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IIコリント1

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」IIコリント1: 4 この聖句は、聖書の中でも大きな力を持つものの一つだと思います。 神が、私たちのどんな苦しみの時も慰めてくださる、という希望があります。 そして、周りの人たちのことも、同情心や人間の思いだけでなく、神の慰めという大きな力によって慰めることができるというのです。 この人も、あの人も、自分自身も、慰めの必要があふれる時代です。 そして神は、その必要を全て満たすことのできるお方です。 祈り:神様、あなたが慰めをくださるという約束を感謝します。私には今、_______について慰めが必要です。また___さんには______の慰めが必要です。主が働いて、慰めの力と希望をください。アーメン

Iコリント16

「 一切のことを、愛をもって行いなさい。」Iコリント16:14 手紙の終わりに、実際的な連絡が記されています。 ・パウロがコリントに行ってから献金を集めることがないように、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい。(2節) ・パウロが現地に着いたら、コリント教会の承認を得た人たちに手紙を持たせてエルサレムに派遣し、贈り物(献金)を届けさせる。(3節) ・パウロはマケドニア経由で行く(5節) ・五旬節まではエペソに滞在する(8節) ・働き人であるテモテがコリントに行ったら、軽く扱わず、不自由なく過ごせるようにしてあげてほしい。(10~11節)・・・ それとともに、信仰に堅く立ち、一切を愛をもって行うようにと勧めます。 目に見える行動や働きの根底に、信仰と愛があるようにというのが、パウロの願いでした。 私たちも、動く前に信仰と愛がありますように。それらが原動力となりますように。 祈り:神様、コリント教会へのパウロの働きが信仰と愛に根ざしたように、私たちの今日の行動がキリストへの信仰と愛に動かされるものでありますように。衝動的な失敗から守り、祈りをもって対応できるように導いてください。アーメン

Iコリント15

「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」Iコリント15:10 パウロの激務の原動力は、神の恵みでした。 ”Pause, Recharge, Refresh" (立ち止まり、充電され、新たにされる)というデボーションの本があります。 神によって充電され、新たにされるに先だって、立ち止まることが必要です。 日々の雑事に追われて走り続けると、まるで自分で走っているかのような錯覚に陥ります。 神の恵みで走っていることを再確認する大切さを学びます。 私たちの原動力は何でしょうか。 祈り:神様、私たちの原動力があなたの恵みであるように、立ち止まり充電して頂く時を持たせてください。アーメン

Iコリント14

「神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、」Iコリント14:33 異言の用い方と解き明かしについて、秩序をもって徳を高めるようにと語られています。 さらに、教会で語ることへの秩序の勧めが続きます。 異言を配慮なく語ることと、女性のうるさいおしゃべりとが同列に置かれているのが興味深いです。 どちらも、その人や賜物を否定したのではありません。 勝手気ままではなく、秩序を守るような用い方をするようにということです。 それは、神が平和の神だからです。 自己中心ではなく、愛をもって語ることを聖書は勧めます。 祈り:神様、あなたの愛と平和を保つような言葉が出るよう、私の思いと口をお守りください。アーメン

Iコリント13

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。Iコリント13:4 読むたびに「私には無理だ」と思います。 「愛の章」とも呼ばれる13章には、愛がとても高い基準であることが端的に延べられています。 目標にはするけれど、失敗続きだと感じるかもしれません。 でも、これらの愛の基準を完全に満たしているのが主イエス・キリストです。 その愛を私たちは受けている存在であるということにも目をとめたいと思います。 祈り:神様、あなたの愛の深さ、広さ、高さに感謝します。私をこの愛で愛してくださったことを感謝します。キリストの愛を受け、流し出す者とならせてください。成長を助けてください。アーメン

