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黙示録19

「また、御座から声が出て、こう言った。『神のすべてのしもべたちよ、 神を恐れる者たちよ、 小さい者も大きい者も 私たちの神を賛美せよ。』」黙示録19:5 日曜礼拝の前半では、皆がそろって礼拝に参加します。子どもメッセージを聞き、ともに賛美をします。 年齢にかかわらず共に礼拝する姿は、天国の前味のようです。 御座から「小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ」という声が聞こえた時、 天国で同じ喜びの姿が見られるのだと思うと、何だか嬉しくなります。 そして、今の日常の中で、すでに同じような機会があることは感謝の驚きです。 祈り:神様、あなたをやがて御国で賛美するように、教会に集い礼拝できることに感謝します。赤ちゃんから100歳を越える人まで、主の前に共に集まる恵みを味わいます。アーメン

黙示録18

「彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫んだ。『わざわいだ、わざわいだ、大きな都よ。海に船を持つ者たちはみな、ここでその繁栄から富を得ていたのに、その都が一瞬にして荒れ果ててしまうとは。』」黙示録18:19 バビロン(神に反逆する繁栄や贅沢な都)は滅ぼされます。 しかも一瞬のうちに。 民や王たち、商人や船長、水夫たちも嘆きます。 なぜなら、彼らに儲けをもたらしていたものが消え去ってしまったからです。 お金や持ち物だけに価値を置いていた人たちには、すべてがなくなってしまったと感じられました。 神抜きで過ごしているなら、確かにそうです。 地上のどんなものも、永遠に続くことはありません。 しかし、福音を知っている者には望みがあります。それはお金では買えない救いと永遠のいのちです。 イエス・キリストと神のことばは変わりません。 そして、それこそが私たちの頼みであり、人生の希望です。 祈り:神様、Living Hope(人生の希望)という賛美を歌う時、あなたの元にいる安心と変わらない希望を覚えます。礼拝や集会で賛美する時、歌詞の意味をかみしめ、宣言することができますように。主の勝利と希望の宣言として賛美できるよう、私の口をゆだねます。アーメン

黙示録17

「彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。」」黙示録17:14 獣(サタン)におもねた地上の王は、子羊(キリスト)に戦いを挑みます。 しかし勝利は子羊にあります。 キリストは主の主、王の王です。 そして、主に従った人たちは子羊と共にいるというのです。 島流しされ、親しんだ教会や人々から切り離されたヨハネにとって、これは大きな希望と慰めだったでしょう。 そして、今の私たちにとってもこれは希望と慰めです。 すでに地上生涯を終えた信仰者と再会し、何より子羊イエス・キリストと共にその勝利にあずかることができると約束されています。 祈り:神様、あなたが与えてくださった希望を確認し宣言します。年度末で忙しい人、移動しなければならない人、疲れの出ている人に、主の希望と支えが与えられますように。アーメン

黙示録16

「また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。『今おられ、昔おられた聖なる方、 あなたは正しい方です。 このようなさばきを行われたからです。』」黙示録16:5 神を信じない者、冒涜する者に対してのさばきが行われます。 7つのさばきが出てきます。 ・悪性の腫れ物 ・海が血のようになる ・川と水源が血になる ・太陽の炎熱 ・闇 ・水が涸れる ・雷と地震、天変地異 出エジプト記のさばきと似たものがあることに気づきます。 旧約聖書でも、神のさばきは何度も悔い改めの機会があったのに悔い改めない、かたくなな人々に対してでした。神を信じる人は脱出への道が備えられていきました。 恐れるな、神が脱出の道を用意してくださっていることが、聖書のメッセージです。 祈り:神様、目に見えて起こる状況に怖くなるときがあります。でも、あなたに信頼していれば平安があることを学びました。どうか私の信仰を増し加えてください。アーメン

黙示録15

「主よ、あなたを恐れず、 御名をあがめない者がいるでしょうか。 あなただけが聖なる方です。 すべての国々の民は来て、 あなたの御前にひれ伏します。 あなたの正しいさばきが 明らかにされたからです。」黙示録15:4 キリストの御名を信じる者が天で賛美をささげる様子です。 地上では神のさばきが行われています。きっと大きな音が起こり、驚きと恐怖が反逆を続ける人にはあるでしょう。 それに比べ、主のみもとでは静かな、暖かい、そして深い平安のある光景が広がっています。 来るべき世界だけではなく、イエス・キリストを信じた者の心の中も同じだと思います。 外側には苦難や災難があっても、たましいは黙示録の描写のように深い平安が与えられています。 目に見える情報だけでなく、キリストにあるたましいの平安に意識を向けてみませんか。 祈り:神様、インターネットやニュースの情報、身辺の出来事ばかりに振り回されそうです。静まって、たましいの深いところに私の目を向けさせてください。キリストの福音によって与えられた平安と希望を、再確認できますように。アーメン

