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Ⅱテサロニケ2

「その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。」Ⅱテサロニケ2:8 昨年からヨハネの黙示録をゆっくり読んでいます。 悪の力が悪あがきをするものの、最終的には神によって滅ぼされること、キリストが勝利をとっておられることを改めて学んでいます。 テサロニケ人への手紙第二にも、これからのことがはっきり書かれています。 「不法の者」が惑わしと悪を行います。 しかし、主イエスが必ず勝利を取ってくださいます。 だから安心していることができます。 「霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください(2節)」とある通り、心を騒がせず、むしろその時を期待し待ち望む私たちでありたいと思います。 祈り:神様、さまざまな不安や惑わしがあふれています。その中で、主イエスから目を離さないでいることができますように。不要な恐れや不安に陥ることなく、あなたの勝利の約束を信じ続けられるようお守りください。アーメン

Ⅱテサロニケ1

「苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。」Ⅱテサロニケ1:7 イエス・キリストがもう一度来られる時には、裁きも伴います。 キリストを救い主として信じる人にとっては喜びの日となりますが、 神を神として認めず、福音を受け入れなかった人はその罪の報いを受けることになります。 その時の準備はどのくらいできていますか。 「もう少し待ってほしい」と福音を伝えたかった人への伝え残しがあると思うなら、そうならないうちに福音を分かち合いたいです。それにどう応答するかは、相手の問題です。私たちにゆだねられている分を果たすことができますように。 祈り:神様、___さん、___さんに福音を分かち合う機会を与えてください。永遠のいのちを得て、ともに主の御国に入りたいです。導いてください。アーメン

Ⅰテサロニケ5

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」Ⅰテサロニケ5:16~18 有名な箇所で、暗証聖句として覚えている人もおられると思います。 しかしもし18節後半がなく 「いつも喜んでいなさい」 「絶えず祈りなさい」 「すべてのことにおいて感謝しなさい」 だけなら、これ以上厳しい道徳訓はないでしょう。 あまりにも厳しい基準に、ほとんどの人にとっては無理な戒めになります。 しかし最後に「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」 とあります。 私たちが「キリスト・イエスにある」ことで、キリストの力が覆い、肉でなく聖霊の力で導いてくださるのです。 たとえ失敗しても、再びキリストにあって歩み続ける機会が日々与えられています。 テサロニケの人たち、2千年にわたる教会の歴史の中のクリスチャンも同じような葛藤を覚え、それでもキリスト・イエスにあって歩んできたという事実に励まされます。 祈り:神様、あなたの助けを感謝します。生きていると思いがけないこと、悲しいこと、自分ではどうすることもできないことの連続です。その中で、「キリスト・イエスにあって」喜び、祈り、感謝することができる恵みを覚えます。今週も導いてください。アーメン 祈り:

Ⅰテサロニケ4

「眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。」Ⅰテサロニケ4:13 「眠っている人たち」とは、主を信じて地上の生涯を終えた信者のことを指しています。 人間の致死率は100%です。事故・災害であれ病気であれ、または老衰であっても、やがては肉体の死を迎えます。 しかし、永遠のいのちを与えられた者には望みがあります。 それは、キリストが再び来られる日にもう一度会えるということです。 「すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。 そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。 こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(16~17節) 何という慰め、何という希望でしょうか。葬儀を済ませて終わりではないのです。 まだ続きがあり、再会の望みがあります。 祈り:神様、愛する人を見送った人たち、そして私自身にも希望を与えてくださり感謝します。キリストを信じて、永遠のいのちを与えられた者の恵みを覚えます。どうか私の周りの___さん、___さんが主を知り、永遠のいのちを得ることができますように。アーメン

Ⅰテサロニケ3

「こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。」Ⅰテサロニケ3:7 パウロはテサロニケ教会の人たちの信仰から慰めを受けました。それは、困難の中でもイエス・キリストから離れないという信仰でした。 たびたび迫害を受け、獄中にもいたパウロにとって、同じような困難の中で主を見上げ続ける人の存在は大きな慰めでした。 今も、ある人の信仰が、他の人へ慰めを与えることがあります。 被災地となった地域の教会やクリスチャンが、次の被災地のために祈り行動することもその一つです。 闘病した信仰者が、闘病中の人のよき友、祈り手になります。 家族を失った信仰者が、喪失体験をしている人に最も近く寄り添います。 3章の終わりで感謝の祈りがささげられています。 今日はその祈りを私たちの祈りとしたいと思います。 祈り: 「私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。」(12~13節)

