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ローマ2

「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。」ローマ2:29 神の前には偽善や動機を隠すことができません。 信仰深そうに見えても、それがうわべだけかどうか明らかです。 もし愛が見せかけなら、それも明らかになります。 逆に、人からはあまり評価されなくても神が認めてくださるなら、それ以上に何を求めるでしょうか。 義理や周囲がどう思うかという恐れが動機になっているなら、神がどう思うかという視点を持てるように祈りましょう。 祈り:神様、私の心の動機を探ってください。見せかけだけの立派さではなく、主がどう願われるかを追い求めることができますように。アーメン

ローマ1

「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」ローマ1:16 昨日、パウロがとうとうローマに行った記事を読みました。 その前に、すでに福音を信じる人たちの群れがローマにありました。 宣教旅行で訪れることはかないませんでしたが、その代わりにパウロは手紙を送り、ローマの人たちに福音とキリストの恵みを順序立てて説明する手紙を書きました。 それがローマ人への手紙です。 福音がぶれないこと、神の義と恵みがすべての人に提示されていることが説明されています。 祈り:神様、人は変わっても主は変わりません。変わらない救いの福音を与えてくださったことに感謝します。アーメン

使徒28

「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」使徒28:28 パウロはローマに着きました。旅人ではなく囚人としてでしたが、その実質は警護つきで伝道ができる環境を得ました。 「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」のでした(30~31節)。 今までは暴動や半殺しにあいましたが、ローマでは妨げがありませんでした。 神様は社会的な身分や肩書きがなくても、実質を整えてくださいます。 その特権を感謝して受けとり、主の栄光のために用いましょう。 祈り:神様、あなたの与えてくださる環境の中で、福音を分かち合うことができますように。尋ねられた時にはあかしし、答える用意ができていますように。アーメン

使徒27

「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。」使徒27:25 囚人だったパウロが、水夫や軍隊よりもリーダーシップをとっています。 これは、神を信じる人がどれほどの力を与えられうるかを示しています。 祈り:神様、あなたのくださる力と勇気は、私たちの常識を超えています。信仰を強めてください。アーメン

使徒26

「それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」使徒26:18 主イエスご自身からこのように語られたーーそれがパウロの召しの確信であり、生きる目的となりました。 このようなはっきりした声を聞いた人はそれほど多くないかもしれません。 しかし、みことばを通し、祈りを通し、主の声を聞くことができます。 私たちの人生を貫く主の声はどのようなものでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に望まれることを聞くことができますように。主の御声に従う生涯を送ることができるよう導いてください。アーメン

使徒25

「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。」使徒25:19 第三者にとっても、パウロの主張するポイントは明確でした。 「イエスが生きている」ということです。 敵意を持って反対するか、興味本位の話として流すか、命をかけて主張するか...。 三者三様の態度がこの章には記されています。 自分自身はどれでしょうか。また、今は反対している人でも、やがてパウロのように命がけでイエスを証しする人に変えられる可能性だってあります。 不可能のない主に期待します。 祈り:神様、どんな人でも聖霊の働きで変えられると信じます。あきらめないで___さん、____さんのために祈り続けることができますように。私自身も無関心になることがありませんように。アーメン

使徒24

「数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。」使徒24:24 夫婦で福音とイエス・キリストについて聞くよいチャンスを、フェリクスは与えられていました。 けれども、動機と反応が問題でした。 ・しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。(25節) ・また同時に、フェリクスにはパウロから金をもらいたい下心があったので、何度もパウロを呼び出して語り合った。(26節) 残念ながらフェリクスには純粋な動機と反応がありませんでした。 それでもパウロは真摯に説明したと思われます。 私たちにゆだねられているのは、パウロのようにイエス・キリストの福音をそのまま語ることです。 相手がどんな反応をしても、それは相手の責任です。 がっかりせず、神様にゆだねられているところを誠実にできますように。 祈り:神様、相手の反応があまりよくないと、おじけづいてしまいます。でも、福音を分かち合い、その後は聖霊の働きにゆだねます。必要以上に負いすぎたり、責任を感じたりすることがないようお守りください。アーメン

使徒23

「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた。」使徒23:11 混乱に陥る会議、パウロ暗殺計画、拘留者としての移送など、使徒23章は新聞記事のように記されています。 状況を見ると非常に厳しく、パウロがエルサレムに行くのを止めた人たちは「やっぱり」と肩を落としたことでしょう。 しかし、神はパウロに約束をされました。そして、ご自身が約束なさったことは必ずなることを見せてくださいました。 祈り:神様、あなたに何でも祈れることに感謝します。あなたの望まれる時に、望まれる方法でみこころを成してください。長年祈り続けている_____のことにも、すでに聞かれたという信仰を与えてください、 「ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコ11:24)」アーメン

