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コロサイ2.

「バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。」コロサイ 2:12 洗礼式で「誰でもキリストの内に あるなら」という賛美をします。 その中に「古きは過ぎ去り すべてが新しい 主の内にあるなら すべてが新しい」という歌詞があります。 キリストとともに古い自分は葬られ、新しく罪赦された者としてよみがえらされました。 それは、キリストが私たちの罪のために十字架で死んで葬られ、三日目に死の力を破ってよみがえられた、救いのわざによります。 祈り: 神様、洗礼式を思い起こします。当時はよくわからなかったけれど、改めて主の十字架の死と復活の内に救われたことを覚えて感謝します。アーメン

コロサイ1

 「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。」コロサイ1:6 神の恵みを本当に理解していますか? このように問われて、一瞬戸惑いました。理解していると思っていても、もっと深くもっと広い神の愛、神の恵みです。 でも、今私が知りうる限りにおいて、神の恵みの福音は、私の周囲でも、世界中でも、実を結んで成長しています。 恵みを知れば知るほど、福音はもっともっと素晴らしいものだとわかることでしょう。 祈り:神様、あなたの愛と福音の恵みにもっと気づき、知ることができるよう導いてください。アーメン

ピリピ4

 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6~7 自分自身を見ると、思い煩うことの何と多い者かと驚きます。一つが解決すると次の問題が出てきます。 まるで心の中に「思い煩い」の部屋が予約されているようです。 パウロは「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました(11節)」と言いました。パウロほどの苦難を通っても感謝をささげ、牢に入れられても賛美することができる秘訣とは、 「感謝をもってささげる祈りと願いによって、願い事を神に知っていただく」ことです。 私たちはどのようにパウロの姿勢にならうことができるでしょうか。 祈り:神様、私の心の中にある思い煩いは、自分だけで解決しなくてよいことに感謝します。あなたに願い、祈り、すべてがあなたのご支配の下にあることの幸いを覚えます。 信仰を与えてください。希望を与えてください。アーメン

ピリピ3

 「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」ピリピ3:20 パウロは人間的な標準ではエリートと呼ばれる人でした。 しかし、地上のものよりも天にあるものの価値に目を留めるよう勧めました。 最も素晴らしいことは、キリストにあって罪が赦され、天の国籍を持っているということです。 天でキリストに出会い、主を信じる者が再会できると思うと、希望が与えられます。 祈り:神様、キリストが今おられる天の御国で、私たちも主に会い、友と再会の喜びを分かち合えることに感謝します。アーメン

ピリピ2

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 人間と同じようになられました。」ピリピ2:6~7 キリストには、先入観やプライドがありませんでした。 私たちのために地上に来られ、限界のある人間の姿になり、十字架にかかってくださいました。 退職したとき、試験に失敗したとき、 怪我や老いで動けなくなったとき… その心境をイエス・キリストが一番わかってくださるとしたら、何と慰められることでしょう。 祈り:神様、私たちのどんな悩みもわかってくださり感謝します。今、人生の空しさを覚える人がいるなら、主の深い慰めと新たな希望を与えてください。アーメン

ピリピ1

「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、」ピリピ1:27 救いは恵みにより与えられます。行いではなくプレゼントです。信じるだけで受けとることができます。 福音の恵みを味わえば味わうほど、「福音にふさわしい」生活がしたいと願わされます。 たとえ白髪になっても、病気や認知症になっても、信仰者は神の栄光を表すことができます。 教会に集う信仰の先輩たちが、その姿を見せてくれました。 祈り:神様、私の生涯をもってあなたの栄光を表したいです。私は弱くても、福音の恵みに預かったものとして主の素晴らしさを反映させてください。アーメン

エペソ6

「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」エペソ6:11 スポーツ選手はユニフォームを着、靴ひもを結び、サポーターをはめ、テーピングを巻いて試合に望みます。 聖書は、私たちも霊的戦いに備え、同じように神の武具を身につけることを教えています。 感謝なことに、武具はすべて神によって備えられており、私たちは頂いた武具を装着すればよいのです。 真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、信仰の盾、救いのかぶと、御霊の剣を、今日も装着して歩みましょう。 祈り:神様、あなたがくださる恵みの武具を、日々身に着けて歩ませてください。思いがけないことが起こった時も、その武具で守られることに感謝します。アーメン

エペソ5

「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」エペソ5:8 「光の子ども」として歩める幸いを覚えます。 敬老礼拝では「いくつになっても背負ってくださる神様」(イザヤ46章)のメッセージがありました。 高齢でも、幼くても、私たちは主にあって「光の子ども」とされました。 その幸いを覚えます。 祈り:神様、主にあって光に照らされ、神の子どもとされた恵みを感謝します。今日も、「光のこどもとして歩ませてください。アーメン

