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出 エジプト記25-26

通読:  出 エジプト記 25-26 、マタイ 20 : 17-34   「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」 出エジプト記 25:8」 主がおられる場所を作るのは、私たち人間のためでした。 旧約時代の幕屋も、神殿も、神が共に住まわれることを教えるためでした。 やがて、イエス・キリストを信じる人のうちに、また教会に主が住まわれることの実物教材でした。 幕屋のディテールまで詳細に示された神は、私たちのことを隅々まで理解してくださる方です。 祈り:神様、あなたが共にいて、私のうちに住まわれることに感謝します。主の宮である教会を感謝します。寒さの中、ひとりひとりをお守りください。明日も共に礼拝できますように。アーメン

出エジプト記 23-24  

通読:  出エジプト記 23-24 、マタイ 20:1-16         「しかし、七年目には、その土地をそのまま休ませておかなければならない。民の貧しい人々が食べ、その残りを野の生き物が食べるようにしなければならない。ぶどう畑、オリーブ畑も同様にしなければならない。 六日間は自分の仕事をし、七日目には、それをやめなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や寄留者が息をつくためである。」 出エジプト記 23:11-12 法律や保険の約款は難しそうだし、小さな字が並んでいるので読み飛ばすことが多いです。 しかし、それらが私たちを保護し、損害から守ることもあります。 神の与えた戒めは、私たちが幸せになるための神の愛に満ちています。 研究機関や会社の中には、何年かごとにリフレッシュ休暇があると聞きます。 身近には、七日ごとの安息日を持つことが、神の造った人のリズムにかなっています。 休むことの大切さを、聖書の知恵から考えてみましょう。 祈り:神様、あなたは私を造られ、最善のリズムを知っておられます。 あなたが望まれる以上にやり過ぎないよう、聖霊の声を聴きたいです。霊の耳を開いてください。アーメン

出 エジプト記21-22

通読:  出 エジプト記 21-22 、マタイ 19 「寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。 やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。 もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。」出エジプト記 22:21-23 各国が寒波の中です。アメリカでは、ホームレスの人のためにバスの中で暖を提供する活動があるということです。 ニュースでは、暖房のきいたバスへと寄り添うボランティアの姿を見ました。 社会的弱者に対して、聖書のまなざしはやさしいものです。 その人たちが神に呼び求めるなら、神は叫びをきかれます。 主は「わたしは情け深いからである( 22:27)」と言われます。 祈り:神様、弱い者に目を注いでくださることに感謝します。私が弱った時も助けられると信じます。私自身も他者に、手を差し伸べる(押し付けでなく、あなたの愛にかなって)ことができるよう導いてください。アーメン

出 エジプト記19-20

通読:  出 エジプト記 19-20 、マタイ 18 : 21-35 「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」出エジプト記 19:5 「十戒」を与える前に、神の恵みの約束が繰り返されます。アブラハムとの契約から変わらない、祝福の契約です。 すなわち、続く十戒は単なる禁止令ではなく、私たちが神の祝福を受けるための原則だということがわかります。 「全世界はわたしのものである」と神は言われました。 この神の祝福は、新約時代の信仰者にも向けられています。 招きを感謝して受け取り、主の恵みの約束を実践できるよう祈りましょう。 祈り:神様、あなたが愛と恵みに満ちておられる方であることを感謝します。私の生き方を導き、折々に修正してください。今日もあなたの祝福を受ける者として成長させてください。アーメン

出エジプト記16-18

通読: 出エジプト 16-18 、マタイ 18 : 1-20     「わたしはイスラエルの子らの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知る。』」 「イスラエルの子らは、人が住んでいる土地に来るまで、四十年の間マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまでマナを食べた。」 出エジプト記 16:12,35 初めてマナが与えられた日、人々はどれほど喜び感謝したことでしょう。 しかし、それが日常になり、当たり前になると、次の不満や不足が出てきました。 私たちも、どんなに素晴らしい恵みでも、それが当たり前になると不平が出てきがちです。 恵みへの感謝を忘れたにもかかわらず、イスラエルの民へのマナは40年間変わらず与えられ続けました。 今日、私たちの態度にかかわらず主が与え続けてくださっている恵みを発見し、感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの恵みを軽くみなして忘れがちであることを悔い改めます。 恵みを数えて感謝する心を与えてください。アーメン