使徒22

「さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』」使徒22:16 ダマスコでアナニアがパウロに言った言葉です。 アナニアの、主にある信仰と勇気は驚くべきものです。 自分たちを捕らえに来たパウロに近寄り祈るように、という主の声に、彼は従いました。 主の語りかけを信じたからです。 また、彼に向かって「バプテスマを受け、罪を洗い流しなさい」と命じる大胆さも持っていました。 福音を分かち合う時、必要以上に尻込みしていませんか? 主はどのように願われるか、話す前に祈り、次の言葉の前に祈り、聖霊の導きに信頼しましょう。 祈り:神様、私の言葉を導いてください。何をどう言えばよいのか、感情に任せる前に祈り心であなたの御顔を仰ぐことができますように。今日も語るべきこととタイミングを教えてください。アーメン

使徒21

「すると、パウロは答えた。『あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。』」使徒21:13 周囲の人々が聖霊によって預言し、エルサレムに行かないようパウロに勧めました。 パウロは聞き入れませんでした。 一読すると、パウロがみこころに従わなかったようにも読めます。 しかし、そうではありませんでした。 預言は正しく、エルサレムで困難にあうというのは真実でした。 そのことに焦点を合わせると、人々が行かない方がよいとすすめたのも正しいことでした。 ただ、神のみこころはもっと先まで含めたものでした。 パウロはとらえられますが、やがてそのままローマに移送されます。 ローマに行くことも、その先の神のご計画でした。 パウロはどんな形であれローマに福音を届ける、そちらに焦点を当てていました。 みこころが矛盾していると思うような時があります。 しかし、後でふり返ると神のご計画が着々となっています。 祈り:神様、あなたのご計画のすべてを知ることはできません。でも、それぞれが祈り進む時、あなたがすべてを益となさることを信じます。アーメン

使徒20

「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」使徒20:28 エペソ教会の長老たちを集めて、パウロは別れの言葉を残しました。 今でいう牧師や役員たちに当たる彼らに、教会で仕えるアドバイスをしています。 「自分自身と群れの全体」とあります。 教会全体に気を配るのはもちろんですが、「自分自身」をよく見張ることも大切だとわかります。 自分の心を治めること、自身の霊肉の健康管理も大切な務めです。 多くの働き人やクリスチャンリーダーが、他者のために身も心も使い果たし、疲れています。時に休息を取り、燃え尽きないように主とともに過ごし安息することも、大切な務めだと学びました。 祈り:神様、主のもとに安息することを私に教えてください。今燃え付きそうな牧師や教会リーダーに、主の励ましと休息、そして新たな聖霊の力が注がれますように。アーメン

使徒19

「そのころ、この道のことで、大変な騒ぎが起こった。」使徒19:23 アジア地方のほとんどの人が福音を聞きました。 いやしや奇跡も起こり、素晴らしい広がりでした。 しかし同時に、反対派の陰謀や騒ぎも起こりました。 町中を扇動し、パウロと福音が自分たちの生活と町を破壊する、とまで言いました。 エペソの町とアルテミス神殿にまつわるしがらみは、まるで日本各地の村や町の風習を見るようです。 その中で人々と関係を築き、地元に根ざし、福音をあきらめない各地の教会を覚えて祈りましょう。 祈り:神様、不毛の地と思われるような因習と伝統の地で、忍耐づよく宣教している教会を励ましてください。そこに集う人々、仕える人々に、上からの素晴らしい喜びと報いで満たしてください。私たち自身の置かれている地域___、ルーツのある地域____、____のためにも祈ります。アーメン

使徒18

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」使徒18:9~10 反対につぐ反対にあうパウロに、主は語りかけてくださいました。 ・わたしがあなたとともにいる ・この町には、わたしの民がたくさんいる この上ない保証をもらったパウロでした。 さらにこのことばは、今日の私たちにも語られています。 「主は私たちと共におられる」 「この町には、主を信じるようになる民がたくさんいる」 と。 祈り:神様、いつも共にいてくださり感謝します。私の住むこの町に、主の民、 やがて主の民となる人がいることを信じます。希望を失わずに今日も歩めるよう助けてください。アーメン