Iコリント12

「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」Iコリント12:26 血液透析をされたご夫婦の本を読みました。夫である方の闘病生活と、そのために腎臓をささげた家族、再度透析生活に戻った時の心境などが綴られていました。 仕事を続けるために、早朝から透析に行き、何時間もじっと全身を横たえます。 妻である筆者も、送迎やサポートを全力で続ける様子は、「夫婦は一心同体」になるということば通りでした。 聖書は、教会がキリストのからだであり、私たちは部分であると語ります。 「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(27節)」 だから、一部分が苦しみは全体の苦しみ、一部分の喜びは全体の喜びとなります。 ただ同情や共感するだけでなく、事実そうであるということを覚えます。 今、どんな苦しみがあり、どんな喜びがあるでしょうか。 祈り:神様、教会の___さん、____さんを覚えて祈ります。日本の___にある教会と信仰者のために祈ります。世界の____に瀕している教会とクリスチャンのために祈ります。アーメン

Iコリント11

「だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」Iコリント11:28 聖さん式によく読まれる箇所です。ただ習慣としてではなく、自分自身を吟味し、主の前に悔い改めと新たな信仰の決意をもって歩み出すことを教えています。 個人のあれこれだけでなく、教会という霊の共同体の一部である自分自身です。 そうでなければ(みからだをわきまえないなら)、自分自身に対するさばきを飲み食いすることになるというのは厳粛なことです。 次回の聖さん式、あるいは愛さん会に、どのような気持ちで参加できるでしょう。 祈り:神様、私を探ってください。あなたより優先しているものや、自我が盲目にしていることがあるなら、それらを除いてください。主により近づきたいです。アーメン

Iコリント10

「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」Iコリント10:12 まさに自分自身に当てはまることばです。 自分の力で立てると思い込み、ふと足元を見たら崖っぷちのぐらぐらする岩の上だ、というイメージがあります。 何を頼みにして立っているのでしょう。社会的地位、財産、今の人間関係・・・ しかし、それらは全て一時的なものです。 なくなった時、何を頼りにしますか? そもそも、立てていたのでしょうか? 自分を支えるものが取り去られたように感じた時、喪失を感じます。 試練と言えるかもしれません。 聖書は 「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」(13節) と、変わらない神の御腕と希望を語ります。 祈り:神様、今試練や空しさの中にある人に、脱出の道と主にある希望を示してください。うつで苦しむ___さんをお守りください。自死家族を持つ方々に、キリストの十字架には深い深い慰めと自責感からの解放があることを感じられますように。アーメン

Iコリント9

「私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」Iコリント9:23 パウロの覚悟を見る思いです。 「福音のためにあらゆることをしている」と言い切る彼は、「競技場で走る人たちのように」「朽ちない冠」を得られるように走りなさい、と続けます(24、25節)。 彼がそこまで断言できる理由は、彼が福音の恵みを知っていたからでした。 このように言えるほど、福音の恵みを味わう生涯を送れたら、どんなに素晴らしいでしょう。 父なる神様が愛し、招いてくださっているという事実を受けとります。 祈り:神様、あなたの愛と恵みを受けとります。そして応答したいです。体力・気力は衰えても、内なる人は日々新たにされるようにと願います。主がそうしてくださり、最後まで朽ちない冠を目指して走ることができますように。アーメン

Iコリント8

「次に、偶像に献げた肉についてですが、『私たちはみな知識を持ってい』ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。」Iコリント8:1 「サーバント・リーダーシップ」という本を読みました。そこには、リーダーの特質が愛である(もちろん他の特質もありますが)とありました。 聖書は何千年も前から、この原則を語っています。 知識があると思っても、それはまだまだ足りないから高ぶるのは間違っていること。 愛によって人は育っていくこと。 私たちがゆだねられている人たちーーー子ども、近所の人たち、後輩、部下、教会に新しく来た人ーーーは、愛によって育っていきます。 祈り:神様、私に愛と謙遜を与えてください。主の愛の姿勢にならうリーダーとなれますように。アーメン