エペソ4

「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」エペソ4:30~32   聖書の勧めは、聖霊を悲しませるようなものは「捨て去りなさい」ということです。 誰かに対して苦い思いがあるなら、「一切の悪意とともに、すべて捨て去る」と神に告白し、助けを祈っていきましょう。 祈り:神様、私の心から悪い思いを捨て去ることができるよう、あなたご自身のみわざでぬぐい取ってください。聖霊を悲しませることがないよう導いてください。アーメン

エペソ3

「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。」エペソ3:16 感情は心の表面で波打つ海のようです。 風が吹いてくるとさか巻き、波立ちます。 心の防御反応として怒りや腹立ちが起こることもあります。私自身も、パニックになると怒りを感じる者です。 そんな私たちの一番深いところ、内なる人に御霊が働かれるとは、何という希望でしょうか。 力ある方が、その力をもって失敗だらけの私たちを見捨てない、そして強めてくださるというのです。 その望みは素晴らしいですね。 祈り:神様、あなたの希望の約束を感謝します。私の内の深いところに御霊が今日も働いてください。私をあなたのものとしてください。アーメン

エペソ2

「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」エペソ2:10 恵みのゆえに、信仰によって救われた(8節)ーこれは人ではなく神から出たもので、神様からのプレゼント(賜物)です。 神様は、どれだけ私たちのことを愛し見つめてくださっていることでしょうか。 「神の作品(10節)」というのは、”work of art”(芸術作品)とも表現されています。私たちは「アート」なのです。 「非常によかった」と創世記で宣言された神様は、私たちを自らの芸術作品として慈しんでくださいます。 神様のアートである私たちにとって、今日用意されている「良い行い」は何でしょうか。 祈り:神様、私を「神の作品」として造り愛してくださり感謝します。私にあなたが望まれている「良い行い」を受けとります。備えてくださったみこころに歩めますように。アーメン

エペソ1

「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」エペソ1:18~19 「心の目」で、キリストにある望みと祝福が見えたら、その素晴らしさに圧倒されることでしょう。 肉の目では、雑事や悩みごとの多い日々であっても、霊的にはそれが祝福への備えであることさえあります。 私たちは日々キリストを仰ぎ見て、霊の目を開いて頂きましょう。 祈り:神様、キリストの救いの恵みと素晴らしさをもっと知ることができますように。 今試練の中にあっても、望みを捨てずに歩ませてください。アーメン

ガラテヤ6

「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」ガラテヤ6:2 「互いの重荷」とは何でしょう。 ここでいう「重荷」とは、良心や、倫理的な事柄や弱さを指しています。 キリストにある信仰の家族として、弱さを互いに補い、支え合ってキリストに従う生き方をしようと勧められています。 信仰の歩みには、羊のように仲間が必要です。ひとりでは迷い出てさまよってしまっても、群れとして互いに支え合い、キリストを先頭について行くなら安全です。 祈り:神様、(        )さんと出会わせてくださり、信仰の家族となりました。感謝します。「互いの重荷」を負い合います。主が先頭に立ち、私たちを青草の牧場に導いてください。アーメン

ガラテヤ5

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」ガラテヤ5:16 「あなたはどのくらい、御霊によって歩んでいますか?」 と問われたら、「いつも、起きている間じゅう」と言えますか? 私たちは、ついつい肉の性質で動いてしまう者です。 御霊の働く領域を広げていただけるよう祈りましょう。 祈り:神様、私は______の時、御霊により頼むより自分の肉で反応しがちです。 どうか優しく導き、気づきを与えてください。私の霊の耳と目を開いてください。アーメン

ガラテヤ4

「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。」ガラテヤ4:7 律法の下ではなく、キリストの十字架の救いの下にあることが、どれほど素晴らしいか。 同時に、奴隷の身分から「子」になり、正式な相続権を持つ身分となったと言えます。 自由の素晴らしさを知ったら、また奴隷になりたいと思う人はいません。 しかし、私たちは時に律法的になったり古い肉の性質に戻ったりしてしまうことがあります。 神はそのこともご存知です。私たちの心に光を当て、気づきを与えてくださいます。 がっかりせず、聖霊による助けを求め感謝しましょう。 祈り:神様、私たちを一歩一歩導いてくださり感謝します。聖化の途上にある私たちです。私の心に光を当てて探り、聖霊が優しく気づきを与えてください。アーメン

