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黙示録4

「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」黙示録4:11 天の国では、長老たちが主を礼拝していました。ひれ伏して、冠を御座の前に投げ出して、このように賛美しました。 私たちの地上の生涯が終わっても、それは天の国での始まりです。 私たちも長老に合わせて、主を礼拝するという期待と希望があります。 母の介護を通して、天への希望がある人生の素晴らしさと慰めを改めて覚えます。 祈り:神様、天の国での様子を黙示録を通して垣間見ることができ、感謝します。そこは素晴らしい恵みと豊かさに満ちています。地上で生かされている間も主の愛と守りがあり、天でも永遠のいのちの希望があることを、クリスマスの時期に多くの方が知ることができますように。アーメン

黙示録3

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録3:20 ある家を訪問して、「家の中が散らかっているのでちょっと待ってください」と、外で長い間待たされてたことがありますか。 思わず「そのままでいいですよ。それより、中に入れてくださるなら掃除を手伝いましょうか」と言いたくなったかもしれません。 イエス様が心の戸を「たたいている」とき、すぐに開けることができるでしょうか。 心の中を自分で片付けようとしても、うまくいきません。むしろイエス様に入ってもらい、片付けて頂くことが近道です。 どんなに散らかっていても、心の戸を開けて受け入れる人を、イエス様は喜んでくださいます。 「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。(19節)」 祈り:神様、混乱と不安な心に、イエス様が入ってくださって感謝します。イエス様が私の心を治めてください。アーメン

黙示録2

「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示録2:4 私たちは、ともすれば良いことはすぐに忘れ、不満や傷はずっと覚えています。 初めの愛…キリストを愛した愛、兄弟姉妹への愛、家族愛、夫婦愛…をどのくらい持ち続けているでしょうか。 イエス様は 「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい(5節)」 と言われます。 悔い改める柔らかい心を、主は喜ばれます。 何より、失敗してもやり直しができることに、愛と恵みを覚えます。 祈り:神様、私の心と態度を探ってください。批判的で疑い深いところを悔い改めます。初めの愛を思い出し、主の愛とあわれみを流し出す者となれますように。アーメン

黙示録1

「この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。『恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、』」黙示録1:17 ヨハネは信仰ゆえに迫害され、パトモス島に流されていました。 キリストはそんな彼に「恐れることはない」と声をかけ、見た幻を書いて諸教会に送るようにと言われました。 私たちは、目立たない者であっても、一線を退いても、弱くなっても、キリストから見放されることはありません。「恐れることはない」と声をかけ、主の働きに招いてくださいます。 祈り:神様、私の生涯が、どんな時も主に覚えられていることを感謝します。変わらない主と共に歩み、福音の恵みを味わい続けることができますように。アーメン

ユダ

「しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。」ユダ20 私の信仰はちっぽけだ、と思うことがありますか。 人に躓いたり、周囲の圧力にがっかりしたりします。 そのような時、信仰の原点はどこかを思い起こすことで助けられます。 神と自分の個人的な関係は変わりません。 その土台の上に自分自身を築き上げること、 また聖霊によって祈ることが勧められています。 うまく言葉にならなくても、聖霊がとりなしていてくださるのは慰めです。 そのことも、私たちの生涯の最後まで変わりません。 祈り:神様、いつも信仰の原点を思い起こすことができますように。聖霊が祈りをとりなしてくださることに感謝します。聖霊の助けと希望にに頼ります。アーメン

Ⅲヨハネ

「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」Ⅲヨハネ2 誰かのために祝福を祈る時、この聖句そのままを用いることができますね。 詩篇もそうですが、聖書の中には多くの祈りが出てきます。 それらは、私たちが祈るのを助けてくれます。 うまく祈れないと思う人がいたら、祈りを探しながら 聖書を通読するのも一案です。 祈り:神様、私のたましいが幸いを得ているように、すべての点で幸いを得、また健康であるようにお祈りします。そして他の人のためにも、同じようにとりなしの祈りができますように。アーメン

Ⅱヨハネ

「だれでも、『先を行って』キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。」Ⅱヨハネ9 目新しい教え、斬新な聖書解釈…。 目が開かれるように思うかもしれませんが、キリストがぼんやりしていたら要注意です。 聖書はキリストをあかししています。 いつもキリストにとどまることができますように。 祈り:神様、どんな時代になっても、福音のみことばは変わらないことを感謝します。私の生涯を通して、キリストのうちにとどまることができますように。アーメン