出エジプト記14-15

通読:  出 14-15 、マタイ 17 「主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」出エジプト記 14:14 体育の先生が「山歩きの遠足では、サブリーダーが先頭、リーダーが最後尾」と言ったのを覚えています。 先頭は正しい進路とペース作り、最後尾は全体の安全と一人も置き去りにならないよう確認をします。 先頭に立って民を導き出された主は、 最後尾の民と追っ手との間に入り、民を守られました。 すべての人が海を渡り終えるのを確認し、水を元通りにされました。 私たちの前に立って導かれる主は、背後から忍び寄る誘惑や危険を押し留め、守られる方でもあります。 転んだまま見捨てられることはありません。 祈り:神様、万事休すと感じる状況になった時も、あなたにとってはそうではありません。 前にも後ろにも、あなたの守りを信頼して黙し、期待します。アーメン

出エジプト記12-13

通読: 出12-13、マタイ16 「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」出エジプト記 12:13 最後の災いは人命に直接関わるものでした。 ただ、傷のない羊の血を入口のかもいに塗った家にいれば助かりました。 主の裁きはそこを過ぎ越しました。 これはイエス・キリストの十字架の血と救いを直接連想させます。 どんな人でも、十字架の元に身を寄せれば救われます。 裁きを受けて滅びることはありません。 過越の祭りを直接祝うことはなくても、この恵みを覚える機会をことごとに持ちたいものです。 洗礼を受けたのは何月何日ですか?  イエス・キリストを信じたのは何月何日ですか? 私たちが忘れても、主は私たちを忘れず導き続けてくださいます。  「主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。(13:21 )」 祈り:神様、あなたの救いの恵みと方法を思い巡らし、改めて感謝します。滅びるべき私が、キリストの血によって裁きを過ぎ越され救われるという驚くべきみわざに感謝します。アーメン

出エジプト記9-11

通読: 出9-11、マタイ15:21-39  「主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。」 出エジプト記 11:3 モーセとファラオのやりとりが続きます。 雹やいなごなどの災害が起こっても、ファラオの全面的なへりくだりはありませんでした。 もっとも、家来たちの中には主を恐れる人が起こってきました。 雹の時には家畜を避難させ、ファラオをたしなめる人さえいました。 モーセの人格と忍耐とは、来るべきキリストの影をを連想させます。 キリストもご自身を低くされ、最後までへりくだられました(ピリピ2章)。 そして、今の私たちにまで救いが及びました。 祈り:神様、聖書は単なる歴史物語ではなく、イエス・キリストを指し示すことを覚えます。私たちにまで福音が届けられ、救いに入れられている恵みに感謝します。アーメン

出エジプト記7-8

通読: 出7-8、マタイ15:1-20    「わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエルの子らを彼らのただ中から導き出すとき、エジプトは、わたしが主であることを知る。」出エジプト記 7:5 何度も心変わりするファラオを、頑固だなあと他人事のように思います。 しかし、主の守りを知っていながら将来が漠然と不安なら、ファラオと同じように不信仰なのかもしれません。 一方、呪法師や国内のエジプト人たちは、主の偉大さと力とをすでに知りつつありました。 モーセたちが遣わされ、忍耐強く交渉していることは、すでに主の栄光を表していたのです。 自分の思った結果がすぐ見えなくても、主に忠実に従うなら、主は思いがけないところで働きを進めてくださいます。 祈り:神様、あなたに従い今日も歩みます。人の短絡的な評価に左右されないよう、私の心が主を見つめ続けるよう助けてください。アーメン

出エジプト記4-6

通読: 出4-6、マタイ14:22-36 「しかし、モーセは主の前で言った。『ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。』」出エジプト記 6:30 モーセにとって、うまく話せないというのはコンプレックスであり、いつも逃げ込む言い訳でもありました。 召された時にも 「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。(4:10)」と言いました。 その後も、同胞のクレーム、ファラオの拒絶と困難が続きます。都度、自分の苦手と無力にがっかりしたかもしれません。 しかし、これは「主に不可能はない」と学ぶレッスンでした。 私たちが無力だからこそ、これもあれも主がなさった、とわかります。 苦手なことをせよ、と主に導かれていますか? 「人に口をつけたのはだれか。…それは、わたし、主ではないか(4:11 )」 とモーセに言われた主は、弱い私たちを通してご自身の強さを表されます。 祈り:神様、私にはとても難しく、劣等感に触れるようなことがあります。でも、あなたの導きなら、あなたにゆだね、自分の肉の思いに死ぬことができるよう助けてください。信仰を与えてください。アーメン