ガラテヤ3

「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。」ガラテヤ3:24 聖書は、律法を必ずしも悪いものだとは言っていません。 それは罪を明らかにし、約束された神の救いが必要だということを人に示すから(NIV Study Bibleの解説)です。 律法は「養育係」です。 私たちがどこに行けば救われるのかを示します。 ですから、すでにキリストによって救われたのに「養育係」である律法に固執したり、パリサイ人のように律法的に人を判断しようとする姿勢がふさわしくないと言えます。 教会には様々な性格や境遇の人が来ます。自分と違うからといって避けたり裁いたりするのではなく、 「キリストを着」る(27節)者となれますように。 祈り:神様、あなたがキリストによりくださった救いと解放を感謝します。主にある自由を、教会で霊の家族と共に日々味わえますように。御国の相続人としてくださりありがとうございます。アーメン

ガラテヤ2

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」ガラテヤ2:20 ガラテヤ人への手紙の中心テーマが16節にあります。 「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められる」。 これをどれだけ受け取っているでしょうか。 ついつい自分の習慣、家族のしきたり、教会のいつものやり方、世間の常識と言われるものを押し付けてしまいます(自戒をこめて・・・)。 特に年末の慌ただしい時には、動いていないといけないような、じっと静まるのが悪いことのような錯覚に陥ります。 からみつく肉の性質を自覚しながらも、「もはや私ではなく、キリストが私のうちに生きておられる」と宣言します。 祈り:神様、私のうちにキリストが生きていてくださると認めます。 年末で忙しくしている___さん、___さん、そして置き去りにされたような寂しさを覚える人達に、平安がありますように。私たちの焦る肉の性質を取り扱い、あなたの安息を受け取らせてください。アーメン

ガラテヤ1

「人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、」ガラテヤ1:1 ガラテヤの人々に、パウロは自分をこのように紹介し始めます。 人間の努力や重用によってでなく、ただキリストと父なる神によって、自分が使徒として召されたのだ、と。 この章を読み進めると、パウロがこれまでの自分の歩みを書いているのがわかります。 かつてはクリスチャンを迫害していたこと。 救われてもその後、アラビアの荒野で訓練され、そしてようやくエルサレムに行ったこと。 自分のことは噂でしか知られていなかったこと、などです。 パウロは人に評価されることより、福音の恵みをただ伝えることに価値を置いていました。 私たちはいろいろなしがらみの中で生きています。 自分の働きが横取りされたり、正当に評価されなかったりということもあります。 仕事だけでなく、奉仕や兄弟姉妹のかかわりの中でも同じように感じることがあるかもしれません。 しかし、神がパウロをよく知っておられ、彼でなければできない働きに召されたように、 神は私たち一人ひとりをよく知っておられ、その人でなければできない働きに召してくださっています。 私にとって、あなたにとって、それはどんなことでしょうか。 祈り:神様、私の存在に価値があると言ってくださり、ありがとうございます。 あなたが私に望まれる生き方、奉仕へと導いてください。今日もみこころに沿った一日を生きることができますように。アーメン

IIコリント13

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」IIコリント13:13 いつも祝福の祈り(祝祷)で祈られるフレーズです。三位一体の神がともにおられることに感謝します。 祈り:神様、あなたがいつもともにいてくださること、決して私を見放さない方であることに感謝します。アーメン

IIコリント12

「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」IIコリント12:9 「弱さのうちに完全に現れる」恵み、「十分である」恵みがすでに注がれている、ということばは、慰めを与えます。 自分では克服できない弱さ、足りなさを認め、主に明け渡し、キリストの力がおおってくださるという約束を握って今日も歩んでいきましょう。 祈り:神様、今日もあなたの恵みを確認することができました。足りなさ、弱さを あなたの前に認めます。プライドを打ち砕き、あなたの力が現れる者としてください。アーメン

IIコリント11

「もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。」IIコリント11:30 祈り:神様、私は弱さだらけです。強がっていても、内面には弱さ、罪深い性質があります。 主が十字架ですべて背負ってくださり感謝します。今日も十字架のあわれみと恵みにすがります。アーメン

IIコリント10

「私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。」IIコリント10:6 一生懸命考えたのに自分の意見や主張が通らない時、悔しく思います。 でももし主の目に正しいなら、一番残念に思われるのは主だと言えないでしょうか。 そして、本当の正しさはキリストにあります。 主がご自身の義を表したいと願っておられるというのは、私たちが自分の思いが伝わらない時、却下された時の慰めです。 「自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。」(18節) 祈り:神様、自分の義に固執しないよう、私の心をへりくだりに導き守ってください。神の義がなされることを信じ期待します。アーメン

IIコリント9

「なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。」IIコリント9:12 その根拠はこれです。 「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。  『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる』と書かれているようにです。   種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。  あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。」(8~11節) 祈り:神様、与えることに積極的になれるよう、導いてください。あなたが感謝と必要を増し加えてくださることを信じる信仰を与えてください。アーメン