使徒17

「...確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。」使徒17:27~28 日本でもよくわからないままに偶像や「神」を作っています。 ちょうどアテネの人たちのようです。 イエス・キリストを知っていても、すぐそこにおられる主に気がつかないで、あるいは無視して過ごしていることもあるかもしれません。 今日の一日に、意識して主を認めることができますように。 祈り:神様、偶像やご利益信仰の日本をあわれんでください。 そして私も今日、いつも共にいてくださる主を意識して過ごしたいです。導いてください。アーメン

使徒16

「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」使徒16:10 予定が急に変わる時、あるいは想像していない事態に直面するとき、冷静でいられますか? 私はめっぽう弱い方です。都度パニックになりそうです。 夜、パウロは幻を見ました。そしてマケドニア人の懇願を聞いて、進路変更をすると決断しました。 自分の願いより聖霊の導きに従ったのでした。 もし今日、聖霊が言われていることがあれば、自分の予定や計画より優先できるでしょうか。 難しく、また聞き逃してしまいそうなことですが、そんな鈍感な私にも主がはっきり示してくださるようにと願います。 祈り:神様、柔軟性のない、自分の思いが先行しがちな私です。聖霊の思いを聞く心の静けさと敏感さを与えてください。外は嵐のようでも、心に平安を与えてください。アーメン

使徒15

「聖霊と私たちは、次の必要なことのほかには、あなたがたに、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。」使徒15:28 聖霊は罪について、主について悟りを与えます。 同時に自由と解放をもたらします。 人の定めたものか神の願われることか、つまり文化か普遍的な真理かの判断は難しいです。 自分と同じでないと、つい裁いてしまいます。 私の心が真理からそれず、同時に愛をもって接し戒めることができますように。 祈り:神様、あなたの愛と真理をより理解できますように。束縛でなく解放をくださり感謝します。聖霊の声に敏感になれますように。アーメン

使徒14

「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。」使徒14:23 信じている主にゆだねる・・・難しいことです。 心配だし、口や手を出したいし、共にいたいと思います。 でも人の力には限界があります。 彼らは全能の主を信頼し、断食して祈ったら主の手に任せゆだねました。 今日、何を主の手にゆだねるよう語られていますか。 祈り:神様、_____をあなたの手にゆだねたいと思います。手放せるよう導いてください。アーメン

使徒13

「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」使徒13:52 聖霊によってアンティオキアからバルナバとサウロ(パウロ)は宣教に送り出されました。 魔術師との対決(6ー12節)、ユダヤ人たちの反対(45、50節)といった困難はありましたが、主のことばは広まっていきました。 彼らは困難に心くじかれたりへこたれたりしませんでした。 かえって「喜びと聖霊に満たされていた」(52節)とあります。 私たちは、たった一つの困難で落胆してしまうことがあります。 しかし大きな視点で見るなら、恵みの方がずっと多いのが事実です。 今日その希望を確認できますように。 各地、各国にいる宣教師のためにも祈りましょう。 祈り:神様、一つの失敗や試練で落胆しあきらめることのないよう、忍耐と健康的な認識を与えてください。___宣教師、____宣教師、____宣教師...の働きと霊肉の健康と家族を支え、主の働きをお守りください。アーメン

使徒12

「すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。」使徒12:23 神が愛なら、どうしてヘロデをこのような目にあわせたのか、と疑問を持つ方がおられました。 なぜ戦争が、なぜ貧困が、なぜ災害が・・・、という問いも似ているかもしれません。 答えは、人の罪ゆえ、と言えるでしょう。 しかも悔い改めず、ヘロデの場合は自分を神とする傲慢さも見受けられます。 神様はもちろん、彼に悔い改めるチャンスを何度も与えておられました。 バプテスマのヨハネとの対話、イエス様ご自身との出会いもありながら、悔い改めようとはしませんでした。 ヘロデがもっと早く滅びず、ここまで王として治めることができていたのは逆に神のあわれみとも言えます。 神様の恵みとあわれみの機会に彼が気づき、悔い改めて主を信じていたら、彼には別の人生があったでしょう。 ヘロデに限らず、どんな人も悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じたら、別の人生が始まります。 祈り:神様、あなたの恵みとあわれみに気づく人が多く起こされますように。___さん、___さんがイエス・キリストを救い主と信じることができますように。 私自身も、日々悔い改めて恵みを受けとる素晴らしさを実感できますように。アーメン

