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マタイ27

「そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。『彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの子らに値積もりされた人の価である』」マタイ27:9 エレミヤ19:11、32:6-9、ゼカリヤ11:12-13がこの預言の引用箇所と思われます。 陶器師の畑を買い取ったこと、それが銀貨30枚だったことが語られています。 今日の私たちが旧約聖書から一部をつまみ食いのように拾い上げ、こじつけて解釈することは間違いです。 しかし、福音書を書いたマタイや聖書の記者たちは、神の霊感に導かれました。 そして、全体を読んでもそれは矛盾のないように組み合わさっています。 神の知恵と素晴らしさは人間の知恵を越えています。 細胞の中のナノ単位にも驚くべき世界が広がっているそうです。これもまた、神の知恵です。iPS細胞の山中伸弥教授にも「神がいると思えてしまう」と言わせるほどです(NHKスペシャル 人体3 第一集 命の源 細胞内ワンダーランド 2025.4.27放送)  祈り:神様、あなたの知恵、あなたのみわざは恐ろしいほどに素晴らしく、想像を絶するものです。過去、現在、未来にわたってあなたが全世界を支配しご計画を持っておられることに感謝します。その前にひれ伏します。アーメン

マタイ26

「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」マタイ26:28 聖さん式をするとき、いつも読まれる箇所です。 耳慣れた聖句ですが、どのくらい味わっているでしょうか。 契約の血は、イエス・キリストの生身に釘が打たれ、流された血によるものでした。 その象徴として、信じる者はぶどう液を頂きます。 次回の聖さん式では、ぶどう液をいつもに増して見つめ、ゆっくりと味わい、主の支払ってくださった罪の代価に思いをはせてみませんか。 祈り:神様、キリストの契約の血が流され、私たちの罪の代価が支払われ赦されたことを感謝します。いつも思い起こし恵みを忘れることがないよう助けてください。アーメン

マタイ25

「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」マタイ25:13 「天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます」(1節)とたとえが始まります。 5人は油をもっていませんでしたが、あとの5人はもっていました。 用意ができていること、備えができていることを「目を覚まして」と表現しています。 イエス様が今日来られるとしたら、用意はできていますか? それともあわてふためくでしょうか。 油の用意をしていた娘のようなら、平安にその日を迎えることができます。 祈り:神様、目を覚まして備えていられるよう、平安と主への信頼を与えてください。いつかはわからなくても、その日が必ずやってくると約束されていることに感謝します。落ち着いて生活できるよう、連休中に新年度の歩みを振り返り、あなたと過ごす時間をもっととりたいです。アーメン

マタイ24

「人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」マタイ24:31 イエス様が終末について話されます。惑わすものが多く出てくるけれども、心揺るがせないように。そして、イエス様が再び来られます。 黙示録でも似た光景が描写されています。 幼いころ、この部分の描写が怖くて読むのがきらいでした。 でも今は大丈夫です。 恐ろしそうに思えますが、イエス・キリストを救い主と信じる人にとっては、こわがる必要はないとわかったからです。 その日は究極の救いの日、完成の日です。 滅ぼされるのではなく、涙をぬぐわれ主と共に過ごす素晴らしい日です。 祈り:神様、イエス・キリストを信じる者にとっては、主が再び来られる日は喜びと賛美の日です。その日まで期待しつつ歩ませてください。アーメン

マタイ23

「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。」マタイ23:27 イエス様の厳しいおことばにはっとします。 偽善を行っていた人たちに対して、外側は美しくても内側は汚い「白く塗った墓のようなものだ」とおっしゃいました。 イメージが浮かびますね。 人の外側にあるものより内側が大切だ、と聖書は語ります。 もし心や考えに汚れたものが詰まりかけているなら、掃除が必要です。 悪魔が悪い思いや考えを持ってくるなら、神の武具(エペソ6章)で装備し、戦いましょう。 勝利はすでに主のものですから、私たちはその主の力に信頼するのみです。 祈り:神様、私たちの内側を照らしてください。喜ばれないものがあるなら取り除き、霊的な攻撃から守り、あなたの喜ばれることを思い実行するものとならせてください。今日のユース運動会が事故や怪我から守られ、よい交流の時となりますように。アーメン

