ガラテヤ2
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」ガラテヤ2:20
ガラテヤ人への手紙の中心テーマが16節にあります。
「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められる」。
これをどれだけ受け取っているでしょうか。
ついつい自分の習慣、家族のしきたり、教会のいつものやり方、世間の常識と言われるものを押し付けてしまいます(自戒をこめて・・・)。
特に年末の慌ただしい時には、動いていないといけないような、じっと静まるのが悪いことのような錯覚に陥ります。
からみつく肉の性質を自覚しながらも、「もはや私ではなく、キリストが私のうちに生きておられる」と宣言します。
祈り:神様、私のうちにキリストが生きていてくださると認めます。
年末で忙しくしている___さん、___さん、そして置き去りにされたような寂しさを覚える人達に、平安がありますように。私たちの焦る肉の性質を取り扱い、あなたの安息を受け取らせてください。アーメン