Ⅰヨハネ5

「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。この方は、水と血によって来られた方、イエス・キリストです。水によるだけではなく、水と血によって来られました。御霊はこのことを証しする方です。御霊は真理だからです。」Ⅰヨハネ5:5-6 「世に勝つ」とは何でしょう。 張り合って、成果を比べるのとは違います。それは世の基準だからです。 「世に勝つ」とは、世とは次元の違う、世を超越したスケールの解決があることだと言えます。 永遠のいのち、真理、神ご自身であるイエス・キリスト、その方の霊である御霊…。 この世のものでないお方が開かれた、永遠の確証と平安を、信じる者は持っています。 祈り:神様、この世にはいますが、この世に勝たれた方に頼って生きています。永遠のいのちと、永遠に目を留めるよう教えてくださったことに感謝します。私の目を、もっと霊的な次元に開いてください。アーメン

Ⅰヨハネ4

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」Ⅰヨハネ4:20 昨日に続き、当時の私にとっては心がどきっとするみことばでした。 いくら口先で立派なことを言っていても、目の前の兄弟を愛せないなら、神の前には不真実だということです。 そして神ご自身が、まず私たちに愛を見せてくださいました。 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(9節) 祈り:神様、あなたの愛を感謝します。私も口先だけでなく、愛を実践する人となれますよう導いてください。アーメン

Ⅰヨハネ3

「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。 」Ⅰヨハネ3:15 今の働きに入るずっと昔のことです。 教会の中で、ある人が辛く当たって来られました。 良い友だと思っていたのにショックでした。 ショックは怒りに変わり、その人を憎む思いにさえなりました。 その時、雷のようにこのみことばが心に響きました。 打たれた、といった方が正確です。 自分が罪人だとひしひし感じました。 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(16節)」 愛を与えてくださったイエ様に感謝します。 祈り:神様、あなたの愛を感謝します。あなたが私の罪を赦してくださったので、私も同じように人をゆるす者にしてください。あわれみ深く、寛容な心を与えてください。アーメン

Ⅰヨハネ2

「世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。」Ⅰヨハネ2:17 子どもたち、父たち、若者たち…と、闇から離れてキリストの光の中を歩むようにと招かれています。 夕暮れか早いせいか、一日が短く感じられます。 クリスマスも少しずつ視野に入り、すべきことがいろいろと出てきます。 でも改めて見直すと、どこまでが神のみこころなのでしょうか。 あれもこれも、良いことに違いありません。 その中で、神が私に「してほしい」と望まれていることを選び取るために、日々のデボーションで祈りみことばを受け取ります。 祈り:神様、あなたが私に望まれることに焦点を合わせさせてください。自分の肉の欲ではなく、神の国の基準を教えてください。アーメン

Ⅰヨハネ1

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」Ⅰヨハネ1:9 続く10節には 「もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません」 とあります。 つまり、どんな人も罪を犯しており、否定することはできません。 自覚しなくても人を傷つけることがあります。 そもそも、罪の性質のうちに生まれているのです。 しかし、神の解決があります。 神の前に罪を告白するなら、神は赦しきよめてくださいます。 こんなに単純化で簡単な方法なのに、これで大丈夫たのです。 神様の愛と気前の良さに驚きと感謝を改めて感じます。 祈り:神様、素直な子どものような心で、あなたに罪を告白します。私の至らなさ、足りなさを赦してください。気づかずに人を傷つけたことを赦してください。アーメン

Ⅱペテロ3

「しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」Ⅱペテロ3:8 神様は、時間を超越された方です。 私たちが思うような分針、秒針ではなく、神の時である「カイロス」で働かれます。 あの早とちりでせっかちなペテロも、神に仕える中で徐々に変えられました。 そして、 「また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです (15節)」  と、パウロや他の使徒たちと共に、忍耐を与えられ、神のカイロスの時を待つ者とされました。 あなたは今日、何を待っていますか。神の時を期待し、信頼していますか。 祈り:神様、私は_______のことを待っています。「いつまでですか」といらいらする心に、神の時を待つ力と忍耐を与えてください。アーメン

Ⅱペテロ2

「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。」Ⅱペテロ2:20 イエス・キリストと出会い、罪の赦しと永遠のいのちの約束を得たのに、再び罪深い暮らしに戻る人がいました。 ペテロはそうした人々に警告を発します。 ペテロ自身は、キリストが十字架にかけられる前、三度もキリストを知らないと言いました。 悔い改め、復活の主に赦された経験がありました。 「決してキリストから離れることなく」~彼のライフメッセージを、私たちも受け取ります。 祈り:神様、あなたの恵みと愛から離れないよう守ってください。誘惑や疑いの時には、みことばと聖霊により教えてください。アーメン

Ⅱペテロ1

「私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。」Ⅱペテロ1:16 この手紙を書いたシモン・ペテロは、主イエスの弟子として共に3年過ごしました。 イエス様が山上で栄光を受けられた時の目撃者でした。 ですから、彼は自分が体験したことをそのままあかししました。 私たちも、イエス様との出会いを個人的・人格的に体験しています。 そのあかしは借り物ではなく、力があります。 イエス様をあかしを通して紹介しましょう! 祈り:神様、私もあかしできるように導いてください。自分の体験はは小さなことに思えますが、主の愛と恵みがそこにあることを感謝します。主のご用のために用いてください。アーメン