Iコリント7

「私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。」Iコリント7:35 以前、「女性の品格」という本が話題になりました。 「品格」という語に、上品な人格的なものを感じる人も多いと思います。 クリスチャンは、イエス・キリストという最高の品格、品位を持った方を手本にすることができます。 今日はパウロの牧会指導とも言える内容です。 特に、結婚や男女関係のあり方について、主キリストの望まれることはなにかを論じています。 そして、それは「束縛」ではなく「品位ある生活」のためです。 聖書を読むのは、イエス・キリストをより深く知るためです。 その方を知るにつれ、品位、品格が備わってくるのだと思います。 祈り:神様、主キリストのご人格にならう者とさせてください。日々キリストを知り、近づき、その方の謙遜と忍耐に学ぶ者となれますように。アーメン

Iコリント6

「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」Iコリント6:19 性的に乱れていたコリントの町の風習が、教会にも暗い影を落としていたようです。 パウロは浮気や結婚外の関係を戒めています。 「あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。それなのに、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするのですか。そんなことがあってはなりません。(15節)」 そして、からだが「あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮」であること、「もはや自分自身のものではありません」と、身勝手なふるまいを慎むべきと教えます。 私たちのからだが聖霊の宮なら、性的なことだけでなく生活習慣全般を健康に保つことがみこころだとわかります。 私たちの仕事と休息のバランス、食事や睡眠などにも主が関心を持っておられる恵みを覚えます。 祈り:神様、あなたが私を造り、私の人生と日々の生活スタイルにも目を注いでくださり感謝します。主の喜ばれる生活習慣に導いてください。過度なストレスから解放してください。アーメン

Iコリント5

「新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。」Iコリント5:7 過越の祭りの時には、種無しパンを食べました。 それと同じように、パン種(イースト)を取り除いた状態でいるよう勧めています。 この文脈でのパン種は、悪い影響を及ぼすもの、罪深い習慣を指しています。 別の文脈では、パン種がふくらませるもののたとえで用いられています。 それぞれの文脈で理解しないと、逆の意味で受けとり混乱するかもしれませんね。 キリストが十字架にかかり、恵みのわざを行ってくださったのですから、 悪い混ぜ物がないよう、教会も、自分の心も見張り、気づいたらすぐ悔い改める者となれますように。 祈り:神様、十字架の恵みを感謝します。きよい者とされましたから、罪深い習慣を繰り返すことがないよう、聖霊様どうぞ助けてください。互いに戒め、互いに建て上げ、キリストの身体として教会に集います。アーメン

Iコリント4

「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。」Iコリント4:1~2 「キリストのしもべ」というのは「召し使い、家来」のイメージが浮かびます。 しかし「神の奥義の管理者」というのは、イメージしにくいかもしれません。 そんなに大切なものの管理を任されるなんて、と。 しかし、実際はそうなのです。 神様から福音を分かち合うことを委ねられているという特権を、どれほど味わっているでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に管理者として福音をゆだねてくださったことを受けとります。その宝物を忠実に管理し、分かち合うことができるよう、管理者の資質を訓練してください。今週も導いてください。アーメン

Iコリント3

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」Iコリント3:16 神の同労者として、私たちは神に召されています。 そして土台はイエス・キリストです。 私たちは土台の上にたてられた神の宮(建物)だと聖書は述べます。本当に、聖霊が住んでくださる宮なのです。 その宮をどんな素材で建てるか、どうメンテナンスするかが、私たちにゆだねられています。 祈り:神様、あなたの宮を建てる者として、心を整えてください。主の御霊をないがしろにすることがありませんように。与えられた特権、神の子としての身分に感謝します。アーメン

Iコリント2

「それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。」Iコリント2: 人間のことを知っているのは人間の霊、同じように、神のことは神の霊だけが知っている(11節)とあります。 つまり、聖霊以外には神のことを正しく啓示できる方はおられないということです。神の深みさえも探られる、というのはすべてを知る、神そのものだと言えます。 このお方が、私たちのカウンセラーとして導いてくださる幸いを得ています。 何でも相談し、孤独な時にも理解者が周りにいない時にも、神ご自身が共にいて離れないと言ってくださいます。 夏休みに、もし自分だけが取り残されたと感じるなら、そこに聖霊様も残ってくださっていることを覚えましょう。いつも以上に、深く濃密な交わりを持つことができますように。 祈り:神様、私が寂しい時や孤独な時に、あなたがいつも共にいてくださることに感謝します。私の導き手、カウンセラーとしていてくださる聖霊様に相談しながら、尋ねながら今日も歩みます。一日の力を与えてください。アーメン