マタイ22

イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主は、私の主に言われた。 「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。 わたしがあなたの敵を あなたの足台とするまで」』 と言っているのですか。」マタイ22:43~44 旧約時代の王、ダビデが主の霊によって預言していた聖句が引用されています。 ダビデの子孫ではあるけれどご自身こそ救い主キリストであることを、イエス様は明らかにされました。 マタイの福音書は、当初ユダヤ人たちに向けて書かれました。ですから、彼らが親しんでいた旧約聖書が多く引用され、確かに彼らが待っていたメシアが来られたのだと証ししようとしています。 今、私たちは日本で暮らしています。あるいは海外で日本語を使っているかもしれません。日本語を話す人たちにとってもイエス・キリストが救い主であることを、どのようにわかりやすく証しできるでしょうか。 祈り:神様、日本語を話す人たちに、聖書やイエス・キリストに関する情報が豊かに届きますように。私たちも等身大のあかしをしたいです。祈りと主の知恵によって備えさせてください。アーメン

マタイ21

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。 『家を建てる者たちが捨てた石、 それが要の石となった。 これは主がなさったこと。 私たちの目には不思議なことだ。』」マタイ21:42 祭司長やパリサイ人が見捨て殺したお方、イエス・キリストが救いの土台となられました。 惨めな姿にされ、ばかにされて十字架刑を受けられた方は、常識的には敗北者でした。 しかし、霊の世界においては旧約聖書の預言を成就し、神の救いの計画を成し遂げた唯一のお方でした。 見えるところでは、ただ殺され、墓に入れられ、三日目に遺体が行方不明になりました。 しかし、霊の世界においては、罪と死の力に勝利し、復活し、永遠の救いの道を開かれました。 見えるところや常識にこだわっているでしょうか。あるいは、神の思いがけない計画を受け入れる用意ができているでしょうか。 祈り:神様、私たちの目には不思議に思えるあなたの導きを、常識や先入観ではなく霊の目で見ることができるよう、助けてください。アーメン

マタイ20

「あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」マタイ20:14 夕方来て少しだけ働いた人にも、早朝から働いた人と同じだけ賃金を払うことについての、主人の見解です。 それは、主なる神様が気前のよいことを表しています。 気前のよい神様を味わっていますか? 祈り:神様、あなたの豊かさ、気前のよさに感謝します。私があなたのみわざを過小化することがないように導いてください。毎日があなたの守りのうちに備えられていることに感謝します。アーメン

マタイ19

「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になります。」マタイ19:30 競争心のある方ですか? それが励みになり、良いものを追求する動機になることもあります。 しかし、過度に比較すると、優越感や劣等感のとりこになってしまいます。 聖書は、天の国は先の者が後になり、後の者が先になることがあると語っています。 自分が先の者なら悔しいですが 後の者であることを思うと、主の恵み深さを実感します。 年下の人や信仰の間もない人がどんどん霊的に成長するのを、心から喜べる者となれますように。 祈り:神様、あなたの恵みとあわれみの深さに感謝します。互いの成長を喜びあえますように。アーメン

マタイ18

「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」マタイ18:19 昨日はイースターの幸いな礼拝でした。心を一つにして主を見上げ、礼拝をささげ、賛美をし、祈ることの恵みを実感しました。 イエス様は、祈りについて二人でも共に心を合わせるなら、父はそれを聞いてくださると教えてくださいました。 そして 「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです(20節)」と、イエス様ご自身も共にいると言われました。 一人で祈るのも恵みですが、二人、三人と共に祈るのは大きな励ましであり恵みです。祈りの友がいますか?互いに祈りあえる信仰の友は、どんなプレゼントにも勝る主の贈り物です。 祈り:神様、信仰の友を与えてくださり感謝します。同じ主を見上げて祈り合う時、信仰が励まされます。主が聞いていてくださることを信じます。アーメン

マタイ17

「『人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。』すると彼らはたいへん悲しんだ。」マタイ17:23 イースターおめでとうございます! 弟子たちはイエス様の死とよみがえりを聞かされても「たいへん悲し」みました。 理解できなかったからです。 しかし、イエス様はそれが神のご計画であること、そして悲しみで終わるのではないことをすでに知っておられました。 そして実際もその通りです。 イエス・キリストの復活が、二千年にわたって世界中で喜びと感謝の事実として祝われています。 私たちは主の復活と、それが自分に関係のあることだということを信じています。 「からし種ほどの信仰」(20節)だとしても、持てば永遠のいのちが得られるという恵みの中に生きています。 この恵みの大きさを味わいましょう。 祈り:神様、あなたの復活の力を感謝します。死を打ち破り、よみがえってくださり、永遠のいのちへの道を確かにしてくださって感謝します。イースターを兄弟姉妹と共に喜び、共に祝います!アーメン