Iペテロ5

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」Iペテロ5:7 日々の暮らしには苦労があります。 誘惑もあります。 それらの悩みを、自分だけで負わなくてもよいのは朗報です。 むしろ、自分で負ったままではつぶれてしまいます。 「身を慎み、目を覚ましていなさい。 あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回ってい( 8畝)」るからです。 心配してくださる神の元に避難し、悩みを主の足元に置きます、と宣言しましょう。 祈り:神様、あなたの元に憩います。私の悩みをそこに置きます。とりなしの祈りができますように。この週末の礼拝と行事を導いてください。アーメン

Iペテロ4

「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」Iペテロ4:10 賜物は、神が与えてくださいます。 それらが何のためかがよくわかります。 ・神の恵みを良く管理するため ・互いに仕え合うため と書かれています。 自分の栄光や自慢のためでなく、神と人の為に使うようにということです。 何が得意ですか?何に喜びがありますか? 比較する必要はありません。 自分に神がくださった賜物を、感謝しつつ神と人に対して使うなら、それが一番喜ばれることです。 祈り:神様、私にあなたが望まれる賜物を与えてくださり、感謝します。恵みの良い管理者として、また仕えるためにそれらを用いさせてください。アーメン

Iペテロ3

「同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。」Iペテロ3:7 妻と夫へのすすめが書かれています。 夫は妻を「尊敬しなさい」とあります。 エペソ人への手紙では、妻が夫に従うようにと書かれていました。 つまり、男女の優劣はないとわかります。 互いに尊敬し尊重しあって過ごすようにというのが、聖書の教えです。 教会でも、性差や年齢にかかわらず、互いを尊重し祈り合う関係が与えられて感謝します。 多様な者がキリストにあって集められ、建て上げられていきます。 祈り:神様、あなたがひとりひとりを愛しておられることを感謝します。個性の違う人との関係に、主の知恵と平和を与えてください。アーメン

Iペテロ2

「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」Iペテロ2:5 日曜日の礼拝メッセージで、第二のアダムとしてのイエス・キリストについて聞きました。 このイエス様が隅のかしら石(コーナーストーン)であり、土台を据える重要な方だとも。 6節にこうある通りです。 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」 それだけではありません。 私たちも、霊の家の生ける石として共に連なることができます(5節)。 キリストを救い主として信じた人は、祭司として主の素晴らしい働きに参加できます。光栄なことですね。 祈り:神様、あなたの恵みを感謝します。キリストについて行く者として、健康的なセルフイメージを持つことができますように。今日も主と共に歩ませてください。アーメン

Iペテロ1

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」Iペテロ1:8   「見ずに信じる人は幸いです」と、イエス様はおっしゃいました。 弟子トマスが、イエスの復活を信じられなかった時のことでした。 地上を歩まれたイエス・キリストと、今物理的に顔を合わすことはできません。 それでも、世界の多くの人たちはイエスと人格的に出会い、信じ、喜んでいます。 それは彼が今も生きて働く主だからです。 祈り:神様、イエス・キリストが私の主であるという「栄えに満ちた喜び」を覚えます。やがて実際にお会いする日を待ち望みつつ、今日も祈りつつ歩ませてください。アーメン

ヤコブ4

「あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。」ヤコブ4:15 私たちの明日がどうなるか、誰にもわかりません。 急な病気や事故、災害など、思ってもみないことが起こります。 母の突然の入院を経験すると、余計そのことを感じます。 計画を立てていても、うまくいかないこともあります。 「主のみこころであれば」という祈りを毎夜寝る前にささげる幸いを覚えます。 祈り: 神様、あなたのみこころで生かされていることに感謝します。明日もあなたの思いに合わせた一日を私が送ることができますように。アーメン

ヤコブ3

「私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。」ヤコブ3:2 人間関係の親しさとトラブルとは、どちらもことばにまつわることが多いと言えます。 ことばに励まされ、ことばにつまずくことが多い私たちです。 私たちはみな、多くの点で過ちを犯す存在です。中でも、ことばの用い方には注意が必要です。 ことばの持つ力を覚え、失敗した時にはすぐに悔い改め、謝ることができますように。 神の助けによってことばを清く用いることができますように。 祈り:神様、私は不用意なことばを口にしてしまうことがあります。悔い改めます。心身の疲れが、知恵の足りない言葉にもつながります。今日もう一度、主の前に安息します。新しい一週間を、聖霊の力と動機によって再出発することができるよう整えてください。アーメン