Iコリント1

「神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」Iコリント1:21 「神が愛なら、なぜ人間を自動的に救わないたのか」という問いの答えがここにあります。 それは神の知恵ゆえです。 人の宣教のことばを通して救われることにされたのです。 神がそれでよいとされたのだから、「なぜなのか」と人が口を挟む権利はありません。 もっとも、「なぜ人の宣教のことばを通すのか」という疑問には、神様の愛の性質ゆえのヒントがあります。 それは、神が人と共に働くことを望まれたからだと推測できます。 人を愛するがゆえに、人を通してご自身のわざをなさろうとしておられるのです。 主は今日、私を通して何をしたいと望まれているでしょうか。それに応答する準備ができていますか。 祈り:神様、あなたのわざが行われるために、私を用いてください。あなたが導かれる場所に今日行き、主に聞きながら歩めますように。アーメン

ローマ16

「主にあって労苦している、トリファイナとトリフォサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。」ローマ16:12 ローマ教会の様々な人の名があがっています。 私たちにとって、「自分の名が呼ばれる」のは特別なことです。 「あなたがた」と言われるより、私の人格が認められた思い、私という個人が覚えられている思いがします。 父なる神様は、私たち一人一人の名を呼んでくださいました。 主に覚えられていること、私という存在が肯定されていることに感謝します。 祈り:神様、あなたが私の名を呼び、選び、救い出してくださいました。報いは主から来ることを覚えて感謝します。アーメン

ローマ15

「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」ローマ15:13 礼拝の祝福の祈り(祝祷)でも時折引用される聖句です。 ここにあるように、 喜びと平安で満たされるような信仰 希望にあふれさせるような聖霊の力 を、神様は私たちに与えることができます。 なぜなら神は希望の神だからです。 喜び、平安、希望がないなら、神様が受け取ることができるようにと呼びかけておられる時です。 祈り:神様、あなたに私の目と心を向けたいです。喜び、平安、希望が、信仰により、また聖霊の力によって与えられることを信じます。不安と諦めで生きている多くの方が、主にある希望に触れることができますように。アーメン

ローマ14

「なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」ローマ14:17 お互いにさばかないこと、信仰の弱い人を受け入れることについての勧めが続きます。 飲食は、日々の生活で大切なものです。教会で、おいしいものを共に食べることはとても嬉しく、感謝です。 そして、神の国は食べたり飲んだりの次元以上のもので満ちています。 聖霊による「義」「平和」「喜び」とは、どれほど価値があるかということです。 この地上で行う飲食や生活習慣、文化様式の違いはそれに比べたら小さいものです。 少し違うからといって、さばきや差別の気持ちが起こるなら、それは主を喜ばせるものでないということを覚えましょう。 祈り:神様、私をさばきの心から守ってください。聖霊に照らして正しいことと、私の基準で正しいと思い込んでいることとを判別できますように。寛容な心を与えてください。アーメン

ローマ13

「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。」ローマ13:8 これまで多くの宣教師が人生をささげ、その地に仕え、教会を建てました。 困難の中でその地の人たちを愛し続けることは、神からの召しに対する本人の応答がなければできません。 互いに愛し合うことは、どれだけしてもし過ぎることはないとこの節は語ります。 それが律法の要求を満たすことになるというのです。 それは、同時に実行するのがいかに難しいかを示しているとも言えます。 最後まで愛し抜いてくださったキリストの姿、そしてそれに倣う宣教師やクリスチャンの愛の生き方に、学び倣うことができたらすばらしいですね。 どこから始めることができるでしょうか。 祈り:神様、あなたの愛の大きさには、とうてい及びません。でも、あなたの愛を味わい感謝し、流し出していこうと願うことから始めたいです。まず身近な人に愛を表すことができますように。アーメン