出エジプト記1-3

通読: 出1-3、マタイ14:1-21 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 出エジプト記 3:14 聖書の神様は「わたしはある」という方です。 時も場所も越えて存在される方が、 小さな私たちや、私たちのの短い地上人生にご計画を持っておられるとは驚きです。 モーセはファラオのところに遣わされました。 私たちはそれぞれ、今年どこで何をするよう招かれているでしょうか。 それに集中するために、何をやめるよう語られているでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に望まれることを、私の肉のレンズでなく霊の目で見ることができますように。アーメン

創世記49-50

通読: 創世記49-50、マタイ13:31-58  「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」創世記 50:20 ヨセフは、自分の苦労の人生をこのようにひとことで述べました。 無私で仕えた彼の姿は、キリストの型と言われます。 イエス・キリストは罪がないのに私たちの身代わりとなり、十字架にかかってくださいました。 それによって、信じる人が永遠のいのちを得、生かされるためです。 試練に心しぼんでいますか? 身体の不調に疲れ果てていますか? 心探り、その中で感謝を発見し、仕える思いを与えて頂きましょう。 祈り:神様、自分の力では一歩も進めなくなります。あなたの恵みと回復の中に生かしてください。ヨセフのように、試練が益とされたと告白できますように。アーメン

創世記46-48

通読: 創世記46-48、マタイ13:1-30  「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。」創世記 47:7 外国から来た老いたヤコブが、エジプトの王ファラオを祝福するとは、逆ではないのかと思います。 しかし、主の名において祝福の祈りをするのは、神を知る者に与えられた特権です。 クリスチャン一人ひとりは、周りの祝福の基として召されています。 今日、どのように主の祝福を流し出すことができるでしょうか。 祈り:神様、私をあなたの恵みと祝福を受けて流し出す器として用いてください。アーメン

創世記43-45

通読: 創世記43-45、マタイ12:24-50  「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」創世記 45:5  ゆるしには力があります。 ヨセフが兄たちをゆるしたことで、兄だけでなく家族全員が救われました。 不当に扱った人たちをゆるしたことで、エジプトと周囲の国々が救われました。 そしてもちろん、ヨセフ自身も大きな祝福を得ました。 私たちも、プライドと頑固な心を神に溶かして頂きましょう。 キリストがこんな私をゆるしてくださったのですから。 祈り:神様、心のわだかまりを取り扱ってください。あなたの前に持ってきます。あとはえなたの方法で報いてください。相手をゆるすことを選択します。アーメン

創世記41-42

通読: 創世記41-42、マタイ12:1-23  「ヨセフは長子をマナセと名づけた。『神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった』からである。」創世記 41:51 30歳で転機が訪れるまで、穴に落とされ、奴隷として売られ、陥れられ、獄中で過ごし、懇願も忘れられたヨセフでした。 今度はどんな不幸がやってくるのか…という予期不安を抱いても良さそうですが、彼はそうしませんでした。 かえって、自分の子どもを マナセ(神が、 私のすべての労苦を忘れさせてくださった) エフライム(神が、苦しみの地で私を実り多い者としてくださった、41:52) と名付けました。 神は良い方で「私を…させてくださる」と信頼しました。 そのようにして、神の栄光を表しました。 ジンクスのように、悪いことがまた起こるのではと不安になりますか? 神は、どんなパターンでも打ち破ることのできる方です。 労苦でさえも、益に変えることのできる方です。 祈り:神様、あなたが益にしてくださる、良い方だと信じます。全ての労苦が私を整え、主の栄光のためのものとなりますように。アーメン

創世記39-40

通読: 創世記39-40、マタイ11  「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」創世記 39:23 「主は彼(ヨセフ)とともにおられ」という表現が何度も出てきます(39:2,3,21,23)。 状況だけに目をとめると、どんどん悪くなっているように思えます。 エジプトで奴隷として売られ、せっかく重用されたのに主人の妻のうそで投獄される。 番人の評価はよかったが、所詮は獄中でしかない。 神が共にいるなら、なぜ劇的な助けが来ないのか、と。 しかし、神はもっと大きなスケールでご計画を持っておられました。 それがエジプトと周りの国々、ヨセフの家族皆を救うことになります。 私たちが信じているのは、近視眼なご利益宗教ではなく、世界を地理的にも歴史的にも治めておられるお方です。 祈り:神様、時に「あなたがいるのに、なぜ」と思うようなことがあります。しかし、あなたのご計画に間違いがないことを信じます。主が生きて働いておられることを、多くの方が知りますように。アーメン

