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士師記4-6

通読: 士師記4-6、ルカ4:31-44   「主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる』。」士師記 6:12 ギデオンは敵を恐れながら農作業をしていました。 「勇士よ」と呼ばれるにはあまりにも等身大の、弱さのある人でした。 その後、しるしを何度も求めることも、慎重で怖がりだとわかります。 しかし、主が召され「主があなたとともにおられる」ことが、ギデオンが勇士であることの一番の証拠です。 ニッキー・ガンベルの、ひび割れた容器で水を汲む人の例話があります。 二つのつぼがあり、一つは割れていない完璧な容器、もう一つはひび割れた容器でした。 棒の両端に二つの容器をつけ、肩にかけて農夫は水を運びました。 ひび割れた容器からは、せっかくくんだ水がぽたぽた漏れています。 ところが、しばらくして あぜ道の片側にだけ、きれいな花が咲き始めました。 なぜでしょう。 それは、ひび割れた容器から落ちた水で養われたからでした。 このように、欠けのある者でも、いや欠けがあるからこそ、主にあって用いられるのです。 祈り:神様、立派過ぎるリーダーばかりでなく、ギデオンのような人物を召し、主のご用に用いてくださることを覚えます。今週を振り返ると、あんなこと、こんなこと、失敗が多くありました。それでも、主が見捨てない方であることを感謝します。悔い改め、再び主に手を引かれ、慰めを受けて前を向きます。アーメン

士師記1-3

通読: 士師記1-3、ルカ4:1-30    「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。 ...主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。」士師記 2:7,18 人は当てになりません。あんなに苦労して旅をし、約束の場所にたどりついた民は、ヨシュアと長老たちが死ぬと、すぐに堕落してしまいました。 しかし、神のあわれみによって士師が起こされ、主に立ち返ると国が平穏になりました。 はじめの士師オテニエルは、実はヨシュアの義理の息子でした。 「カレブの同族ケナズの子オテニエルがそれを攻め取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。」(ヨシュア記15:17、士師記1:13) すでに神様は、よい計画を進めておられました。 私たちも、行き詰まりを感じて前に進めないと感じます。でも、「すでに神様は」備えてくださるお方です。 祈り:神様、あなたのよいご計画に信頼します。心がどうしようもなく行き詰まった時にも、脱出の道をすでに備えてくださっていることを信じます(第一コリント10:13)。アーメン

ヨシュア記22-24

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通読: ヨシュア記22-24、ルカ3  「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」ヨシュア記 24:15 10代、20代の頃と異なり、限られた体力をどのように使うか工夫が必要になりました。 大切なものにエネルギーを集中させるために、優先順位が問われます。 もっとも、その順位は自分の思いだけではうまくつけられません。思い込みだったり自分のこだわりに過ぎなかったりします。 一方で、神が導き順位をつけさせてくださるなら、思いがけなくはかどり、何より喜びがあります。 神がそうさせてくださるのです。 きっとヨシュアもそうだったでしょう。 彼の信仰は素晴らしいですが、そうさせてくださったのもまた主であることを覚えます。 祈り:神様、私が自分の力でやったと言うのでなく、主がそうさせてくださったと力強く言えますように。 今日の歩みを導き、主が私に望まれることをさせてください。アーメン

ヨシュア記19-21

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通読: ヨシュア記19-21、ルカ2:25-52  「地を地域ごとに相続地として割り当て終えたとき、イスラエルの子らは、自分たちの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。主の命により、ヨシュアが求めた町、すなわち、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼は町を建てて、そこに住んだ。」 ヨシュア記 19:49-50 すべての部族への割り当てが終わった後で、ヨシュアは自身の相続地を与えられました。 聖書のリーダー観は、仕えるリーダーです。 自分がいちばん先に得をしようというのではありません。また、自分がいちばん豊かになるというのでもありません。 イエス・キリストが、その模範を示してくださいました。 十字架への道を進んで通ってくださった、真のリーダー、導き手の姿です。 祈り:神様、私の利己主義的な部分を悔い改めます。イエス様の足跡にならいたいです。私の人格を日々きよめ、造り変えてください。アーメン

ヨシュア記16-18

通読:  ヨシュア記16-18、ルカ2:1-24 「山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」ヨシュア記 17:18 イエス・キリストは、戦争や殺人を肯定されていません。 旧約聖書もキリストの光に照らして読むことが必要です。 旧約の記事は、新約時代を生きる者にとっての実物教材であったということがわかります。 今日の箇所からは、神が約束通り与えてくださる方であること、与えられた領域をよく見張り、余計なものや神に喜ばれないものは取り除くようにと学ぶことができます。 心のすべてはキリストの十字架によって買い取られました。 その中に、誘惑や罪の余計な性質を見るなら、神に取り扱っていただきましょう。 祈り:神様、あなたにあって自由と解放が与えられたことを感謝します。自分勝手に元の習慣に戻ることがないよう、主の光でいつも照らしてください。アーメン

