ヨハネ15
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」ヨハネ15:5
静まりのリトリートに参加しました。
キリストのうちにとどまっているのだろうか、と自問して過ごしました。
もちろん信仰は持っているつもりだし、クリスチャンらしく歩みたいと願っています。
しかし、心が情報や周囲の人間関係の波にさらわれ、さまよい歩いているのではないかと思うことがあります。
中村佐知さんという方が、静まり(沈黙)とソリチュードの重要性を書いておられます。
それは私たちの魂がこの世のやり方や価値観に沿って形造られることを防ぎます。また、自分の中にさまざまな衝動や依存、支配願望があるという気づきを与えます。さらに、「今、ここ」にとどまることを学ばせてくれます。
キリストを離れては何もすることができない存在だという自覚が、被造物である者の私たちの歩みの第一歩であることを覚えます。
祈り:神様、私の存在はあなたのものです。何をする時にも、言う時にも、キリストにとどまり、キリストがそうさせてくださいますように。主によって今日生かされている事実を受け取ります。アーメン