IIコリント8

「今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。」IIコリント8:14 献金についての教えが書かれています。 神にささげるものなのに、特定の人々のために使われているようにも読め、どういうことなのか?と思うかもしれません。ここは、教会の不足を補いあっています。 献金の本質は、神にささげるものです。 それは、神の共同体である教会を通して、神の働きのために用いられます。 ある部分は世界宣教に、ある部分は地域へのアウトリーチに、 ある部分は教会の運営とその必要のために、 そしてある部分は、主が助けたいと願われる人々を助けるために・・・。 教会のリーダーたちには、献金を適正に使う責任と霊性とが求められています。 祈り:神様、あなたのみこころに従いささげ用いられますように。礼拝として心をこめてささげ、あなたのみこころに応じて必要のために用いられますように。リーダーたちが真心と誠実をもって管理し用いていけるように、油を注いでください。アーメン

IIコリント7

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」IIコリント7:10 「悲しむ者は幸いです」と言われたイエス様のことばを思い出します。 悲しみにもいろんな種類がありますが、この7章に出てくるのは自分の罪を示されたゆえの悲しみです。 世の悲しみが悲劇的に終わるのとは違い、神のみ思いにかなう悲しみの結末は救いの喜びです。 クリスチャンも失敗します。それでも、悔い改めとやり直しの機会が与えられています。柔らかい心で戒めや助言を受け取る器かどうかを、主は見ておられます。 祈り:神様、失敗に気づいたらすぐ悔い改めることができるよう助けてください。あなたのみこころが何かを知ることができるよう、聖書のみことばと信仰の友の助言を受け入れる心を与えてください。アーメン

IIコリント6

「また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、」IIコリント6:8 ほめられたり好評だったりする時には、「よいあかしができた」と喜びます。 逆の時には「あかしにならなかった」と落ち込みがちです。 しかし、パウロは「そしられたり」「悪評を受けたり」することによっても、自分自身を神のしもべとして推薦している、と断言しています。 受け取る側の問題と、私たちが神のしもべとして歩んでいるかということとは別です。 くよくよしないで、祈りやみことばの中で示されたことを実践する者となれますように。 祈り:神様、人からの評価に左右されやすい者です。あなたが何を望んでおられるかを知りそれを行うことがしもべの務めです。あなたの願いを第一にできるよう、勇気と霊に歩むことを教えてください。アーメン

IIコリント5

「私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。」IIコリント5:2 励ましの言葉はかつての「終わらない冬はない」ではなく「終わらない夏はない」だ、というジョークを読みました。 肉体は弱く、外界の環境に左右されます。 聖書も「この幕屋」つまり肉体にあってうめき、「天から与えられる住まい」つまり永遠のいのちにある新しいからだを切望している、と語ります。 しかし、「この幕屋」から逃避するのではなく、保証としての御霊が与えられているのだから心強いと励まします。 暑いけれども心強い御霊が共にいてくださる、それを望みとして今日も歩みましょう。 祈り:神様、残暑の中で身体も弱りがちです。それでも、御霊が共にいてくださるから心強いと宣言します。今日も必要な体力と気力を主にあって与えてください。アーメン

IIコリント4

「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。」 「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」 IIコリント4:1、16 落胆から守られる約束を信じてお祈りしましょう。 祈り:神様、私たちの内なる人が日々新たにされていることを受けとります。外の疲れに左右されないよう、落胆から心を守ってください。アーメン

IIコリント3

「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」IIコリント3:17 自分のやり方や考え方がきゅうくつだと感じたら、「聖霊はどこにおられるのだろう」と自分の心に問いかけてみる必要があると思います。 おられるのに、自我の陰に隠してしまうことの多いことを覚えます。 祈り:神様、聖霊の臨在を意識せずに行動し発言してしまうことの多い者であることを悔い改めます。今日、聖霊の語りかけに耳をすますことができるよう、心も身体もお守りください。アーメン

IIコリント2

「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。」IIコリント2:14 厳しい残暑が続く中、スポーツで優勝したチームが地元で歓声とともに迎えられるニュースを見ました。 そのエネルギーに目を見張ります。 当時の軍隊は、勝利をおさめると凱旋行進をしました。 人々はそれを目にしていました。 パウロは、クリスチャンもキリストによる凱旋の行列に加えられていると語ります。 そして、キリストを知る知識の香りが、私たちを通して香っている、とも。 自覚がなくても「いつでも」なのです。私たちの体調や条件によらず、救われた者に備わる神の賜物です。 祈り:神様、キリストを信じた時から、救い主を知っているという知識の香りが放たれるようになったことに感謝します。 霊的には、今日も凱旋行列の中を歩んでいるということに感謝します。 暑すぎる日々、特に高齢の方に霊肉の守りを与えてください。アーメン