使徒11

「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。」使徒11:29 聖霊によってアガポが預言したとおり、世界的に大飢饉が起こりました。 きっと、アンティオキアにいた弟子たち自身も食料不足を感じていたでしょう。 しかし、ユダヤ地方はもっと深刻な状況なので、救援のために自らささげたのでした。 「それぞれの力に応じて」とあります。 自分ができる力に応じて、愛の動機で多い者も少ない者も霊の家族を支えようとしました。 この助け合う心が教会に、日本うや世界宣教の場に、満ち溢れたらどんなに素晴らしいでしょうか。 祈り:神様、あなたから託された私の所有物を、みこころの通りに用いることができますように。必要のあるところに気前よくささげ支える、愛の心を与えてください。アーメン

使徒10

「神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」使徒10:36 ユダヤ人だったぺテロにとって、それ以外の民族が同じ神によって救われるというのは常識外でした。 しかし主はしるしと幻によって、どんな人にとってもイエス・キリストが救い主であることを示されました。 前章のパウロも今日のぺテロも、自分が当然だと思っていた考えからの転換、「パラダイム・シフト」を経験しました。 私たちにも同じ転換が必要かもしれません。 あの人は救われないという思い込み、家族への伝道は難しいという思い込み、自分はだめだという思い込み...。 神様が願われる思いの転換に気づき、パラダイム・シフトできますように。 祈り:神様、私の思い込みを探り、あなたの思いへと視野を広げてください。無用な自己卑下や恐れから解放し、健康的な謙遜と希望によってみこころに歩めますように。アーメン

使徒9

「そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。」使徒9:39 9章はサウロ(パウロ)の回心で有名ですが、同時に愛すべきクリスチャン女性タビタ(ドルカス)も登場します。 彼女は分け与える賜物を持っていました。 ただ金銭的に裕福だっただけでなく、心をこめて困った人や貧しい人たちのために奉仕していました。 弱い人に慕われ愛された彼女の姿勢は大きな証しでした。 主はぺテロを通して祈りに答え、彼女を生き返らせました。 そのことがヤッファの町でニュースとなり、今度はやもめだけでなく多くの人が主を信じました。 生きざまが証しとなる人は何と素晴らしいことでしょう。 「私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。」(1ヨハネ3:18) 祈り:神様、私のことばと行いが信仰にあって一致しますように。主の恵みを、周囲の人に心をこめて流し出せるように導いてください。アーメン

使徒8

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」使徒8:4 迫害で散らされた人たちの心には、はじめ悲しみと恐れとがあったことでしょう。 これからの生活の保証もありませんでした。 しかし、黙ってはいませんでした。 「みことばの福音を伝えながら巡り歩」きました。 結果として、福音が世界に広がることになりました。 ピリポが出会ったエチオピアの宦官に見られるように、民族や言葉、肌の色が違っても福音は一つです。 その時は悲しいことが、後に豊かな実を結びます。 「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。」詩篇126:5 祈り:神様、悲しみの出来事を、思いがけない形で用いることのできる方であることを信じます。私の置かれた状況を、あなたの栄光のために用いてください。アーメン

使徒7

「ここでは、足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。しかし神は、まだ子がいなかった彼に対して、この地を彼とその後の子孫に所有地として与えることを約束されました。」使徒7:5 ステパノの弁明から殉教がこの章の内容です。 今日はその弁明の一節で、本筋とは関係ないようにも思えます。 けれども、ここにステパノの信仰の一端を見る思いです。 大祭司や訴える者たちは、律法やしがらみに縛られていました。 それと比べて、何も持たず、何にも頼れない状況で、神の約束を信じたアブラハムの信仰が出ています。 ステパノも同じく、先入観やしきたりよりも、イエス・キリストの真実を信じていました。 それが聖書に約束されていることだとも確信していました。 私たちは今日、しがらみや思い込みを信用するでしょうか。 それとも、聖書にねざした神の約束に期待できるでしょうか。 祈り:神様、聖書のことばを聖霊の光で読みたいです。純粋な心を与えてください。あなたのみこころを素直に受け取ることができますように。信仰を強めてください。アーメン

使徒6

「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」使徒6:7 初代教会は素晴らしい成長を見せました。 数も増えたし、あの祭司たちが悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じるようになりました。 一方で、課題や問題もありました。 数が増えすぎて、食料配給に多大な手間と時間がかかるようになりました。 また、リーダーが逮捕され、不利な偽りの証言をされました。 信仰生活も同じです。素晴らしい良いこともあれば、試練や困難にあうこともあります。 しかし、聖霊がどんな時も働いておられることを使徒の働きから学びます。 そして、神のご計画のためには一つも無駄にならないことも、読み進めるうちに確信できるでしょう。 祈り:神様、目先の事柄で一喜一憂しないよう助けてください。あなたのよいご計画に信頼できるよう、私の心をお守りください。試練の中にいる____さん、入院している____さんに、主の希望と平安がありますように。アーメン