ヨシュア記13-15

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通読: ヨシュア13-15、ルカ1:57-80  「私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、主に従い通しました。」ヨシュア記 14:8 「ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、主がこのことばをモーセに語って以来四十五年、主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。」ヨシュア記 14:10 カレブは40歳で偵察隊の一人としてカナンを調査しました。 不信仰な他の10人とは異なり、カレブはヨシュアと共に信仰に立ちました。 ヨシュアとは、いわば45年来の同志、同僚でした。 そして85歳の今も、ヨシュアと変わらぬ信仰を語り合えます。 カレブの姿から、人生の終わりまで信仰に立つ人が真の勇者だと学びます。 信仰が揺るぎそうな時、荒野をあきらめずに旅し続けたカレブの豊かな人生と幸いを思い出しましょう。 祈り:神様、最後まで主を信じ従う人生を歩ませてください。アーメン

ヨシュア記10–12

通読: ヨシュア記 . 10–12;  ルカ . 1:39-56 「ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。」ヨシュア記11:23 ある注解には次のようにあります。 「イエスなら、ヨシュアの軍事、戦いは、現代のどの人にとっても模範となるものではないと説明したであろう。」 では、戦いの記述がなぜ旧約聖書に載っているのでしょうか。 注解は続きます。 「しかしながら、その勝利という一つの側面は、神がイエスの死と復活を通してもたらすことになる、偉大で全く異なるタイプの勝利の予兆であり、影である。」 全く異なるタイプの勝利とは、暗闇の力との戦い、霊的な勝利です。 心の中の、また見えない領域の戦いに、私たちは日々さらされています。逃げることはできません。 都度イエス・キリストの御名を掲げるとき、都度勝利があることを覚えましょう。 祈り:神様、私の心の中に恐れ、疑い、不安が生じる時、キリストの名を呼び求め宣言します。勝利の主に感謝します!アーメン

ヨシュア記7–9

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通読: ヨシュア記 . 7–9;  ルカ . 1:21-38 「そこで人々は彼らのヨシュア記7–9の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。」ヨシュア記9:14 今週何かしようとする前に祈れましたか? それとも後でしまった、と思ったでしょうか。 私はいつも失敗だらけです。 アカンの罪とアイへの戦い、ギブオンにいたヒビ人とのやり取りは、残念ながら当初から本質を識別することはできませんでした。 それは主に尋ねなかったからでした。 今の世界も、感情と政治家の思惑だけではうまくいきません。 だからこそ、私たちはとりなしの祈り手に召されています。 いつも共にいてくださる聖霊様はカウンセラーです。ことあるごとに相談できますように。 祈り:神様、あなたの声をもっと聴くことができますように。そして、この国や世界のためにもっと祈る者とならせてください。アーメン

ヨシュア記4–6

通読: ヨシュア記 . 4–6;  ルカ . 1:1-20 「マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。」ヨシュア記5:12 神様は、必要なものを必要な時に与えてくださいます。そのことを信じます! そして主は、ヨシュアに必要なこと、すなわちリーダーの確信と主との個人的な出会いを与えられました。 「主の軍の将はヨシュアに言った。『あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。』そこで、ヨシュアはそのようにした。( 5:15)」 この主は、私たちにも個人的に出会ってくださるイエス・キリストです! 祈り:神様、あなたとの個人的な出会いを感謝します。日々祈りを通してあなたに必要を申し上げ、満たされる経験を与えてください。アーメン

ヨシュア記1-3

通読: ヨシュア1-3、マルコ16 「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」ヨシュア1:5 卒業式シーズンです。 小中高校で、自分のすぐ上の学年が卒業した時、なんともいえず寂しくぎこちない気持ちになりました。 それは、最高学年になるにはあまりに頼りない、自分の弱さへの不安だったかもしれません。 今日から、モーセからリーダーシップを引き継いだヨシュアが中心となります。 人間的には不安だったでしょう。 しかし、神様は繰り返し「強くあれ。雄々しくあれ」と語られます。 そして、ともにいるから大丈夫だと何度も言われました。 1章5節の「あなた」に自分の名前を入れて読んでみてください。 今日も神様は、同じ約束を私やあなたにくださいます。 祈り:神様、あなたが私を決して見捨てず、見放さない方であることを信じます。ひとりぼっちで判断する必要がないことを感謝します。あなたの判断についていきます。アーメン

