ピリピ4

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6~7


「思い煩い」という言葉が聖書の中にどのように出てくるか、調べてみました。
新約聖書では、

・マルタがイエス様のおもてなしにあれこれと気をもんで「思い煩った」こと(ルカ10章)
・種のたとえで、茨の中に蒔かれてこの世の「思い煩い」と富の誘惑でみことばがふさがれ、実を結ばない人のこと(マタイ11章、マルコ4章)
・心が放蕩や深酒や生活の「思い煩い」で押しつぶされていて、主の日が突然臨むことへの警告(ルカ21章)

などに使われています。

心が主に定まらず、見えるところの心配であれこれ心が分裂していることのようです。
そして、もっとも大切なことに心を向けることができなくなっている状態です。

パウロは「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました(11節)」と言います。それは、彼がイエス・キリストの福音に心を定めていたからです。
私たちはどのようにパウロの姿勢にならうことができるでしょうか。

祈り:神様、私の心を乱すものは_______________________です。
今、その悩みのあれこれを、主の足元におきます。すべてがあなたのご支配の下にあることを信じます。私に信仰を増し加えてくださり、導いてください。アーメン