創世記36-38

通読: 創世記36-38、マタイ10:21-42  「しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、『あの子を打ち殺すのはやめよう』と言った。」創世記 37:21 ヨセフの夢はやがて現実になるのてすが、 話す相手と時期が軽率でした。 兄たちから反感とねたみをかいました。 私が兄の一人なら、やはり面白くなかったと思います。 しかし、ヨセフを殺す企みに全員か賛成したわけではありませんでした。 私たちは、同じ情報や状況でも、違う反応をすることができます。 感情の動きと、それに対する反応とを聖霊によって制御して頂きましょう。 ねたみや怒りに任せた反応が、より深刻な結果を生まないように。 祈り:神様、不快な言葉や態度を受けた時、私の心を守ってください。堅く立ち、主の導かれる言動をとれますように。主にある確信と強さを与えてください。アーメン

創世記33-35

通読: 創世記33-35、マタイ10:1-20  「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。」創世記 33:4 何と美しい場面でしょう。 自分を恨み、殺しにくるかもしれなかった兄が、迎えに来て走りより、嬉し泣きするとは。 エサウに何があったのか、聖書は多くを述べてません。 しかし、兄弟愛の麗しさとゆるしの力を雄弁に語っています。 肉親であれ霊の兄弟姉妹であれ、愛しゆるし合う姿はこのようです。 そこには双方が砕かれることと、主の介入が美しい姿をもたらします。 祈り:神様、私の心にあるわだかまりを主が取り扱ってください。相手の心を変えることができるのは、あなただけです。祈りつつ、まず自分自身の心を備えさせてください。アーメン

創世記31-32

通読: 創世記31-32、マタイ9:18-38  「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。」創世記 32:31 アブラハムに故郷を出るよう導かれた神は、 ヤコブには「あなたの生まれた国に帰りなさい」と言われました。 人によって、神の導きは様々であるとわかります。 簡単ではありませんでした。 ラバンのところからは、逃げるような出発でした。 もっと大変なのは、かつてだました兄エサウと再会することでした。 彼なりに策を練りましたが、肝心の自分は神と格闘し、まともに歩けなくなりました。 …ここに神の知恵があります。 私たちの弱さは、神の強さです。神に信頼するほかない時、神の力が現れます。 今日、自分の弱さを覚えるなら、神が働いてくださることに期待しましょう。 祈り:神様、私の無力さを知る時、あなたの強さに信頼します。自分の望む解決でなく、主のみこころがなりますように。アーメン

創世記29-30

通読: 創世記29-30、マタイ9:1-17  「ラバンは答えた。『われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。』」 創世記 29:26 長旅をして伯父のラバンに迎えられたヤコブは、 ラケルを愛して7年間仕えました。 ところが、妻として与えられたのは姉のレアでした。 詰め寄るヤコブに、ラバンはこう答えました。 かつて、ヤコブは長子の祝福をだまして奪ったのですが、今回は反対にだまされ、上の子を優先されたのでした。 彼には自分の罪深さや、兄や父の心情が痛いほどわかったでしょう。 辛い経験を通してもまた、彼の人格は成長し練りきよめられていくのでした。 祈り:神様、私が通ってきた、あるいは通っている辛い経験も、信仰と霊の実を結ぶために益となると信じます。今日も一日歩む導きと力を与えてください。アーメン

創世記27-28

通読: 創世記27-28、マタイ8:18-34  「ヤコブは眠りから覚めて、言った。『まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。』」創世記 28:16 ヤコブが兄から逃れるためにひとり旅をしていた時です。 家庭の崩壊、良心の痛み、これからの不安など、様々な思いがあったでしょう。 道中寝ている時に、天からの梯子を主は見せてくださいました。 ヤコブにとって、主が共にいてくださることの確認は大きな大きな励まし、転機でした。 新約聖書の今日の箇所では湖が荒れ、弟子たちが慌ててイエス様を起こしました。 主がおられるのに「どうして怖がるのか。信仰の薄い者たち」とイエス様は言われました。 人生の嵐の時、日々の暮らしの見通しがきかないときでも、主は共におられます。 主が必ず導かれることを確信し、信じ続ける者を喜んでくださいます。 祈り:神様、ふりかえるとあなたがこの時も、あの時もおられた、と気づきます。今日も、この先の人生も、あなたがおられることに安心し、信頼できるよう導いてください。アーメン