申命記32-34

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通読:申命記32-34、マルコ15:26-47 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」 申命記 34:4 秋から植えていた早咲きのチューリップがつぼみをつけました。 もうすぐ咲きそうで、開花が楽しみです。 冬の間、ずっと花の咲くのを待っていたからです。 ところで、人生の歩みも、花の咲くような結果に価値をおきがちです。 約束の地に入ることこそ一番のクライマックス、報酬と考えます。 目標としてきたことだからです。 しかし、神はモーセの生涯を目的地の直前までと定められました。 「その場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ(34:5)」のでした。 あれほど入りたかったのに、最終的には主のご意思に従ったことこそ、モーセが信仰の人と言われる所以だと思います。 私たちは花が咲くのをなんとしても見たいでしょうか。 それとも、つぼみのままでも、主にお捧げすることができるでしょうか。 祈り:神様、あなたのお考えは深くて私には理解が及ばないことがあります。自分の思いと違う時、モーセのように従いたいです。主がよい方であると信頼できるよう助けてください。アーメン

申命記30–31

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通読: 申命記 . 30–31;  マルコ . 15:1-25 「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」申命記 31:6 私事ですが、このところ体調がよくありませんでした。 季節の変わり目で、自律神経の不調だと思われます。 エネルギーがなく、判断力が落ち、何もかもがうまくいかない気がしました。 失敗だらけでも「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」という励ましを、自分のものとして受け取ろうと思います。 「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(30:14)」 遠い空のかなたではなく、今日もみことばはすぐ近くにあります。 祈り:神様、あなたが共にいてくださり、日々みことばで養ってくださることを感謝します。私が弱いとき、あなたの強さがより輝き出ますように。アーメン

申命記28–29

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通読: 申命記 . 28–29;  マルコ . 14:54-72 「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」 申命記 29:29 だから、現されたことは神を見上げればよく、 隠されていることも神の御手にあるから安心です。 祈り:神様、異動やまだ見えない不安に心が揺れる時、すべてがあなたの手のうちにあると思い出させてください。アーメン

申命記26-27

通読: 申命記26-27、マルコ14:27-53   「今日、主は、あなたに約束したとおり、あなたが主のすべての命令を守り主の宝の民となること、」申命記26:18 あかしです。 数日前に、新しく来日予定の宣教師のビザ手続きに先立って、 現在の宣教師と共に入国管理局に行き、書類申請に付き添うことがありました。 少し離れた安い駐車場に停め、急いで向かいました。 現在の宣教師はすでに列に並んでいて、書留切手を買ってくるよう頼まれた時です。 財布がないことに気づきました。 駐車場までは確かにあったのです。 車に戻って探しましたがありません。 道で落としたようです。 祈りつつ、「日本といってもいろんな国、文化の人たちがいる場所だから、戻ってこないかもしれない」と思いました。 交番に行って遺失物届を出しました。 半時間ほど、内容や私の個人情報などを尋ねられました。 すると・・・奥の部屋から保管された財布を警官が持って来てくれました。 散歩中の人が届けてくれたそうです。 お礼はいらないとのこと。 硬貨やカード1枚も失われず、すべてそのままでした。 奇跡だと思いました。 私たちは、与えられているものの一部を初物、あるいは感謝の表れとして主にささげます。 しかし、主はすべてを所有し、すべてをご存知です。 財布を受け取った時、主が「私はすべて知っていたよ。そして、あなたのことを宝のように愛しているよ」と語ってくださったように感じました。 主は、旧約の民を「主の宝の民」と表現されました。今のクリスチャン一人一人も「宝の民」という眼差しで見てくださっています。 祈り:神様、私のことをすべて知り、宝のように愛して大切に思ってくださっていることをありがとうございます。あなたの眼差しを感じる日も、感じられない日も、あなたは変わらず愛してくださっていることを感謝します。アーメン

申命記23-25

通読:  申命記23-25、マルコ14:1-26  「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。」申命記24:22 記憶にとどまるようにと、記念されていることは色々あります。 誕生日や記念日のように喜ばしいこともあれば、 地震や原爆投下日のように辛いメモリアルもあります。 聖書は、人々がエジプトの奴隷生活でどれほど苦労したかを覚えているようにと述べます。 それは、虐げられた人に対してあわれみ深く、寛容であるようにです。 主ご自身もあわれみ深い方です。 祈り:神様、あなたのあわれみ深さに感謝します。私たちも苦境の中でも主のあわれみを思い返し、恵み深いあなたの愛を分かち合うことができますように。アーメン