黙示録14

「また私は見た。すると見よ。白い雲が起こり、その雲の上に人の子のような方が座っておられた。その頭には金の冠、手には鋭い鎌があった。」黙示録14:14 天で権威を持っておられ、白い雲の上に座っておられる人の子が見えます。 その頭には金の冠~勝利とすべて支配される王としての輝き、 そして手には鋭い鎌~刈り取りに使われる道具、 がありました。 JS(中高生)キャンプが終わりました。 現地参加した人も、オンラインで共に参加した人も、祈りで支えた人も、主が良い方であることを改めて感じたことと思います。 すべての栄光と誉れを受け、地上にあわれみと義を実現してくださる方を知っているとは、なんという幸いでしょう。 価値観の揺らぐ世界にあって、変わらない主がおられます。 祈り:神様、私たちの人生の錨となり導いてくださることを感謝します。私たちが迷いそうになった時、あなたが私を造ってくださった目的を知り、変わらないお方に望みを置くことができますように。若い人も年配の人も、神様のデザインとご計画のうちに歩んでいく恵みに浸らせてください。アーメン

黙示録13

「ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。」黙示録13:18 美術や宝石の鑑定士と言われる人たちは、本物と偽物を鋭く見分けます。 知識のない素人にはわからない違いを見つけ、偽物を見破ることができます。 キリストを主と信仰する人には、同様に見抜く知恵が与えられます。 獣(サタン)は人々を惑わし、自分たちを拝ませます(1~17節)。 偽の三位一体に思えるような関係を作ります。 でも、すべては偽り、惑わしです。 6は完全数の7に足りません。つまり、なにかが欠けており、似てはいても偽りなのです。 この世には、心の空洞を埋めてくれるかのような快楽や物質があふれています。 しかしそれでは本当の満足は得られません。 主イエス・キリストだけが、私たちを満たしてくださる方です。 そして、その方が私たちに知恵を与え、悪から守ってくださるのです。 祈り:神様、この世の一時的な快楽に惑わされることがないようにお守りください。イエス・キリストだけが完全なお方です。カルトや偽りの縛りに人々が惑わされることがありませんように。アーメン

黙示録12

「兄弟たちは、子羊の血と、 自分たちの証しのことばのゆえに 竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも 自分のいのちを惜しまなかった。」黙示録12:11 天に戦いが起こり、竜とその仲間は勝つことができませんでした。 そうして、とうとう彼らは天から投げ落とされます。 竜は「古い蛇」「悪魔とかサタンとか呼ばれる者」、創世記3章でアダムとエバを惑わした者です。「全世界を惑わす者」とも表現されています(9節)。 一見恐ろしく思えるサタンは、神の国では敗北する存在です。 そして、キリストを信じる「兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った」のです。 キリストの勝利はすでに確定しています。 サタンに惑わされることがないように。 霊の目を開き、今日行われている主の力強いみわざと限りないあわれみを見いだす者でありたいと思います。 祈り:神様、目先の情報や状況に惑わされず、あなたのご性質に信頼し目を留めることができますように。今、春のキャンプに参加している人たちが、楽しい中にも祈り合える信仰の友と出会い、何よりも主と親しく出会い霊的に成長することができますように。アーメン

黙示録11

「第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。 『この世の王国は、 私たちの主と、そのキリストのものとなった。 主は世々限りなく支配される。』」黙示録11:15 黙示録を読み進めるにつれて、さばきや災害の描写が出てきます。 読む人に「こわがらないで、恐れないで」と声をかけたいです。 なぜなら、私自身が学生の頃、黙示録はよくわからない、恐ろしいという印象を抱いてしまったからです。 神に反逆する者に対してはさばきが行われます。 しかし、天では喜びの声が上がります。 地上にも、主キリストの素晴らしいご支配がやってきた、と。 そして、感謝と礼拝がささげられます。 当時は、この素晴らしい側面にあまり気づかず、悪へのさばきの記述ばかりが目に入っていました。 どこに目を留めるか、ということを問われているように思います。 天の御国と主の臨在に焦点を合わせ、礼拝する者となれますように。 祈り:神様、あなたの義と愛に感謝します。どんな時も恐れず、あなたのあわれみと守りに信頼できますように。この世の情報や楽しみに影響を受けやすい子どもや若い人たちが、主を知り主に目を留めることができますように。アーメン