マタイ16

「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」マタイ16:21 イエス様はご自身が十字架にかかられ、よみがえられることをすでに知っておられました。 また、ご自身がキリストであることも弟子たちに明らかにされました。 ふり返る時、弟子たちにはそのことが理解できました。しかし、この時にはあまりよくわからなかったようです。 今の私たちは、キリストの十字架と復活の意味が聖書によって明らかにされています。それを信じ受け入れるだけでよいという、恵まれた時代に生かされています。 明日はイースター(復活際)です。日本でもだんだんと知られるようになりましたが、お祭りとか年中行事と捉えがちです。 ひとりでも多くの人が、本当の意味と救い主を知ることができますように。 祈り:神様、イースターがなぜ素晴らしい記念日なのか、知らない人がほとんどです。自然な会話ややり取りの中で、福音を分かち合う機会を与えてください。アーメン

マタイ15

「『この民は口先でわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。 人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」」マタイ15:8~9 パリサイ人や律法学者たちに対して、イエス様はイザヤの預言を引用して厳しく叱責されました。 というのも、彼らがみことばの字面をとり、本質をねじまげて「神にささげたから父母にあげる物はない」というふうに曲解していたからです。 私たちが同じような偏りに陥らないよう祈りたいです。 自分の都合のよいようにみことばを解釈したり、働き人や兄姉の心からの忠告を聞き入れなかったりする者でなく、イエス様の前に心探られ砕かれた者となりますように。 そして、今日は十字架にかかってくださったイエス様を特に覚えて感謝します。 祈り:神様、あなたの前にへりくだることを教えてください。 みことばを受けとる謙遜さと兄姉の真心に感謝する心を与えてください。あなたの十字架の愛を覚えて感謝します。アーメン

マタイ14

「人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、十二のかごがいっぱいになった。」マタイ14:20 私たちは自分には少ししかない、無理だ、と言い訳をしがちです。 ちょうど「ここには五つのパンと二匹の魚しかありません」(17節)のように。 しかし、主はそれを用いて五千人以上を満足させたお方です。 小さなものを主のために差し出す時に、主は喜んでくださり、ご自身の力で用いてくださいます。 心のたんすの中にしまっているもので、何を主におささげできるでしょうか。 祈り:神様、私に与えられているものは、あかしも賜物も時間も持ち物も、全てあなたからのものです。私の____を、主の栄光のためにおささげできるよう、そして用いていただけますように。アーメン

マタイ13

「それは、預言者を通して語られたことが、成就するためであった。『私は口を開いて、たとえ話を、世界の基が据えられたときから 隠されていることを語ろう。』」マタイ13:35 詩篇78篇2節に「私は口を開いて たとえ話を 昔からの謎を語ろう」 とあります。 主を信じ賛美する者を通して、主が預言を与えられたことがわかります。 ただすてきな詩として味わうだけでなく、詩篇にも主のご計画やみこころが現されているのだと思うと、その奥深さに興味はつきません。 今日も、主を愛し信頼する人を通して、主が預言の言葉を与えてくださることがある、と私は信じます。 それは聞く人の徳を高め、建て上げ励ますための主の愛に根ざしたものであると思います(人を縛り、落胆させるものには注意が必要です)。 第一コリント 14:1「愛を追い求めなさい、。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」 14:3「預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。」 14:4「...預言する人は教会を成長させます。」 祈り:神様、あなたのみ思いを、人を通しても表してくださり感謝します。判別する力を与えてください。また、人を育て勧め励まし、教会を成長させる主の愛の言葉を与えてください。アーメン