ローマ12

「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。 わたしが報復する。』主はそう言われます。」ローマ12:19 「リベンジ」という言葉を聞きます。よい意味にも悪い意味にも使います。 よい意味では、失敗してもあきらめず、もう一度挑戦することです。 悪い意味では、嫌いな相手に恨みを晴らす、仕返しするということです。 聖書は、「復讐は神にゆだねなさい」と教えます。 それは相手のためではなく、自分のためでもあります。 怒りを晴らしても、今度は自分が恨まれる側になってしまい、真の解決はありません。 神の解決にゆだねることが、結局は自分を守り祝福を受けることになります。 赦しの力も、また神からの賜物です。 祈り:神様、____さんをなかなかゆるすことができません。あなたの力で、怒りを手放すことができるよう助けてください。あとのことはあなたにゆだねます。アーメン

ローマ11

「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」ローマ11:29 ユダヤ人の選びのことを述べていますが、神の選びは私たちにも当てはまります。 「わたしがあなたがたを選んだのです」(ヨハネ15章)とイエス様は言われました。 救いは神の恵みによります。そして、神の賜物と召命は取り消されることがありません。 心が揺らぎそうになっても日々この事実を確認し、歩んでいきましょう。 祈り:神様、あなたは救いを取り消されないという寛大さに感謝します。今信仰が揺らぎそうになる____さん、____さんのために祈ります。神がどれほど大きなお方かに気づきますように。アーメン

ローマ10

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」ローマ10:9 救いはただ恵みによります。私たちがよいことをしたからとか、立派な人格だからとかではありません。 その上で、私たちの選択、意思表示を主は求められます。 プレゼントを「受けとりますか」と聞かれて「はい、ありがとう」というか「いいえ、結構です」というかは受け取る側にゆだねられています。 救いは無条件に差し出されているのですが、キリストを救い主と信じるかどうかは私たちの応答です。 そして、受けとりますと答えた人を、決して神は忘れられません。 祈り:神様、あなたの救いの恵みに感謝します。昨日のキャンプで応答した人たちを、主が覚えてくださることに感謝します。私たちもたゆまず主のわざに励むことができますように。アーメン

ローマ9

「このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。」ローマ9:24 神のあわれみを表す器として召し出されたというのは、何という恵みでしょうか。 パウロは生粋のユダヤ人でしたが、異邦人に遣わされました。 そこには国籍や年齢、性別などに関係なくどんな人でも救われるという、神からの確信と誇りがありました。 私たちは日本という国で福音の恵みを受けています。 そして、高齢の人にも、子どもたちにも、この福音に力があることを信じています。 子どもデイキャンプが、集う子どもにも付き添う大人にも、主の恵みが伝わり喜びがあふれる時となることを信じます。 祈り:神様、キャンプを福音の恵みでおおってください。聖霊に導かれ、大人も子どもも喜ぶ時となりますように。事故やけがから守られ、天候も支えられますように。アーメン

ローマ8

「しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。」ローマ8:9 肉ではなく御霊のうちにいるという約束は、すぐには信じられないかもしれません。 しかし、イエス様は「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです」(ヨハネ17章)と祈られました。 キリストの霊が住んでいる人は、外見ではわからなくても霊的には全く違う次元の恵みを与えられています。 キリストとともに歩む恵みの深さ、広さ、高さをじっくり思い巡らしたいと思います。 祈り:神様、あなたのものとされている恵みが、もっとよくわかりますように。霊を敏感にしてくださり、主の思いを私の思いとできますように。明日の子どもデイキャンプを聖霊様が導いてください。アーメン

