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7月, 2025の投稿を表示しています

使徒3

「そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。」使徒3:20 キリストは神のひとり子であり、父なる神のしもべとして来られました。 そして、信じる人のうちにキリストの霊である聖霊を送ってくださいます。 さらに、終わりの時に王として再び来られます。 王様として迎える日の情景を思い浮かべると、心踊ります。 祈り:神様、キリストの来臨の恵み、再臨の望みに感謝します。あなたにより近く歩めますように。アーメン

使徒2

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」使徒2:46~47 3千人がクリスチャンになっても、劇的な奇跡が行われても、教会は華々しい「成果」だけの集まりではありません。 「心を一つに」すること、 「喜びと真心をもって」交わりをすること、 「神を賛美」すること、 「民全体から好意を持たれていた」ことが、 教会の麗しい姿です。 イエス様が言われたように、この世から分かつのではなく、この世にあって主の守りのうちを歩むのが教会であり、クリスチャン生活です。 この初代教会のスピリットは今日まで変わりません。 祈り:神様、私たちの教会を、初代教会に見られる麗しい姿としてください。私の心を探り、霊において一致できるように助けてください。アーメン

使徒1

「そしてこう言った。『ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。』」使徒1:11 昔から、「○月○日に災害が起こる」とか「○○になる」というデマは尽きませんでした。 人々の不安や心配をあおり、社会がパニックになることもあったようです。 実際のところは、誰も思っていないタイミングで災害が発生することが多いのです。 聖書はキリストの再臨について「いつ」とは語っていません。 しかし、イエス様が天に上って行くのを見たのと同じように、また来られるーー これは確かなことです。 思わぬタイミングでも、日々心を整え期待できる者でありますように。 祈り:神様、イエス様の再臨は恐ろしいものではなく、希望と喜びに満ちた時です。その日まで、私の生き方、信仰、証しを導き教えてください。アーメン

ヨハネ21

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」ヨハネ21:25 ヨハネの福音書の最後の部分は、なんとかして信じてほしいという弟子ヨハネの熱意が感じられます。 書かれた証しが真実だということを証言していること(24節)、そして世界が記録を収めきれないほど多くのことをイエス様がなさったこと(25節)を述べます。 弟子ヨハネは、やがて福音のために島流しに会います。 しかし、そこで黙想し思い巡らしたイエス様の姿と今も生きておられる希望は、彼を励まし続けたでしょう。 やがてもう一度イエス様が来られるという希望の黙示録も、彼の証しに生きた人生を通して主が与えてくださったものです。 祈り:神様、弟子ヨハネは証しの生涯を送りました。私はどのように証しをし、主の足跡を歩むことができるでしょうか。功績でもタイトルでもなく、主の証し人、キリストに従う者としてのアイデンティティを日々確認して歩めるよう、導いてください。アーメン