黙示録10

「七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。『七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。』」黙示録10:4 ヨハネが記録しないようにと命じられた事柄がありました。 神様のご計画は、すべてが私たちにわかるわけではありません。 明らかにされていないこと、わからないことはそのまま受け止めるようにということです。 すべてがわからないと気がすまない、というのは、神様の偉大さを私たちのちっぽけな理性に押し込めようとしているのです。 わからないことは「わかりません」と素直に受け止める謙遜な者として歩めますように。 祈り:神様、理性や常識だけに頼ろうとする私の弱さを悔い改めます。あなたのはかり知れない素晴らしさ、偉大さをほめたたえ、信頼できるように導いてください。アーメン          

黙示録9

「また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。」黙示録9:21 いよいよ人に直接かかわる神のさばきが始まります。 洗礼を受けて間もない頃、 人類の3分の1が殺される(15、18節)とか、サソリのような尾と針を持ついなご(10節)とか、恐ろしい描写を読んでとても怖かったのを覚えています。 しかし、神のさばきは悔い改めへの招きだということを心に留める必要があります。 3分の2(多数)が殺されないというのは、異教の神々の伝説に比べるとずっとあわれみ深いそうです。 また、さばきはキリストを信じる者に向けてではありません。 悔い改めるよう、神が招き続けておられることに着目しましょう。 さばきは、繰り返しチャンスが与えられているのに頑固で悔い改めない人にとっては恐れですが、信じる者には神の正義が行われるのを見る時だと言えます。 祈り:神様、主を信じる者はどんな時にも恐れる必要がないという恵みに感謝します。 頑固に主を否む人たちの心が柔らかくされ、聖霊の招きに応答できますように。___さん、___さんの救いを祈ります。共にそろって永遠のいのちの恵みに預からせてください。アーメン

黙示録8

「香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」黙示録8:4 「また、別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。すると、たくさんの香が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇の上で献げるためであった(3節)」とあります。 そして、聖徒の祈りが香とともに献げられました。 祈りは目に見えません。しかし、ちょうど香のように、神の前に届いていることを確信させてくれます。 日々の祈りが、私たちが思っている以上に御国で意味のあるものだとしたら、小さい祈りでも、すぐにきかれなくても、あきらめずに祈ることを続けていきたいと思わされます。 祈り:神様、祈りが届いているという信仰を与えてください。 私と家族のためには________、教会のためには________、友人知人のためには_______、日本や世界のためには_______を今日も祈ります。アーメン

黙示録7

「御座の中央におられる子羊が彼らを牧し、いのちの水の泉に導かれる。また、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」黙示録7:17 神様がやがて涙をぬぐってくださる、という希望は、辛い時の慰めです。 身体の痛みや病だけでなく、心の痛むことが多くあります。 いじめ、経済的な不足、みじめな思い、劣等感・・・。 そして、福音とあかしのゆえに白い目で見られ、異質とみなされ、迫害されることもあります。 でも、「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る」(詩篇126:5)のです。 地上では信仰者どうし励まし涙をぬぐいつつ、やがて成就するその約束に期待します。 祈り:神様、あなたは私の心の痛みを知っておられます。どうかあなたの慰めで癒してください。卒業と別れの季節です。変化の中で痛みを覚える人たちに、真の憩いと平安をもたらす福音が届きますように。アーメン

黙示録6

「すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。」黙示録6:11 子羊が封印を一つずつ解いていきます。 五つ目の封印が解かれると、神のことばと証しのために殺された人たちのたましいが見えました。 正しいさばきを望む彼らに、一人ずつ白い衣が与えられました。 彼らはもう少し休んでいるようにと言われます。 正しいさばきは必ずなされます。 しかし、神の時が来るまでは待つように言われることがあります。 待ちきれないでしょうか。 しかし、じたばたしても、人の怒りは神の義を実現するものではありません。 自分で復讐しようとせず、神に信頼し待つ者であれますように。 祈り:神様、あなたの正しい判断とさばきに信頼します。不条理や悪に、あなたの方法で報いてください。迫害され、苦難にある信仰者を今日もお守りください。アーメン

