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黙示録1

「この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。『恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。』」黙示録1:17、18 8節では「わたしはアルファであり、オメガである」と書かれています。アルファは A、オメガはZのような文字で、やはり「初めと終わり」を示しています。 ヨハネに幻を見せてくださった主は、「初めであり終わりである」方で世々限りなく生きておられ、すべてを知っておられます。 そして、主を信じる者には「恐れるな」と声をかけてくださる方です。 この方と共にいることが、私たちの安全の錨です。 「私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。」(ヘブル6:19) 祈り:神様、黙示録を信仰を持って読むことができるように導いてください。様々なデマや噂に振り回されず、主に期待し信頼できるよう助けてください。アーメン *黙示録の通読後(4/3)は、「みことばの光」の通読表に従って読みます。

ユダ

「しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」ユダ20~21 惑わしや間違った教えのはびこる中でも、振り回されず信仰に歩むようにという戒めは、今日いっそう当てはまります。 SNSやインターネットでは、ある記事を読むと、それに関連した主張や同じ方向性の読み物が表示されるようになっています。 偏った記事を読むと、似た立場の主張がどんどん目に入るようになるのです。 このような中で、惑わされないためには「聖霊によって祈る」ことです。 そして、福音以外の些細な習慣や意見の違いについては「神の愛のうちに自分自身を保つ」ことです。 祈り:神様、寛容に耳を傾けることを教えてください。些細なことで信仰の友と争うことがありませんように。ゆずれない福音と聖書の主張と、個々の事情により適用できるものとを見分ける洞察力を、聖霊によって与えてください。アーメン

Ⅲヨハネ

「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」Ⅲヨハネ2 誰かのために祈る時、このように祈ることができたら幸いです。 ヨハネは「私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません(4節)」と書いています。 彼はイエス・キリストが弟子の足を洗い言われた、「あなたがたは互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)という命令を鮮明に覚えていたことでしょう。 そして、それを実践していったことが読み取れます。 私たちも、このイエス様の命令を実践する者となれますように。 祈り:神様、私たちが互いに愛し合い、励まし合えるよう、私にキリストの愛と寛容の心を増し加えてください。東北地方の方々に寄り添い祈る心を与えてください。アーメン

Ⅱヨハネ

「だれでも、『先を行って』キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。」Ⅱヨハネ9 ファッションでもテクノロジーでも、「先を行って」いる人や企業がありいます。時代の変化に敏感で良いことととらえられます。 しかし、信仰については「先を行く」教えには要注意です。 キリストの福音は2千年前から変わりません。 そして、救い主はイエス・キリストただお一人です。 それに混ぜ物をするなら、間違った教えです。 時流にのった福音伝達の方法には敏感でありたいですが、福音の中身、「キリストの教え」には固くとどまることが大切です。 祈り:神様、キリストの教えからそれることがないよう、私たちと教会を今日もお守りください。様々な教えがはびこるこの世界で、福音の伝え方やアプローチは変わっても、キリストは変わらないお方であり、唯一の救い主であることからぶれることがありませんように。アーメン

Ⅰヨハネ5

「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」Ⅰヨハネ5:14 祈りが聞かれないのは不信仰ゆえだろうか、と思うことがあります。 「考えずとにかく信じなさい、祈りなさい!」という説教を聞くこともあります。 しかし、その祈りがみこころでなかったら? 神がもっと良い計画を持っておられるのに、反する祈りをしていたら? 神は愛ゆえに、私たちの文字通りの祈りを聞かないでおられるということもあります。 だから、「神のみこころにしたがって」祈っているのかどうか、その吟味ができるようにと願うことも大切な祈りだと思うのです。 あの人と同じようなきかれ方はしない。けれども、主の最善のご計画が私の人生を通して表される、という信仰が与えられますように。 祈り:神様、自分勝手な祈りや思い込みを一方的に願うのではなく、 あなたのみこころは何ですか、と聞く信仰を与えてください。 あなたの御手にあるよいご計画に信頼します。アーメン

Ⅰヨハネ4

「私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。」Ⅰヨハネ4:10 一番大切なものをあげたのに、相手が全く気づかず不機嫌なままだったら、残念に思います。 どれほど価値のあるものかを知ってほしいと思います。 もし神の愛がイエス・キリストの来臨と十字架の死で表されているのに、多くの人々がこれほどの愛に気づかないとしたらどうでしょう。 神は忍耐強く待っておられます。 私たちはその価値と愛の大きさを伝えることができるよう、祈りたいです。 祈り:神様、御子イエスキリストを地上に送ってくださり感謝します。十字架で示された愛を覚えます。今年もイースター前のレントの期間(40日前〜)に入りました。主の愛の足跡を黙想する時となるよう導いてください。アーメン