マタイ12

「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。『見よ。わたしが選んだわたしのしもべ、 わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者。 わたしは彼の上にわたしの霊を授け、 彼は異邦人にさばきを告げる。 彼は言い争わず、叫ばず、 通りでその声を聞く者もない。傷んだ葦を折ることもなく、 くすぶる灯芯を消すこともない。 さばきを勝利に導くまで。異邦人は彼の名に望みをかける。』」マタイ12:17~21 イザヤが預言したように、父に愛された御子は人々の痛み苦しみをわかってくださる方です。 ちょうど先日のTV「ライフ・ライン」でもこの箇所からメッセージがされていました。 使い物にならない「傷んだ葦」、消えそうな「くすぶる灯芯」のような人々を見捨てることなく、回復させてくださる方こそイエス・キリストです。 私たちの傷んだところ、消えそうに弱っているところをキリストの前に持っていき、癒していただきましょう。 祈り:神様、イエス・キリストを通して、あなたの愛と癒しを受けます。私の_____を包み癒してください。アーメン

マタイ11

「この人こそ、 『見よ、わたしはわたしの使いを あなたの前に遣わす。 彼は、あなたの前にあなたの道を備える』 と書かれているその人です。」マタイ11:10 イエス様は、バプテスマのヨハネについてこのように言われました。 旧約聖書のマラキ書3章を引用されたのです。 マラキ書では、主が現れる前にこの人物が来ると述べられています。 つまり、イエス様はご自身が旧約聖書の成就であること、そして主であることを明らかにされたわけです。 このことを信じるのは、幼子のような心を持った人々でした(25節)。 私たちは、今日も幼子のような心でキリストを理解しようとしているでしょうか。 へりくつや理論に傾いた、小さな信仰になっていないでしょうか。 純粋な信仰で、主の守りとみわざを見る者となれますように。 祈り:神様、私に純粋な信仰を増し加えてください。また、イエス様の招きに、____さん、____さんが、幼子のように応答できますように。アーメン

マタイ10

「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。」マタイ10:29 受難週が始まりました。イエス様の十字架への道を思いながら過ごしたいと思います。 雀たちの命さえ支配しておられる主は、私たちのいのちや一生を私たち以上に知っておられます。 イースターの礼拝では特別賛美と演奏があります。 演奏は「一羽の雀」で、サビは 「こえたからかに われは歌わん 一羽の雀さえ 主は守りたもう」 です。まさに今日の箇所の通りです。 賛美は「はかのなかに」です。 「よみよりかえり 死と悪魔に勝ちし 君こそ勝利の主なれ 君こそまことの主なれ~」 壮大な主のみわざを共にほめたたえましょう。 祈り:神様、受難週に入りました。私たちのために十字架の道を通ってくださり感謝します。心を整えてこの一週間を過ごすことができますように。アーメン

マタイ9

「そこでイエスは弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」マタイ9:37~38 イエス様のこのことばに応答して、多くの人が働き手が起こされるように祈ります。 そして、中には自分もその収穫に共に働きたい、と導かれる人もいます。 今年も聖書の学びをするため、日本中の聖書学校、神学校に入学した人がいます。 その人たちのために祈りましょう。 また、「私はどうだろうか」と問うてみましょう。 フルタイムでなくても、仕事や家事をしながら学ぶ方法、仕える方法もあります。 神様は何を望まれているでしょうか。 祈り:神様、収穫の主のために日々労苦している働き人のために祈ります。あなたが必要な力と喜びを与えてください。全国で聖書の学びをしている人たちを祝福してください。家族と霊性を支えてください。アーメン

マタイ8

「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。『彼は私たちのわずらいを担い、 私たちの病を負った。』」マタイ8:17 イエス様は、 ツァラアトの人に手を伸ばして触れてくださったり(3節)、 百人隊長のしもべのところへ行こうとしてくださったり(7節)、 ぺテロの家で姑の熱をいやしてくださったり(14節)、 悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされたり(16節)しました。 人々の求めること以上のことをしてくださったともいえます。 イザヤ53:4の預言が、この愛に満ちた方、実際に癒す力のある方において実現しました。 今日も、同じ主が私たちの日々の歩みに関心を持っておられます。 教会は主のもの、そして教会の歩みや決断も、主のみこころを求めて皆で祈ることを喜んでくださいます。 教会設立50年を前に、今年もいくつかの変化が感じられます。 変わらない主が教会の頭であることに信頼し、ますます心合わせて祈っていきましょう! 祈り:神様、昔から未来まで、変わらない主に祈り頼ることができて感謝します。 私たちの日常のことから宇宙のことまで、あなたのみこころがなりますように。 みこころが教会の歩みに日々行われますように。アーメン