使徒5

「『そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』議員たちは彼の意見に従い、」使徒5:38~39 律法の教師ガマリエルは、パウロの師匠でもありました(22:3)。 彼がユダヤ人議員たちを説得します。 彼はキリストを救い主と信じてはいなかったでしょうが、神の摂理についてはよく理解していました。 キリスト教界でも、あるミニストリーが逸脱しているかどうかが話題になります。 すぐ批判的になるのでなく、神から出たものかどうかを静観する時間が必要だと思います。 人から出たものなら、ほころびが出てやがてなくなるでしょう。 しかし神のみこころなら、その働きはみこころの間続くでしょう。 祈り:神様、様々なミニストリーや働きを感謝します。お互いにあれはだめ、これは足りないと批判する前に、謙虚に祈り吟味させてください。同時に、悪魔のわなを見極める霊的な洞察力も与えてください。アーメン

使徒4

「皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。」使徒4:10 使徒たちは大きなわざを行いました。 そして、それは自分の力でなく、イエス・キリストの名によるものだと知っていました。 私たちが奉仕や伝道でうまくいったと喜ぶのは、悪いことではありません。 自分に栄光を帰すのでなく、その栄光をイエス様にお返しし、イエス様の名があがめられるなら、素晴らしいことです。 たとえうまくいかなかったと思っても、それも落胆する必要はありません。 キリストの望むことをしているなら、目に見える即時の結果ではなく、霊の世界では違ったことが起こっていると言えます。 あきらめないで、卑下しないで、今日も主とともに歩みましょう。 祈り:神様、あなたの恵みに感謝します。十字架について復活されたイエス・キリストのみこころを行うことができますように。アーメン

使徒3

「そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。」使徒3:20 キリストは神のひとり子であり、父なる神のしもべとして来られました。 そして、信じる人のうちにキリストの霊である聖霊を送ってくださいます。 さらに、終わりの時に王として再び来られます。 王様として迎える日の情景を思い浮かべると、心踊ります。 祈り:神様、キリストの来臨の恵み、再臨の望みに感謝します。あなたにより近く歩めますように。アーメン

使徒2

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」使徒2:46~47 3千人がクリスチャンになっても、劇的な奇跡が行われても、教会は華々しい「成果」だけの集まりではありません。 「心を一つに」すること、 「喜びと真心をもって」交わりをすること、 「神を賛美」すること、 「民全体から好意を持たれていた」ことが、 教会の麗しい姿です。 イエス様が言われたように、この世から分かつのではなく、この世にあって主の守りのうちを歩むのが教会であり、クリスチャン生活です。 この初代教会のスピリットは今日まで変わりません。 祈り:神様、私たちの教会を、初代教会に見られる麗しい姿としてください。私の心を探り、霊において一致できるように助けてください。アーメン

使徒1

「そしてこう言った。『ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。』」使徒1:11 昔から、「○月○日に災害が起こる」とか「○○になる」というデマは尽きませんでした。 人々の不安や心配をあおり、社会がパニックになることもあったようです。 実際のところは、誰も思っていないタイミングで災害が発生することが多いのです。 聖書はキリストの再臨について「いつ」とは語っていません。 しかし、イエス様が天に上って行くのを見たのと同じように、また来られるーー これは確かなことです。 思わぬタイミングでも、日々心を整え期待できる者でありますように。 祈り:神様、イエス様の再臨は恐ろしいものではなく、希望と喜びに満ちた時です。その日まで、私の生き方、信仰、証しを導き教えてください。アーメン

ヨハネ21

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」ヨハネ21:25 ヨハネの福音書の最後の部分は、なんとかして信じてほしいという弟子ヨハネの熱意が感じられます。 書かれた証しが真実だということを証言していること(24節)、そして世界が記録を収めきれないほど多くのことをイエス様がなさったこと(25節)を述べます。 弟子ヨハネは、やがて福音のために島流しに会います。 しかし、そこで黙想し思い巡らしたイエス様の姿と今も生きておられる希望は、彼を励まし続けたでしょう。 やがてもう一度イエス様が来られるという希望の黙示録も、彼の証しに生きた人生を通して主が与えてくださったものです。 祈り:神様、弟子ヨハネは証しの生涯を送りました。私はどのように証しをし、主の足跡を歩むことができるでしょうか。功績でもタイトルでもなく、主の証し人、キリストに従う者としてのアイデンティティを日々確認して歩めるよう、導いてください。アーメン