黙示録5

「彼らは大声で言った。『屠られた子羊は、 力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を 受けるにふさわしい方です。』」黙示録5:12 天の国の光景が続きます。 誰も開くことのできない巻物を開くことができるのは、ほふられた子羊であるイエス・キリストただお一人でした。 「力」「富」「知恵」「勢い」「誉れ」「栄光」「賛美」 これ以上の言葉にならない素晴らしさで、「大声で」ほめたたえる声が聞こえます。 厳粛な中にも、主を賛美する感動と喜びがあります。 私たちの礼拝も、同じ思いでささげることができますように。 祈り:神様、御国に行くまでも、この地上で礼拝することができて感謝します。私の心が、今日も主を喜び、主に喜ばれるものとなりますように。アーメン

黙示録4

「二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。『主よ、私たちの神よ。 あなたこそ 栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。 あなたが万物を創造されました。 みこころのゆえに、それらは存在し、 また創造されたのです。』」黙示録4:10~11 諸教会へのメッセージが終わり、ヨハネの見た幻の描写が本格的に始まります。 主を賛美する生き物が「栄光と誉れと感謝」をささげるとき(9節)、信仰者の代表である長老たちがひれ伏し、礼拝しました。 なんと深い喜びと平安に満ちた光景かと思います。 天の国の様子を垣間見ることができます。 祈り:神様、私が主のみもとに行く日まで、御国を望みつつ期待しつつ地上の信仰生活を歩ませてください。今教会を離れている人に、主が決して離れず愛し続けてくださる方であると感じられますように。信仰のリバイバルを与えてください。再び共に礼拝し、祈り合うことができますように。アーメン

黙示録3

「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。」黙示録3:19 教会では、定期的に教会墓地の掃除をします。 墓地の内側は、鍵を開けないと掃除できません。 一昨日、いつものように訪れて中を見ると、いつになく汚れていました。 それは、一匹のヤモリが小さな隙間から入り込んでいたからでした。 壁や床の汚れをこすって拭き取るのに1時間近くかかりました! それでも、最後にはきれいになりました。 私たちの心も同じです。 心の戸を開けてキリストに照らしていただくと、汚れがよくわかります。 ヤモリのような小さなものでも、罪は心の全体を汚していきます。 その汚れを落とすには、罪の悔い改めによらなければなりません。 心の戸を開けて悔い改めた人には、 「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする(20節)」 というキリストの約束が待っています。 祈り:神様、心の中を探ってください。喜ばれないものがあるなら、主の光で照らし、悔い改めに導いてください。聖霊様が心を柔らかくしてくださり、あなたの御前に点検させてください。アーメン

黙示録2

「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」黙示録2:4~5 「初めの愛」はイエス・キリストが示してくださいました。 十字架の上ではもちろん、公生涯のあちこちにこのお方の愛が表れています。 中でも弟子たちの足を洗われた(ヨハネ13章)は印象的です。 足を洗うというへりくだりの姿勢を見せてくださり、 私たちも「互いに足を洗う」よう、そして「互いに愛し合いなさい」と教えてくださいました。 今日、悔い改めてする「初めの行い」とは何でしょうか。 祈り:神様、キリストが示してくださった「初めの愛」に感謝します。この愛が与えられた恵みを思い起こし、キリストの足跡にならう者とさせてください。主の愛に応答し、______ができるよう、その機会と力とを与えてください。アーメン

黙示録1

「この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。『恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。』」黙示録1:17、18 8節では「わたしはアルファであり、オメガである」と書かれています。アルファは A、オメガはZのような文字で、やはり「初めと終わり」を示しています。 ヨハネに幻を見せてくださった主は、「初めであり終わりである」方で世々限りなく生きておられ、すべてを知っておられます。 そして、主を信じる者には「恐れるな」と声をかけてくださる方です。 この方と共にいることが、私たちの安全の錨です。 「私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。」(ヘブル6:19) 祈り:神様、黙示録を信仰を持って読むことができるように導いてください。様々なデマや噂に振り回されず、主に期待し信頼できるよう助けてください。アーメン