マタイ7

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」マタイ7:7~8 「ウォンツ(wants)」と「ニーズ(needs)」という表現を聞いたことがあります。 前者は「なくてもよいけど欲しいもの(バーゲンでたまたま見つけたものなど)」、後者は「その人にとって必要、あるいは不可欠なもの」だそうです。 「ウォンツ」は本当に必要とは言えないので、しばらくすると忘れることさえあります。 祈りは、私たちの「ウォンツ」と「ニーズ」を明らかにしてくれます。 みこころでない願いは、祈るうちに主が執着を取り除いてくださいます。 一方、みこころに沿った祈りは聞き届けられます。 ですから、あきらめず祈り続けることが大切です。みこころなら必ず受け、見出し、開かれるのだと確信を持って祈りましょう。 祈り:神様、祈りがなかなか聞かれないとあきらめそうになります。どうか忍耐と確信を与えてください。思いをあなたの元に持っていける恵みに感謝します。アーメン

マタイ6

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」マタイ6:33 アメリカの動向に経済が揺れているそうです。海の向こうの決定が日常生活に影響し、不安を覚える人がいます。 そうした時、「まず神の国と神の義を求めなさい」と語りかけてくれるみことばの存在は、何と力強いことでしょう。 「そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」という約束も与えられています。 昨日はKBIの入学式でした。聖書の希望と福音を信じ、人々に伝えたいと願う人たちが多く集う姿に励まされます。 人々が不安な時ほど、福音の光とみことばの安定感が輝きます。 祈り:神様、聖書のことばに根ざした価値観の確かさを覚えます。今、経済や社会の変動に不安を感じている人が、ゆるがない聖書とキリストの救いに安らぎを見出だすことができますように。私のあかしも(たとえ自分では小さいと思っても)主のために用いてください、アーメン

マタイ5

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。」マタイ5:14~15  今週の「ライフ・ライン」の番組のゲストは井ノ川晴樹さんという方でした。 16節の「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」 を座右の銘にしておられるとのことでした。 もっとも、私たちが自分で良い行いをするのには限界がありますし、自らの力で世の光となることもできません。 この光は、キリストの福音を知った者が見出だす、キリストご自身の栄光です。 キリストの霊が内に住まい、キリストについていきたいと思う者を通して、欠けだらけの器から光がもれるように、キリストの栄光が輝くのです。 今日、キリストのどんなご性質が私たちを通して輝くようにと願いますか。 祈り:神様、私たちをキリストをあかしする者として召してくださり、感謝します。 口先だけでなく、信仰を実践する者となれますように。アーメン

マタイ4

「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。 『ゼブルンの地とナフタリの地、 海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。闇の中に住んでいた民は 大きな光を見る。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に 光が昇る。』」マタイ4:14~16 今回のマタイ通読では、旧約聖書のことばがイエス・キリストを指し示していることに着目しています。 イエス様の公生涯のはじめも、旧約聖書の預言が成就しました。 14~16節はイザヤ9章のはじめに出てくることばです。 「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる」に続いて、このことばが書かれています。 そして、その通りになりました。 ゼブルン、ナフタリ、ガリラヤ...だけでなく、今の日本にも、私たちにも、 「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る」の通り、キリストは光です。 死の陰の滅びから永遠のいのちへと救い出してくださる方です。 祈り:神様、イエス・キリストこそが死から救ってくださる光です。人生の意味を求めている___さん、___さんが、明確この光を信じることができますように。アーメン

マタイ3

この人は、預言者イザヤによって 「荒野で叫ぶ者の声がする。 『主の道を用意せよ。 主の通られる道をまっすぐにせよ』」 と言われた人である。マタイ3:3 前回(2024年7月)には、バプテスマのヨハネの人格について考えました。 彼の出現も旧約聖書に預言されていたことに気づきます。 イザヤ40:3「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ』」 聖書の約束は実現します。なぜなら、偽りのない神ご自身のことばだからです。 今、聖書にあるどの約束を握って歩んでいるでしょうか。 紙に書いて手帳にはさんだり、スマホの待ち受け画面にしたりするのもよいですね! まだよくわからない人も、聖書を少しずつ読むうちに神様の希望の約束を発見することでしょう。 祈り:神様、何千年も人生の指針を与えてきた聖書は、今日も私たちへの約束で満ちていることを信じます。人生の道しるべとなることばを見出だす、素晴らしいみことば探検の旅に導いてください。聖書が楽しく読めますように。アーメン

