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出エジプト記4-6

通読: 出4-6、マタイ14:22-36 「しかし、モーセは主の前で言った。『ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。』」出エジプト記 6:30 モーセにとって、うまく話せないというのはコンプレックスであり、いつも逃げ込む言い訳でもありました。 召された時にも 「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。(4:10)」と言いました。 その後も、同胞のクレーム、ファラオの拒絶と困難が続きます。都度、自分の苦手と無力にがっかりしたかもしれません。 しかし、これは「主に不可能はない」と学ぶレッスンでした。 私たちが無力だからこそ、これもあれも主がなさった、とわかります。 苦手なことをせよ、と主に導かれていますか? 「人に口をつけたのはだれか。…それは、わたし、主ではないか(4:11 )」 とモーセに言われた主は、弱い私たちを通してご自身の強さを表されます。 祈り:神様、私にはとても難しく、劣等感に触れるようなことがあります。でも、あなたの導きなら、あなたにゆだね、自分の肉の思いに死ぬことができるよう助けてください。信仰を与えてください。アーメン

出エジプト記1-3

通読: 出1-3、マタイ14:1-21 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 出エジプト記 3:14 聖書の神様は「わたしはある」という方です。 時も場所も越えて存在される方が、 小さな私たちや、私たちのの短い地上人生にご計画を持っておられるとは驚きです。 モーセはファラオのところに遣わされました。 私たちはそれぞれ、今年どこで何をするよう招かれているでしょうか。 それに集中するために、何をやめるよう語られているでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に望まれることを、私の肉のレンズでなく霊の目で見ることができますように。アーメン

創世記49-50

通読: 創世記49-50、マタイ13:31-58  「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」創世記 50:20 ヨセフは、自分の苦労の人生をこのようにひとことで述べました。 無私で仕えた彼の姿は、キリストの型と言われます。 イエス・キリストは罪がないのに私たちの身代わりとなり、十字架にかかってくださいました。 それによって、信じる人が永遠のいのちを得、生かされるためです。 試練に心しぼんでいますか? 身体の不調に疲れ果てていますか? 心探り、その中で感謝を発見し、仕える思いを与えて頂きましょう。 祈り:神様、自分の力では一歩も進めなくなります。あなたの恵みと回復の中に生かしてください。ヨセフのように、試練が益とされたと告白できますように。アーメン

創世記46-48

通読: 創世記46-48、マタイ13:1-30  「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。」創世記 47:7 外国から来た老いたヤコブが、エジプトの王ファラオを祝福するとは、逆ではないのかと思います。 しかし、主の名において祝福の祈りをするのは、神を知る者に与えられた特権です。 クリスチャン一人ひとりは、周りの祝福の基として召されています。 今日、どのように主の祝福を流し出すことができるでしょうか。 祈り:神様、私をあなたの恵みと祝福を受けて流し出す器として用いてください。アーメン

創世記43-45

通読: 創世記43-45、マタイ12:24-50  「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」創世記 45:5  ゆるしには力があります。 ヨセフが兄たちをゆるしたことで、兄だけでなく家族全員が救われました。 不当に扱った人たちをゆるしたことで、エジプトと周囲の国々が救われました。 そしてもちろん、ヨセフ自身も大きな祝福を得ました。 私たちも、プライドと頑固な心を神に溶かして頂きましょう。 キリストがこんな私をゆるしてくださったのですから。 祈り:神様、心のわだかまりを取り扱ってください。あなたの前に持ってきます。あとはえなたの方法で報いてください。相手をゆるすことを選択します。アーメン

創世記41-42

通読: 創世記41-42、マタイ12:1-23  「ヨセフは長子をマナセと名づけた。『神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった』からである。」創世記 41:51 30歳で転機が訪れるまで、穴に落とされ、奴隷として売られ、陥れられ、獄中で過ごし、懇願も忘れられたヨセフでした。 今度はどんな不幸がやってくるのか…という予期不安を抱いても良さそうですが、彼はそうしませんでした。 かえって、自分の子どもを マナセ(神が、 私のすべての労苦を忘れさせてくださった) エフライム(神が、苦しみの地で私を実り多い者としてくださった、41:52) と名付けました。 神は良い方で「私を…させてくださる」と信頼しました。 そのようにして、神の栄光を表しました。 ジンクスのように、悪いことがまた起こるのではと不安になりますか? 神は、どんなパターンでも打ち破ることのできる方です。 労苦でさえも、益に変えることのできる方です。 祈り:神様、あなたが益にしてくださる、良い方だと信じます。全ての労苦が私を整え、主の栄光のためのものとなりますように。アーメン