ユダ

「しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」ユダ20~21 惑わしや間違った教えのはびこる中でも、振り回されず信仰に歩むようにという戒めは、今日いっそう当てはまります。 SNSやインターネットでは、ある記事を読むと、それに関連した主張や同じ方向性の読み物が表示されるようになっています。 偏った記事を読むと、似た立場の主張がどんどん目に入るようになるのです。 このような中で、惑わされないためには「聖霊によって祈る」ことです。 そして、福音以外の些細な習慣や意見の違いについては「神の愛のうちに自分自身を保つ」ことです。 祈り:神様、寛容に耳を傾けることを教えてください。些細なことで信仰の友と争うことがありませんように。ゆずれない福音と聖書の主張と、個々の事情により適用できるものとを見分ける洞察力を、聖霊によって与えてください。アーメン

Ⅲヨハネ

「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」Ⅲヨハネ2 誰かのために祈る時、このように祈ることができたら幸いです。 ヨハネは「私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません(4節)」と書いています。 彼はイエス・キリストが弟子の足を洗い言われた、「あなたがたは互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)という命令を鮮明に覚えていたことでしょう。 そして、それを実践していったことが読み取れます。 私たちも、このイエス様の命令を実践する者となれますように。 祈り:神様、私たちが互いに愛し合い、励まし合えるよう、私にキリストの愛と寛容の心を増し加えてください。東北地方の方々に寄り添い祈る心を与えてください。アーメン

Ⅱヨハネ

「だれでも、『先を行って』キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。」Ⅱヨハネ9 ファッションでもテクノロジーでも、「先を行って」いる人や企業がありいます。時代の変化に敏感で良いことととらえられます。 しかし、信仰については「先を行く」教えには要注意です。 キリストの福音は2千年前から変わりません。 そして、救い主はイエス・キリストただお一人です。 それに混ぜ物をするなら、間違った教えです。 時流にのった福音伝達の方法には敏感でありたいですが、福音の中身、「キリストの教え」には固くとどまることが大切です。 祈り:神様、キリストの教えからそれることがないよう、私たちと教会を今日もお守りください。様々な教えがはびこるこの世界で、福音の伝え方やアプローチは変わっても、キリストは変わらないお方であり、唯一の救い主であることからぶれることがありませんように。アーメン

Ⅰヨハネ5

「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」Ⅰヨハネ5:14 祈りが聞かれないのは不信仰ゆえだろうか、と思うことがあります。 「考えずとにかく信じなさい、祈りなさい!」という説教を聞くこともあります。 しかし、その祈りがみこころでなかったら? 神がもっと良い計画を持っておられるのに、反する祈りをしていたら? 神は愛ゆえに、私たちの文字通りの祈りを聞かないでおられるということもあります。 だから、「神のみこころにしたがって」祈っているのかどうか、その吟味ができるようにと願うことも大切な祈りだと思うのです。 あの人と同じようなきかれ方はしない。けれども、主の最善のご計画が私の人生を通して表される、という信仰が与えられますように。 祈り:神様、自分勝手な祈りや思い込みを一方的に願うのではなく、 あなたのみこころは何ですか、と聞く信仰を与えてください。 あなたの御手にあるよいご計画に信頼します。アーメン

Ⅰヨハネ4

「私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。」Ⅰヨハネ4:10 一番大切なものをあげたのに、相手が全く気づかず不機嫌なままだったら、残念に思います。 どれほど価値のあるものかを知ってほしいと思います。 もし神の愛がイエス・キリストの来臨と十字架の死で表されているのに、多くの人々がこれほどの愛に気づかないとしたらどうでしょう。 神は忍耐強く待っておられます。 私たちはその価値と愛の大きさを伝えることができるよう、祈りたいです。 祈り:神様、御子イエスキリストを地上に送ってくださり感謝します。十字架で示された愛を覚えます。今年もイースター前のレントの期間(40日前〜)に入りました。主の愛の足跡を黙想する時となるよう導いてください。アーメン

Ⅰヨハネ3

「この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。」Ⅰヨハネ3:17 混迷する世界情勢、私たちの周りにいる困っている人々のために、私たちは何ができるでしょうか。 ある人は直接支援の働きやボランティアとして召されます。ある人は後方支援や他分野からの貢献をします。 そして、ささげる召し、祈る召しを受ける人もいます。 「この世の材を持ちながら」と17節は語ります。 お金は神の喜ばれるように用いるなら、悪いものではありません。 神の愛と恵みへの応答として、もう少し大胆にささげることができるかもしれません。 「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。(18節)」 祈り:神様、あなたの愛を流し出す者として、一歩進んでどのような行動ができるか示してください。アーメン