マタイ2

彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。  『ユダの地、ベツレヘムよ、 あなたはユダを治める者たちの中で 決して一番小さくはない。 あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」マタイ2:5~6 イエス・キリストが来られたのは偶然ではなく、神のご計画のうちに旧約聖書の預言を成就されました。 ミカ書5:2に救い主がベツレヘムで生まれることが預言されていました。 そのことを博士たちは調べ、知っていました。 旧約聖書が大切な理由は、それがイエス・キリストを中心として書かれているからです。そして新約聖書につながっているからです。 ただの歴史や知恵の書ではなく、キリスト抜きではなく、信仰をもって読むときにだんだんとつながってきます。ちょうど、ベツレヘムでメシアが生まれることが実現した、この箇所のように。 同じように、私たちの生涯にも主が深いご計画を持っておられることを覚えて感謝します! 祈り:神様、あなたが歴史を通し、一貫して希望を示してくださっていることを感謝します。 私の日々の歩みにも希望を与えてくださることを信じます。 聖霊の光により頼みつつ聖書を読み、理解できるように助けてください。アーメン

マタイ1

「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」マタイ1:22 今日から再び新約聖書を読みます。 新約聖書は全部で260章、今から読みはじめても年内に通読できます。ぜひご一緒に! マタイに書かれているキリスト誕生の出来事は、偶然や思い付きではありませんでした。 すでに預言者を通して語られていたことが実際に起こったのです。 マタイの始めに系図が置かれているのも、たまたまこの時に起こったのではなく、神様の深い計画がこのタイミングで行われたことを傍証しているようです。 祈り:神様、あなたの深いご計画とみこころを感謝します。今回も新約聖書を読みながら、その素晴らしい愛と知恵にふれることができますように。アーメン

黙示録22

「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」黙示録22:5 「いのちの木」という賛美の中に、 「もはや夜がない 主の光の中 いのちの木の 豊かさ知る」 という歌詞があります。 いのちの木は創世記にも黙示録にも出てきます。 そのいのちは神である主ご自身が保っておられます。 夜の闇もなく、神の栄光の光が明るく照らす中で過ごす幸いを聖書は語ります。 今それを信じて平安を得るか、信じないで自分の常識の中だけで生きるか、選択は私たち次第です。 平安と幸いを今も、そして永遠も得ることができるようにと、主は招いておられます。 祈り:神様、あなたの平安と約束を信じる信仰を増し加えてください。____さん、____さんが一歩踏み出せますように。アーメン *明日から年末までは、新約聖書を通読予定です。

黙示録21

「神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。 もはや死はなく、 悲しみも、叫び声も、苦しみもない。 以前のものが過ぎ去ったからである。」」黙示録21:4 差別、虐待、死別、貧困、病気、反目...。 多くの人が、人生の不条理や不公平を経験していると思います。 人知れず流した涙、理解してもらえない悲しみと悔しさ、主はご存知です。 私たちの涙をすべてぬぐい、慰めてくださる時がやってきます。 このことばをいつも思い出し、新しい年度も日々過ごしていきたいですね。 祈り:神様、あなたは全知全能のお方です。私の悲しみ、痛み、苦しみ、感情をすべてわかってくださり感謝します。_____を、あなたの義とさばきにゆだねます。アーメン

黙示録20

「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。」黙示録20:12 開かれたのは「いのちの書」でした。 「いのちの書」には、私たちの生涯の行いが書かれています。 その書に救われた者として名前が記されているなら、「イエス・キリストを信じた」ということのゆえに、すべての失敗や罪がゆるされ、御国に入る特権が与えられています。 もっとも、天での報いは様々のようです。 天だけではなく、この地上の生涯も同様です。 「死ぬ直前に信じたらいいや」と言わず、今日信仰を持ち主に従って歩むことで、どれだけ豊かな人生が送れることでしょう。 祈り:神様、信仰を躊躇している人が今日決心し、イエスキリストを信じることができますように。豊かな人生の秘訣である聖書に触れることができますように。アーメン