ガラテヤ3

「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。」ガラテヤ3:24


聖書は、律法を必ずしも悪いものだとは言っていません。
それ自体では人を救うことができないものの、それは罪を明らかにし、約束された神の救いが必要だということを人に示すから(NIV Study Bibleの解説)です。

律法は「養育係」として、私たちがどこに行けば救われるのかを示します。

ですから、キリストによって救われたのに「養育係」である律法に固執したり、パリサイ人のように律法的に人を判断しようとする姿勢がふさわしくない、というのです。

教会には様々な性格や境遇の人が来ます。自分と違うからといって避けたり裁いたりするのではなく、
「キリストを着」て(27節)、
「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つ(28節)」
を実践する者となれますように。

祈り:神様、あなたがキリストによりくださった救いと解放を感謝します。主にある自由を、教会で霊の家族と共に日々味わえますように。御国の相続人としてくださりありがとうございます。アーメン