Ⅰヨハネ2

「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。」Ⅰヨハネ2:10 兄弟愛について考えさせられます。 一番身近な肉の家族、あるいは霊の家族である教会の兄姉は、親しいだけに自分の自我が出やすく、ぶつかりやすいものです。 信仰の成長をはかるバロメーターと言えるのだと思います。 「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。」(第二ぺテロ1:5~8) 祈り:神様、親しい家族や信仰の友を愛することができますように。忍耐と自制と愛がキリストによって備えられることに感謝します。互いにゆるし合い、祈り合い、尊重し合い、建て上げ合うことができますように。アーメン

Ⅰヨハネ1

「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」Ⅰヨハネ1:7 疲れると、一人で静かな所に行きたくなります。 イエス様もそうでした。 ひとり退いて父なる神の前に静まり、祈られました。 そして、父から癒しと新しい力とを頂き、再び多忙な日々に戻られました。 休息と静まりはとても大切です。 それは、「光の中におられる神」と親しく交わり、 歩み方を点検し、 イエス様が罪からきよめてくださる方であることに信頼し、 その癒しと力により「互いに交わりを持つ」よう導かれるためです。 祈り:神様、年度末の時期で、別れや行事が多く人と会う機会が増えています。嬉しいこともありますが、非日常で疲れを覚えることもあります。主の元に静まり、新たな力を頂くことができますように。アーメン

Ⅱペテロ3

「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」Ⅱペテロ3:9 神の忍耐は、私たちの比ではありません。 私たちは、神がなぜ世界の悪も私たちの周りの悪人も、すぐに滅ぼさないのだろうと思います。 しかし、それは同時に私たちも滅ぼされかねないことを意味します。 知らずに人の心を傷つけたことがあるなら、相手にとって私たちは悪人だと言えるからです。 だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでくださる主の忍耐と寛容さに、ただただ感謝します。 祈り: 神様、あなたの忍耐と寛容さに感謝します。私が_________さんの心を傷つけたこと、また知らずに傷つけていることを赦してくださいい。あなたのあわれみに感謝します。世界のあちこちにある争いが終息し、平和が来ますように。アーメン

Ⅱペテロ2

「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。」Ⅱペテロ2:20 ぺテロの手紙は、偽教師や偽預言者に注意するようにと書かれました。 純粋な信仰をなくすことがないように、との思いから、厳しいことばもあります。 キリストの救いを忘れて離れていく人はもったいないなあと思います。 もっとも、私たちが忘れても、主は忘れることがありません。 悔い改めて戻るなら、豊かにあわれんでくださいます。 祈り:神様、今信仰が弱っていたり、離れたりしている人を覚えて祈ります。 主の恵みがわかりますように。十字架の愛を思い出すことができますように。 心を刺されて立ち返り、恵みとあわれみの中で人生を歩むことができますように。アーメン

Ⅱペテロ1

「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。」Ⅱペテロ1:5~8 信仰に徳、知識、自制、忍耐・・・そして兄弟愛、愛を加えるように、とは、何と深く、信仰の歩みが刺激的で意味深いかと思います。 もう到達したと思っても、まだまだ愛のなさ、忍耐力の欠如に気づかされます。 そしてそこから、「いっそう励みなさい」というみことばの励ましを受けます。 祈り:神様、もうできたと早合点して失敗する者です。______のことで至らなかった私を許してください。これからの信仰の歩みも、謙遜かつ主にあって前向きに進みたいです。一歩一歩導いてください。アーメン

Iペテロ5

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」Iペテロ5:7 このことばを、今週も何度繰り返したことでしょう。思い煩いやすい者なのです。 しかし、思い煩いに心をとらわれている暇はありません。 なぜなら、私たちは霊的な戦いに出て行き、キリストの名にあって勝利するよう招かれているからです。 「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。」(8~9節) 恐れる必要はなく、ただその場に身を置き、主の勝利の力で対抗することが求められているのです。 祈り:神様、いつもキリストの名には勝利があることに感謝します。思い煩いに心を向けようとさせる悪の力に対抗します。聖霊による心の一新によって体勢を整えさせてください。アーメン