Ⅰヨハネ3

「この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。」Ⅰヨハネ3:17 混迷する世界情勢、私たちの周りにいる困っている人々のために、私たちは何ができるでしょうか。 ある人は直接支援の働きやボランティアとして召されます。ある人は後方支援や他分野からの貢献をします。 そして、ささげる召し、祈る召しを受ける人もいます。 「この世の材を持ちながら」と17節は語ります。 お金は神の喜ばれるように用いるなら、悪いものではありません。 神の愛と恵みへの応答として、もう少し大胆にささげることができるかもしれません。 「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。(18節)」 祈り:神様、あなたの愛を流し出す者として、一歩進んでどのような行動ができるか示してください。アーメン

Ⅰヨハネ2

「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。」Ⅰヨハネ2:10 兄弟愛について考えさせられます。 一番身近な肉の家族、あるいは霊の家族である教会の兄姉は、親しいだけに自分の自我が出やすく、ぶつかりやすいものです。 信仰の成長をはかるバロメーターと言えるのだと思います。 「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。」(第二ぺテロ1:5~8) 祈り:神様、親しい家族や信仰の友を愛することができますように。忍耐と自制と愛がキリストによって備えられることに感謝します。互いにゆるし合い、祈り合い、尊重し合い、建て上げ合うことができますように。アーメン

Ⅰヨハネ1

「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」Ⅰヨハネ1:7 疲れると、一人で静かな所に行きたくなります。 イエス様もそうでした。 ひとり退いて父なる神の前に静まり、祈られました。 そして、父から癒しと新しい力とを頂き、再び多忙な日々に戻られました。 休息と静まりはとても大切です。 それは、「光の中におられる神」と親しく交わり、 歩み方を点検し、 イエス様が罪からきよめてくださる方であることに信頼し、 その癒しと力により「互いに交わりを持つ」よう導かれるためです。 祈り:神様、年度末の時期で、別れや行事が多く人と会う機会が増えています。嬉しいこともありますが、非日常で疲れを覚えることもあります。主の元に静まり、新たな力を頂くことができますように。アーメン

Ⅱペテロ3

「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」Ⅱペテロ3:9 神の忍耐は、私たちの比ではありません。 私たちは、神がなぜ世界の悪も私たちの周りの悪人も、すぐに滅ぼさないのだろうと思います。 しかし、それは同時に私たちも滅ぼされかねないことを意味します。 知らずに人の心を傷つけたことがあるなら、相手にとって私たちは悪人だと言えるからです。 だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでくださる主の忍耐と寛容さに、ただただ感謝します。 祈り: 神様、あなたの忍耐と寛容さに感謝します。私が_________さんの心を傷つけたこと、また知らずに傷つけていることを赦してくださいい。あなたのあわれみに感謝します。世界のあちこちにある争いが終息し、平和が来ますように。アーメン

Ⅱペテロ2

「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。」Ⅱペテロ2:20 ぺテロの手紙は、偽教師や偽預言者に注意するようにと書かれました。 純粋な信仰をなくすことがないように、との思いから、厳しいことばもあります。 キリストの救いを忘れて離れていく人はもったいないなあと思います。 もっとも、私たちが忘れても、主は忘れることがありません。 悔い改めて戻るなら、豊かにあわれんでくださいます。 祈り:神様、今信仰が弱っていたり、離れたりしている人を覚えて祈ります。 主の恵みがわかりますように。十字架の愛を思い出すことができますように。 心を刺されて立ち返り、恵みとあわれみの中で人生を歩むことができますように。アーメン

Ⅱペテロ1

「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。」Ⅱペテロ1:5~8 信仰に徳、知識、自制、忍耐・・・そして兄弟愛、愛を加えるように、とは、何と深く、信仰の歩みが刺激的で意味深いかと思います。 もう到達したと思っても、まだまだ愛のなさ、忍耐力の欠如に気づかされます。 そしてそこから、「いっそう励みなさい」というみことばの励ましを受けます。 祈り:神様、もうできたと早合点して失敗する者です。______のことで至らなかった私を許してください。これからの信仰の歩みも、謙遜かつ主にあって前向きに進みたいです。一歩一歩導いてください。アーメン

Iペテロ5

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」Iペテロ5:7 このことばを、今週も何度繰り返したことでしょう。思い煩いやすい者なのです。 しかし、思い煩いに心をとらわれている暇はありません。 なぜなら、私たちは霊的な戦いに出て行き、キリストの名にあって勝利するよう招かれているからです。 「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。」(8~9節) 恐れる必要はなく、ただその場に身を置き、主の勝利の力で対抗することが求められているのです。 祈り:神様、いつもキリストの名には勝利があることに感謝します。思い煩いに心を向けようとさせる悪の力に対抗します。聖霊による心の一新によって体勢を整えさせてください。アーメン