Ⅰテサロニケ2

「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」Ⅰテサロニケ2:4 「Just Between Us(ジャスト・ビトウィーン・アス)」という、クリスチャン女性のための雑誌を30年来愛読しています。 雑誌の創立者であり、自らも牧師夫人であるジル・ブリスコー先生が書いておられた一文を、しばしば思い出します。 それは、「人前に立つとき、大勢の前でメッセージやあかしをするとき、ただひとりの聴衆に対して語るように・・・そのひとりとは、主ご自身です。私たちは、神様の評価だけを気にするのです(意訳)」というものです。 人がどう思うか、私たちはつい批判や賞賛が気になります。 しかし、福音の分かち合いはもちろん、日々の行動や決断も、それが神を喜ばせるものかどうかが判断基準となれたら幸いです。 なぜなら、日々の暮らしも、平凡な時も、すべて神様が与えてくださったものだからです。 祈り:神様、あなたと共に今日も歩みたいです。自分で何かを判断する前に、あなたがどう思われるか、心の中で祈って聞くことができますように。あなたが喜んでくださる方向に今日も導いてください。 また、今日は阪神淡路大震災から30年です。 私たちの地も共に揺れあちこちに被害がありましたが、神戸や淡路の地域のひどい被害には言葉を失いました。 格別にあなたの慰めと励ましが、地域と人々と教会にありますように。 トラウマで苦しむ人に、主の深い平安をお与えください。 主の希望の光を注いでください。アーメン

Ⅰテサロニケ1

「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」Ⅰテサロニケ1:6 今日からテサロニケ人への手紙に入りました。 第一テサロニケは、昨年の木曜集会で1章ずつ読み、味わった箇所です。 迫害や苦難の中にいるクリスチャン、教会に宛てて書かれました。 くじけそうになる状況にもかかわらず、この手紙は「いつも喜んでいなさい」と勧めています(5章)。 1章でも「多くの苦難の中」にあったことがわかります。 しかし、彼らは「聖霊による喜びをもって」みことばを受け入れました。 喜びは自分の感情や状況の悪化に左右されないものだというのです。 そして、聖霊が私たちに与えてくれるものなのです。 疲れ落胆して喜びがなくなりそうな時、心を整えて聖霊の促しに耳を傾けることができますように。そこから、細い主の語りかけと深い静かな喜びが湧き出してくることを体験できますように。 祈り:神様、逆境にいる人たち、特にクリスチャンを励ましてください。聖霊による喜びが心に満たされますように。私自身も、どんな時でも聖霊の力に頼る習慣をわがものとできますよう、導いてください。アーメン

コロサイ4

「外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。」コロサイ4:5、6 教会に宛てていますから、 「外部の人たち」とはそこに集っていない人たち、つまりまだ救い主キリストに個人的に出会っていない人たちのことです。 その人たちに、「いつも親切で」「塩味の効いた」ことばで接するとことが勧められています。 難しそうですね。 でも、機会を与えるのも、知恵をくださるのも主ご自身です。 聖霊に満たされることを追い求めるなら、それらはすべて備えられ、導かれるのです。 ノウハウの研究も大切ですが、もっと大切なのは日々神に頼り、聖霊に導かれることです。 もし何かの理由で一時的に教会から離れている方がおられたら、主を共に見上げる群れである教会に、ぜひ再び足を向けてください。 ひとりでは折れそうでも、共に立つことで励ましと支えが与えられます。 祈り:神様、いつも共にいてくださり感謝します。あなたを見上げて歩みたいです。 初めて教会に来た方や久しぶりの方を、キリストの愛で歓迎します。主が心に語りかけお送りください。アーメン