ヤコブ2

「同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。」ヤコブ2:17 信仰の自然な現れとして、神や人に喜ばれることをしたくなります。 あるいは誰かのために祈りたいと思います。 偽善ではなく、聖霊によって招かれるのです。 神の働きに共に参加する特権に預かっています。 祈り:神様、私を心から造り変えてくださるあなたの働きを感謝します。柔和で親切、喜びに満ちた義の実を、心にも行いにも結ばせてください。アーメン

ヤコブ1

「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」ヤコブの手紙 1:21 ヤコブの手紙は、信仰の実践編だと言えます。 ピリッとする香辛料のように、生ぬるい信仰生活に活を入れてくれるようです。 今朝起きて、心にかかることがありますか? 思い煩いさ迷い続ける心も、人を赦せない思いも横に置き捨て、みことばを素直に受け入れる者となれますように。 祈り:神様、私の信仰生活を再点検します。マンネリになっていることを示してください。聖書の真理に従うことができますように。アーメン

ヘブル13

「兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らずに御使いたちをもてなしました。」ヘブル13:1-2 教会にも、旅人がよく来られます。 ある人は礼拝や集会に参加されます。 そして、「歓迎されている、ホスピタリティーを感じる」と言ってくださるとき、教会がこのみことばを実践しているのだと思います。 そこには、水汲むしもべとして労をとる人たちがいます。 知らずに、今まで何人もの天使をもてなしたことでしょう。 今日も午後から宣教チームを迎えます。 どうぞお祈りください。 祈り:神様、あなたの送られる主の使いをもてなすかもしれません。主にあって、実際に接する者とともに、祈りで仕える者に喜びと祝福で報いてください。イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン

ヘブル12

「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。」ヘブル12:11~12 当時はキリストを信じる人への迫害が強かった時代でした。 それでも、血を流し、すべての罪を担ってくださった、キリストほどの経験はしていません。 また、試練はただの苦しみではなく、後に平安の実を結ぶための過程であることにも励まされます。 これで終わりではないのだ、という希望が与えられています。 祈り:神様、今試練の中にある兄弟姉妹を励ましてください。私自身も主にある希望を頂きます。目を上げてあなたを待ちます。栄光を表してくださることを信じます。アーメン

ヘブル11

「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。」ヘブル11:8 信仰の偉人として、尊敬する人物は誰ですか? 旧約時代にも、信仰によって歩んだ人々がいました。 アブラハムもそのひとりです。 行き先は知りませんでしたが、神に信頼して故郷を離れ、旅に出ました。 私たちの人生も旅のようです。 これからどうなるか、正確には誰も自分でんかりません。 でも、神が導いてくださると信じて旅を続ける、その信仰を神は喜んでくださいます。 祈り:神様、あなたを信頼します。私の今日の歩みがあなたに喜ばれる信仰の一歩となりますように。アーメン

ヘブル10

「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。」ヘブル10:23 信仰が揺らぐ経験がありますか? そんな人たちに向けて、今日の箇所は励ましと秘訣を与えます。特に次の3つは、今日から実践できます。 一つは、動揺せず福音の希望を告白すること。(23節) また、孤立せず信仰者のが互いに励まし合うこと。(25節) 「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」 さらに、神の時を待ち、忍耐強くあること。(36節) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」 祈り:神様、すでにキリストが完成してくださった、福音の恵みを忘れないように助けてください。信仰の友と励まし合い、忍耐をもって互いに建て上げます。今日もあなたに信頼します。アーメン

ヘブル9

「まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」ヘブル9:13-14 旧約時代には、祭司が動物の血を携えて罪の赦しを乞いました。何度も何度もその繰り返しでした。 キリストの血は動物の何千倍、いや無限の力があります。 ただ一度十字架で流されれば、時代も場所も越えて私たちにも効力が及びます。 今も変わらない福音の真理を、何とかしてひとりでも多くの方が知り、永遠のいのちの希望を持つことができますように。 祈り:神様、キリストのあがないの力は無限大です。日常のご利益ではなく、永遠の次元に及ぶものです。 このダイナミックで素晴らしい福音に、周囲の方の目が開かれますように。アーメン

ヘブル8

「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」ヘブル8:10 外側の律法でしばられていた当時の人々に、もっと大切なことを述べます。 それは、イエス・キリストにある新しい契約です。 表面を繕うのではなく、心に書かれた契約であり、主の民とされるということです。 この約束は、今日の。ヘブル(ユダヤ)人でない私たちにも有効です。 キリストを知る者は、主の民とされ、心から自由にされます。聖霊が私たちをガイドしてくださるから、今日も安心、平安です。 祈り:神様、主の民としてくださり感謝します。今年もあと2ヶ月になりました。恵みを思い巡らしつつ、聖霊と共に歩み期待します。アーメン