創世記25-26

通読: 創世記25-26、マタイ8:1-17   「主はその夜、彼に現れて言われた。『わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』」創世記 26:24 突然ですが、こわいものは何ですか。 私にはいろいろあります。 たとえば、置き去りにされること、独り見捨てられることを恐れてきました。 昨夜は、終電に乗り遅れる夢にうなされました(実際の経験はありませんが)。 「恐れてはならない、わたしがあなたとともにいる」 とイサクに語られた神は、私たちにも同じように語られます。 たとえ終電をのがしても、誰かに見捨てられるような経験をしても、神は私たちを見捨てず、いつも共にいてくださいます。 祈り:神様、いつも共にいてくださり感謝します。どうしてよいかわからないとき、聖霊様の知恵と導きにゆだねます。あなたの働きを妨げることがないよう、霊の耳を与えてください。アーメン

創世記23-24

通読: 創世記23-24、マタイ7 「そして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。」 創世記 24:48 サラがいなくなり、アブラハムと息子イサクは二人暮らしでした。富はあり、使用人もいたけれど、淋しい思いも経験したでしょう。 48節は、イサクの結婚相手を探しに行ったしもべのあかしです。 誰もがこのような経緯で相手を見つけるわけではありませんが、しもべのぶれない信仰と忠実さにならうことはできます。 結婚は、若い世代の一大関心事です。中高生やユースのキャンプでは、分科会に「結婚」のテーマがあるくらいです。 もっとも、イサクのように結婚する人もいれば、パウロのように独身の賜物がある人もいます。 愛するユース世代のひとりひとりが、信仰に立ち、みこころに導かれるよう祈り応援しましょう。 祈り:神様、教会に集う学生やユース世代を祝福してください。彼らの将来、結婚が、主に喜ばれるものとなりますように。私たちも祈りと、実際の励ましとで支えさせてください。アーメン

創世記20-22

通読: 創世記20-22、マタイ6:19-34  「アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、『主の山には備えがある』と言われている。」 創世記 22:14 長年子どもが与えられませんでした。 イサクが生まれましたが、イシュマエルとの間がぎくしゃくしました。 さらに、イサクをささげるようにと言われました… このように見ると、人生は次から次へと問題続きだと感じてしまいます。 ある面、その通りです。 しかし、アドナイ・イルエ、「備え主」の神様によってアブラハムには息子イサクが与えられた。 イサクもイシュマエルも、別の場所で子孫が増え、数えきれないほどになった。 アブラハムが神を第一にするかのテストだった。 すでに羊は用意されていた。 私たちの問題の側面には、すでに備え主の神様の解決があります。 何に信頼し、視点をどこに置くかが問われています。 祈り:神様、今日まで私の必要を備え、生かしてくださって感謝します。これからも守ってくださると信頼しできますように。不安から解放してください。アーメン

創世記18-19

通読: 創世記18-19、マタイ6:1-18  「主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」 創世記 18:14 主の使いがアブラハムとサラに言いました。 新約聖書でマリアに天使が告げたのと似ています。 「神にとって不可能はない」 この後、神との交渉、ソドムとゴモラの滅亡が続きます。 主はあわれみ深く、正しい人の条件を10人まで下げ、ロトの手をつかんで退避させました。 神が全能であり不可能がないこともまた、こうした出来事を通して一つ一つ証明されています。 今日の出来事の中にも、神のあわれみと全能とが示されています。それに目を留めることができるよう、祈りましょう。 祈り:神様、周囲の出来事に、あなたのゆるしとあわれみを覚えることができますように。感情でなく、霊の目で見せてください。アーメン