コロサイ3

「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」コロサイ3:9~10 今週は寒波が一段落したものの、寒い日が続きます。つい着込もうとするのですが、分厚いフリースの上にぴったりした上着を羽織ると、窮屈で動きが不自由になり、かえって寒く感じます。 まずはフリースを脱ぎ、それから着込む必要があります。 コロサイ書は「古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて」と述べます。 私たちの古い性質は、すでにキリストと共に死んで葬られました。 そして「新しい人を着た」のです。 永遠のいのちと自由を得て、日々キリストによって新しくされる、すばらしい約束を着ています。 もう窮屈ではありません。 主にあって伸びやかに生きるように、キリスト第一の価値館に入れられています。 この自由を味わっているでしょうか。 祈り:神様、新しい人を着せてくださり感謝します。まだ古い人だけを着ているような錯覚に陥ったり、不信仰になったりする思いを変えてください。キリストにしたがって新しくされ続け、真の知識に至るという約束に感謝します。アーメン

コロサイ2

「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」コロサイ2:9 キリストにあって満たされている・・・何と素晴らしい宣言でしょうか。 しかし、私たちはすぐにこのことを忘れてしまいます。 肉の弱さ、疲れ、徒労感などがその原因かもしれません。 大人として歩む上での責任やプレッシャーもあります。 しかし、キリストの中にある神のご性質を見るとき、そこに望みがあります。 キリストの豊かさに希望をおき、今週も歩んでいきます。 祈り:神様、日々のプレッシャーと疲れをあなたのもとに置ける恵みを感謝します。 今日成人式を迎える多くの人たちが、生涯でキリストと出会うことができますように。アーメン

コロサイ1

「私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」コロサイ1:28~29 パウロは福音を伝える伝道者として大きな働きをしました。 しかし、初めての人に伝えるだけでなく、信仰者の成長のためにも労苦し、手紙を書き、時には厳しい言葉で叱責しました。 それは、信仰者が信じたところで漫然と満足してしまうのではなく、「キリストにあって成熟した者として」成長し歩むためです。 信仰者がパウロの姿にならい、同じように福音のわざに励むことを望んでいました。 そして、それは神様のみむねでもあります。 救われたらそれで十分だといって、あとは自分勝手に歩むというのは聖書的ではありません。 キリストの似姿を目指し(もちろん完全な方は主お一人ですが)、日々主を見上げ、生涯にわたって成長させてくださる神に従う決心を共にいたしましょう。 祈り:神様、救いの恵みを感謝します。救われてはいますが漫然とぬるま湯につかる信仰ではなく、あなたを熱く愛し、あなたに従ういきいきとした人生を歩みたいです。キリストを見上げ、信仰のレースを走ることができるよう、私の心に深い喜びと主からの情熱を与えてください。アーメン

ピリピ4

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6~7 「思い煩い」という言葉が聖書の中にどのように出てくるか、調べてみました。 新約聖書では、 ・マルタがイエス様のおもてなしにあれこれと気をもんで「思い煩った」こと(ルカ10章) ・種のたとえで、茨の中に蒔かれてこの世の「思い煩い」と富の誘惑でみことばがふさがれ、実を結ばない人のこと(マタイ11章、マルコ4章) ・心が放蕩や深酒や生活の「思い煩い」で押しつぶされていて、主の日が突然臨むことへの警告(ルカ21章) などに使われています。 心が主に定まらず、見えるところの心配であれこれ心が分裂していることのようです。 そして、もっとも大切なことに心を向けることができなくなっている状態です。 パウロは「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました(11節)」と言います。それは、彼がイエス・キリストの福音に心を定めていたからです。 私たちはどのようにパウロの姿勢にならうことができるでしょうか。 祈り:神様、私の心を乱すものは_______________________です。 今、その悩みのあれこれを、主の足元におきます。すべてがあなたのご支配の下にあることを信じます。私に信仰を増し加えてくださり、導いてください。アーメン

ピリピ3

「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」ピリピ3:20 イエス様はもう一度天から来られるという約束を、どのくらい楽しみに待ち望んでいるでしょうか。 マタイの福音書や黙示録に書かれている患難を思うと、かえって怖い思いがしていました。 しかしよく読むと、神様は患難までに救いの機会を何度も提供してくださっていること、キリストを信じるならどんな人でも救いに入れられることがわかります。 悪いニュースに振り回されず、主を信じれば救われるという希望に目をとめることが大切です。 「私たちの国籍は天にある」ーー天でキリストに出会い、信じる者が再会できると思うと、あの人、この人に会いたいと楽しみになってきます。 祈り:神様、キリストが今おられる天の御国で、やがて信仰者が共に再会し、主を賛美できる時が来ることに感謝します。阪神淡路大震災などの災害の遺族に慰めがありますように。豪雪の被害地域で除雪のために働いている人たちに守りがありますように。アーメン

