。 祈り:神様、私の歩みが聖霊に導かれた日々とならせてください。行くところ、思いがけず出会う人、導かれている行動について、霊的に敏感であれますように。アーメン 祈り:

使徒7

「 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』と言った。」使徒7:55~56 ステパノの殉教です。石打ちになる直前に、このように勇敢に語れるでしょうか。人の力ではなく神の力、聖霊の力であることを感じます。 青年だったサウロもその現場におり、証人たちの上着が置かれるのを間近にしていました(58節)。 そのサウロが後の大使徒パウロであるとは、周りの人も本人も思いもよらなかったでしょう。 しかしその時、聖霊は確かに働き、神のご計画が動きはじめていたのでした。 祈り:神様、あなたの霊の働きは、人間の知恵や力の到底及ばないものです。信じられないほどの神のご計画がなされていくことを、期待し祈る信仰を与えてください。アーメン

使徒6

「この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、」使徒6:5 初代教会の働きは使徒たちだけでなく、信仰と聖霊に満ちた人たちが実際面のリーダーとして仕えました。 一同はみな喜んでこのことを受け入れました。 その結果、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えました。それだけでなく、あの祭司たちが大勢、次々と信仰に入りました(7節)。 一大リバイバルが起こりました。 今の教会も、牧師や働き人だけでなく、リーダー、メンバー一人一人の祈りと愛の奉仕(もちろん祈りの奉仕も!)で歩んでいきます。 祈り:神様、教会の一人一人がかけがえのない存在であり、キリストが召してくださったことを感謝します。私たちを神と教会に仕える者として信仰と聖霊で満たしてください。アーメン

使徒5

「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた。」使徒5:11 アナニヤとサッピラの事件は、いつ読んでも心が痛みます。 ささげるというのは良いことのはずなのに、そこに偽りを言うという混ぜ物が入ったゆえに滅びてしまいます。 この夫婦の一連の出来事に、教会全体と聞いた人々には大きな恐れが生じました。 死そのものだけでなく、神の前と教会に誠実であること、自分を過大に装うプライドの罪深さなど、厳粛な思いになったことでしょう。 さらに、罪の結果死んだことにこれほど驚き恐れるなら、 罪がないのに死んでくださったイエス・キリストの愛には、その何倍も驚きあがめます。 教会は、キリストが死をもって買い取ってくださった者の集まりです。 祈り:神様、私の罪を背負い死んでくださったキリストの愛に感謝します。私の歩みが誠実であるように、自分を大きく見せようとか自分に栄光を帰そうとかいう誘惑からお守りください。アーメン

使徒4

「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」使徒4:31 初代教会の純粋な信仰と勇気ある証しの記録です。 キリストの復活を大胆に述べたぺテロとヨハネについて、 「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。(13~14節)」 と書かれています。 高学歴でなくても、普通の人でも、神様は証し人として用いてくださいます。 そして、神様が何をしてくださったかをそのまま分かち合う時、それは真実な証言になります。 どのようにキリストと出会ったか、信じるようになったか、そしてその後の歩みでどのように神がよくしてくださったか。 機会が与えられたら、気負わず、黙さず、そのままを分かち合えますように。 祈り:神様、普通の人をあなたが愛し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。日々恵みを受けていることを覚えます。主の良くしてくださったことを分かち合う時、言葉を与えてください。証し人としてキリストに栄光をお返しできますように。アーメン

使徒3

「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」使徒3:16 美しの門にいた足の不自由な人は、ぺテロの 「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)という言葉の後、歩けるようになりました。 しかしぺテロは、自分の力や敬虔さではなく、「イエスの名」に力があり、その名を信じる信仰のゆえに癒しが起こったのだ、と明言しました。 どんなに有名な伝道者も、賜物豊かで用いられている人でも、その人に力があるのではありません。イエスの御名に力があり、その名を信じる信仰によって癒しや奇跡が起こるのです。 イエス様こそが唯一の癒し主、救い主です。この方は「悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。」(19節)とある通り、罪をゆるす力があります。 祈り:神様、私たちにイエス・キリストに従う信仰を与えてくださり感謝します。この名に力があり、私たち信じる者に働いてくださることを信じます。様々な悪の力や惑わしから、今日もお守りください。見分ける力、見抜く力を聖霊によって与えてください。アーメン