創世記16-17

通読: 創世記16−17、マタイ5:27-48  「主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。 そして言った。『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』 すると彼女は言った。『私の女主人サライのもとから逃げているのです。』 主の使いは彼女に言った。『あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。』」 創世記 16:7-9 高慢な態度をとったから仕方ないものの、ハガルが気の毒に思えます。 ハガルもサライも、どれほど傷ついたでしょうか。 主は、傷つきぼろぼろになった者を「見つけ」てくださいます。 名前を呼んでくださいます。 全てご存知でも「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ね、私たちの答えを待っておられます。 神の前に率直に出るとき、今日も神は行くべき道を教えてくださいます。 あるいは、留まるようにという場合もあります。 ハガルが女主人の元に戻り、謙遜になるよう教えられたように。 祈り:神様、あなたと共に決断していきます。時には気の進まないこともあります。留まるように導かれる時には、謙遜になれるよう助けてください。アーメン

創世記13-15

通読:創世記13-15、マタイ5:1-26 「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」 創世記 15:6 アブラムは、ロトと別れて住むようになりました。 甥のロトによい土地を選ばせました。 また、戦いの時は彼を助けました。 アブラムはよい人でした。 しかし、彼には切望していた子どもがいませんでした。 それは彼の財産では埋められないものでした。 良い人が苦難にあうのはなぜか、と私たちは問います。 もしかすると、良い人だからこそ神は信仰の戦いに招いておられるのだろうか… 神は共にいて、その人を信仰の勇者へとさらに成長させるのかもしれません。 ただ一度のささげものとして十字架にかかったキリスト、この方を救い主信じる信仰が私たちを義とみなすのです。 祈り:神様、アブラムのように実直な信仰と行動を与えてください。試練や問題を、肉の目だけで判断しないよう、あなたに霊の目を向けられるよう助けてください。アーメン

創世記10-12

通読: 創世記10-12、マタイ4 「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。...わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。』」創世記 12:1,3 「住み慣れたわが家で最後まで暮らしたい」と父はよく言いました。 彼にとって、自宅を離れるのは身体の一部を失うような思いでした。 アブラムが故郷を出るのも、易しいことではなかったはずです。 それでも、彼は主のことばに従いました。 神の目的は、彼が祝福されるに留まらず、彼を通して周囲が祝福されることでした。 バベル(11章)以来散らされたすべての民族、部族の祝福のためでした。 クリスチャンも、神の祝福を流すために召されています。 自分ももちろん、他者の祝福のために用いられるようにと願われ、生かされています。 気前よく流し出すところに、また神の祝福が注がれていきます。 祈り:神様、あなたの摂理とダイナミックなご計画を経験させてください。気前よく分かち合う信仰と勇気を与えてください。アーメン

創世記7-9

通読: 創世記7-9、マタイ3 「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」創世記 9:16 大洪水という試練の間、毎日が長く感じられたかもしれません。 いつまでか、いつになれば終わるのか、先が見えないときに、失望感や抑うつがやってきます。 私自身も、パンデミックの時はこれからどうなるのかと思ったことでした。 先の見渡せない私たちと異なり、神は永遠を見ておられます。 キリストによる救いは聖書を貫くテーマであり、永遠のスケールの計画です。 この方に信頼するほど確かなことはありません。 祈り:神様、あなたは永遠の視点から、私を導いてくださいます。あなたの用いたいと思われる所に私を置いてください。試練の時にも、どうか心を守ってください。アーメン

創世記4-6

通読: 創世記4-6、マタイ2 「これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」創世記 6:9 当時は悪が満ちた時代でした。 「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。(6:5)」 「心に図ること」…ニッキー・ガンベルは、「悪は行いや態度だけでなく、思いと想像から生じる」とコメントしました。 私たちは、いともたやすく妄想し、否定的な思いになります。 ノアはぶれずに正しく生きました。 それは、彼が神とともに歩んだからでした。 私たちも、情報が飛び交う時代に、主とともにぶれずに歩めますように。 祈り:神様、私の心を導いてください。悪い空想、考えに支配されないように、心を見張ることを教えてください。アーメン

創世記1-3

通読: 創世記1-3、マタイ1 「神は仰せられた…」 「神である主は言われた」 創世記1:3、6、9、11、14、24、26、29、    2:18 この世界を創造される時、神はことばで命じられました。すると万物が秩序を持って麗しく存在し始めました。 私たちが神のことばに聞くなら、今年も神のご計画が進んでいると希望を持つことができます。 聖書のことばを蓄え、心に神の語りかけを聞きましょう。 祈り:神様、今年も聖書のことばに親しみ、日々の出来事の中にあなたの導きを求めます。アーメン