ピリピ2

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 人間と同じようになられました。」ピリピ2:6~7 アドベントの礼拝でこの箇所が語られました。 キリストが天から降りて来られた神であり、その謙遜と従順の姿勢を学びました。 「~であるべき」「~でなければ」という先入観やプライドを捨てて、私たちのために地上に来てくださいました。 退職や一線から退くとき、あるいは試験に不合格だったとき、 私たちのプライドは砕かれます。 その心境をイエス・キリストが一番わかってくださるとしたら、何と慰められることでしょう。 それだけでなく、キリストは今父のみもとにおられ、喪失の中にある私たちに新たな召しも備えてくださっています。 その幸いを覚えます。 祈り:神様、あなたが私たちのどんな悩みもわかってくださいます。今、人生の空しさを覚える人がいるなら、主の深い慰めと新たな召しの希望を与えてください。キリストの姿勢にならい従う私たちとしてください。アーメン

ピリピ1

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、」ピリピ1:27 救いはただ福音の恵みにより、行いではなくプレゼントです。ただで、信じるだけで受けとることができます。 もっとも、聖書は救われたら好き勝手に生きてもよいとは言っていません。 救いの喜びをともに分かち合うこと、 そして福音にふさわしく生きることを勧めます。 「霊を一つにして堅く立ち」 「福音の信仰のために心を一つにしてともに戦う」 ことが、ピリピ書でも示されています。 日々、多くの祈りの課題があります。自分のことだけでなく、体調不良の人、家族に困難をかかえている人、仕事や学校でチャレンジを覚える人、世界の貧困や迫害・・・。 それらについてとりなしの祈りをするのは「霊を一つにして」「心を一つにしてともに戦っている」ことの表れです。 祈り:神様、周囲で起こる様々な問題や課題を、聞き流すのでなく都度祈りに代えることができますように。霊の家族を与えてくださり感謝します。互いに祈り合い、信仰を励まし合い、ともに建てあげることができるよう導いてください。アーメン

エペソ6

「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」エペソ6:11 子どもの頃アニメ番組で、戦いに行く前に一つ一つのスイッチを押し、「ガチャン」「ガチャン」と装備を整える場面を見たのを思いだします。 今も、スポーツ選手がユニフォームを着、靴ひもをしめ、サポーターをはめ、テーピングを巻いて試合に望む姿はなじみです。 聖書は、私たちも霊的戦いに備え、同じように神の武具を身につけることを教えています。 感謝なことに、武具はすべて神によって備えられており、私たちは頂いた武具を装着して望むことができます。 真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、信仰の盾、救いのかぶと、御霊の剣を、今日も装着して歩みましょう。 祈り:神様、あなたがくださる恵みの武具を、日々身に着けて歩ませてください。新年も本格的に始動します。思いがけないことが起こった時、その武具を用いて対応できますように。アーメン

エペソ5

「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」エペソ5:18~19 年末年始は親戚や仲間で食事をする機会が増えます。 お酒そのものが悪だという訳ではありません。 しかし、飲酒に依存し、歓楽街での遊びに依存するなら、健康や家庭に支障をきたします。 「酒の勢いに任せてやってしまった」という失敗の何と多いことでしょうか。 御霊に「満たされなさい」というのは「満たされ続けなさい」という意味です。 一度きりでなく、いつもいつも御霊の満たしを求め、主に向かって心からの賛美をささげる生活を、聖書は勧めています。 なぜなら、そこには真の満足があるからです。 私たちの霊が喜び、造られた本来の目的に立つことができるからです。 祈り:神様、あなたの与えてくださった私の霊も肉も、あなたが意図された目的にしたがって用いることができるよう助けてください。アーメン