ローマ7

「私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。」ローマ7:18 「今度こそ」と思ってもまた失敗した経験がありますか。 余計なことを言ってしまったり、お酒や甘いものがやめられなかったり、悪習慣を断ち切れなかったり・・・。 恐らく、多くの人が自分の意志の弱さを体験していることでしょう。 自分の決心や思いだけでは正しくなれないことを、パウロは7章で説明しています。 罪からの解放はイエス・キリストによるしかありません。 そして、それを信じる人にキリストの霊である聖霊が働かれる時、聖霊による自由を私たちは受け取ることができます。 祈り:神様、どうしようもない私の性質や習慣である____に聖霊の解放を与えてください。イエス・キリストこそ解決であり解放であることを信じ、拠り頼みます。アーメン

ローマ6

「 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。」ローマ6:11 もし「自分は救われているのだろうか」「信仰があるのだろうか」と不安になったとき、このみことばに立つようにというメッセージを、幼い頃から何度も聞きました。 いつもこの箇所を読むと、語られた牧師の顔が浮かびます。 そして、「認めなさい」は勘定書の計算のように、感情にかかわらずそうなっているのだ、ということを思い出し、安心します。 罪の奴隷の行き着くところは死ですが、神の奴隷の行き着くところは永遠のいのちです(20~22節)。 すばらしい約束に感謝します。 祈り:神様、あなたに従うとは、永遠のいのちを見つめる道へと導かれることに感謝します。すでに与えられている約束を確認しながら今日も歩ませてください。誘惑や余計な声から私をお守りください。アーメン

ローマ5

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ5:5 心が沈んで晴れない、ということがあります。 体調だったり、気がかりな事柄だったり、差し迫った危険だったりと、原因はさまざまです。 その時の処方せんがローマ5章です。 「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。(3~4節)」 しりとりのように、 「苦難→忍耐→練られた品性→希望」 とつながっています。 今、自分はどこにいるだろうかと思いつつ、神の愛が心に注がれている情景を思い浮かべ、受けとる朝でありますように。 祈り:神様、私が何を手放し、何を受けとるか、正しく選択することができますように。あなたの愛、恵み、聖霊の新鮮な流れを受けとるために、思い煩いを主の元におきます。今日もあなたの恵みによって歩んでいきます。アーメン

ローマ4

「彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。」ローマ4:19 アブラハムには、祈りがなかなかきかれなくても神を信じ続ける信仰があり、それが義と認められました。 彼には主以外に頼るものはありませんでした。 子どもが与えられtない時もそうでしたし、住み慣れた地を離れて出ていくときもそうでした。 今孤独を感じますか?それは神に近づく時です。 だれも自分のことなど構ってくれないと思いますか?それは神に近づく時です。 祈り:神様、あなたが私を見捨てない方であることに感謝します。孤独を感じている人に、あなたの計り知れない愛が覆いますように。アブラハムのように、神を信じる信仰を与えてください。アーメン

ローマ3

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」ローマ3:23~24 神がお一人なら、世界中の人にとって同じ神であるはずだ、とパウロは言います。 確かにその通りです。 パウロはかつて極右派ともいえるパリサイ人でした。ユダヤ人至上主義で、行いと律法により救いを目指していました。 そのパウロが、ここまで平等主義を叫んでいるのはなぜでしょうか。 それは、イエス・キリストに出会ったからです。 そして、自分がどれほどみじめな罪人かを悟ったからです。 今、自分に自信がなく、みじめで劣等感にさいなまれているなら、 イエス・キリストはそんな人のために救いをもたらしてくださったことに感謝します。 祈り:神様。どの国や家族に生まれても、今がどれだけみじめでも、キリストにあって恵みを受けることができて感謝します。噂に惑わされず、聖書に根ざしてとりなし祈ることができますように。 カムチャツカの被災地に、主の愛と励ましが届きますように。アーメン 祈り:神様、私に先入観や差別意識があるなら、どうか取り扱ってください。どんな人にもあなただけが神であり、福音が必要です。 世界で起こっている災害や戦争の解決が、キリストにあってもたらされますように。アーメン