エペソ4

「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」エペソ4:30~32 かつて頂いた本を改めて読み始めました。「21世紀の嫁と姑~クリスチャンの視点から」という、牧師夫人の書かれた自費出版の本です。 それを読むと、国を問わずどこでも、嫁姑のトラブルはライバル意識が根底にあるようです。 初代教会の女性たちにも、同じような葛藤はあったかもしれません。 聖書の勧めは、神によって赦されたという原点に立つことと、聖霊を悲しませるようなものは「捨て去りなさい」ということです。 誰かに対して苦い思いがあるなら、「一切の悪意とともに、すべて捨て去る」と神に告白し、助けを祈っていきましょう。 祈り:神様、あなたの前に___さんとの摩擦、葛藤を置き、悔い改めます。私の心から悪い思いを捨て去ることができるよう、あなたご自身のみわざでぬぐい取ってください。聖霊の働きに期待します。アーメン

エペソ3

「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。」エペソ3:16 新年が始まってまだ数日なのに、何かの原因でがっかりしているかもしれません。 思わぬハプニングやトラブルで休みたいのに休めない、そんなこともあります。 感情は心の表面で波打つ海のようです。 風が吹いてくるとさか巻き、波立ちます。 心の防御反応として怒りや腹立ちが起こることもあります。 そんな私たちの一番深いところに御霊が働かれるとは、何という希望でしょうか。 力ある方が、その力をもって失敗だらけの私たちを見捨てない、そして強めてくださるというのです。 その望みは素晴らしいですね。 祈り:神様、あなたの希望の約束を感謝します。私の内の深いところに御霊が今日も働いてください。私をあなたのものとしてください。アーメン

エペソ2

「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」エペソ2:10 恵みのゆえに、信仰によって救われた(8節)ーこれは人ではなく神から出たもので、神様からのプレゼント(賜物)です。 神様は、どれだけ私たちのことを愛し見つめてくださっていることでしょうか。 私たちが「神の作品(10節)」というのは、”work of art”(芸術作品)とも表現されています。 「非常によかった」と創世記の創造のわざで宣言された神様は、私たちを自らの芸術作品として慈しんでくださいます。 たとえ、私たちが失敗だらけだった、としてもです。 その作品がどのように良い行いをするかも、あらかじめ備えられています。 神様が今年備えておられるあなたにとって、私にとっての「良い行い」は何でしょうか。 祈り:神様、私を「神の作品」として造り愛してくださり感謝します。私にあなたが望まれている「良い行い」を受けとります。備えてくださったみこころに歩めますように。アーメン

エペソ1

「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」エペソ1:18~19 「心の目」が完全に見えたなら、キリストにある望みと祝福がどれほどのものであるかに圧倒されることでしょう。 もっとはっきり見たいと願い、そのために私たちは日々キリストを仰ぎ見ます。 たとえ肉の目では、雑事や悩みごとの満ちる世界が見えても、です。 初詣に行く人たちが、そこで熱心に願い事をしています。 何かを求めているのですが、その願いは自分の幸せ、自分の生きている範囲のことが多いようです。 毎年の風習だと見過ごすのではなく、求めている人がこれほどまでに身近にいることを受け止め、祈りたいです。 多くの日本人の心の目が開かれますように。永遠のいのちがどれほどの恵みか、心の目で見て知ることができますように。 祈り:神様、今年あなたの素晴らしさをより知ることができるよう、導いてください。キリストの救いの恵みと素晴らしさを分かち合う機会を与えてください。 身近な周囲の人たちのために、日々祈る心を与えてください。アーメン

ガラテヤ6

「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」ガラテヤ6:2 主にあって新年おめでとうございます。 新年から「重荷」ということばが出てきますが、 ここでいう「重荷」とは、良心・倫理的な事柄や弱さを指しています。 キリストにある主の家族として、弱さを互いに補い、支え合ってキリストに従う生き方をしようと勧められています。 信仰の歩みには、羊のように仲間が必要です。群れとして支え合い、キリストを先頭について行くなら安全です。ひとりでは迷い出てさまよってしまいます。 今年も、キリストに従う群れとして、共に歩む365日の旅路に期待します。 祈り:神様、今年の教会の歩み、一人一人の歩みに期待します。主が先頭に立ち、私たちを青草の牧場に導いてくださる幸いに感謝します。アーメン