創世記39-40

通読: 創世記39-40、マタイ11  「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」創世記 39:23 「主は彼(ヨセフ)とともにおられ」という表現が何度も出てきます(39:2,3,21,23)。 状況だけに目をとめると、どんどん悪くなっているように思えます。 エジプトで奴隷として売られ、せっかく重用されたのに主人の妻のうそで投獄される。 番人の評価はよかったが、所詮は獄中でしかない。 神が共にいるなら、なぜ劇的な助けが来ないのか、と。 しかし、神はもっと大きなスケールでご計画を持っておられました。 それがエジプトと周りの国々、ヨセフの家族皆を救うことになります。 私たちが信じているのは、近視眼なご利益宗教ではなく、世界を地理的にも歴史的にも治めておられるお方です。 祈り:神様、時に「あなたがいるのに、なぜ」と思うようなことがあります。しかし、あなたのご計画に間違いがないことを信じます。主が生きて働いておられることを、多くの方が知りますように。アーメン

創世記36-38

通読: 創世記36-38、マタイ10:21-42  「しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、『あの子を打ち殺すのはやめよう』と言った。」創世記 37:21 ヨセフの夢はやがて現実になるのてすが、 話す相手と時期が軽率でした。 兄たちから反感とねたみをかいました。 私が兄の一人なら、やはり面白くなかったと思います。 しかし、ヨセフを殺す企みに全員か賛成したわけではありませんでした。 私たちは、同じ情報や状況でも、違う反応をすることができます。 感情の動きと、それに対する反応とを聖霊によって制御して頂きましょう。 ねたみや怒りに任せた反応が、より深刻な結果を生まないように。 祈り:神様、不快な言葉や態度を受けた時、私の心を守ってください。堅く立ち、主の導かれる言動をとれますように。主にある確信と強さを与えてください。アーメン

創世記33-35

通読: 創世記33-35、マタイ10:1-20  「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。」創世記 33:4 何と美しい場面でしょう。 自分を恨み、殺しにくるかもしれなかった兄が、迎えに来て走りより、嬉し泣きするとは。 エサウに何があったのか、聖書は多くを述べてません。 しかし、兄弟愛の麗しさとゆるしの力を雄弁に語っています。 肉親であれ霊の兄弟姉妹であれ、愛しゆるし合う姿はこのようです。 そこには双方が砕かれることと、主の介入が美しい姿をもたらします。 祈り:神様、私の心にあるわだかまりを主が取り扱ってください。相手の心を変えることができるのは、あなただけです。祈りつつ、まず自分自身の心を備えさせてください。アーメン

創世記31-32

通読: 創世記31-32、マタイ9:18-38  「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。」創世記 32:31 アブラハムに故郷を出るよう導かれた神は、 ヤコブには「あなたの生まれた国に帰りなさい」と言われました。 人によって、神の導きは様々であるとわかります。 簡単ではありませんでした。 ラバンのところからは、逃げるような出発でした。 もっと大変なのは、かつてだました兄エサウと再会することでした。 彼なりに策を練りましたが、肝心の自分は神と格闘し、まともに歩けなくなりました。 …ここに神の知恵があります。 私たちの弱さは、神の強さです。神に信頼するほかない時、神の力が現れます。 今日、自分の弱さを覚えるなら、神が働いてくださることに期待しましょう。 祈り:神様、私の無力さを知る時、あなたの強さに信頼します。自分の望む解決でなく、主のみこころがなりますように。アーメン

創世記29-30

通読: 創世記29-30、マタイ9:1-17  「ラバンは答えた。『われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。』」 創世記 29:26 長旅をして伯父のラバンに迎えられたヤコブは、 ラケルを愛して7年間仕えました。 ところが、妻として与えられたのは姉のレアでした。 詰め寄るヤコブに、ラバンはこう答えました。 かつて、ヤコブは長子の祝福をだまして奪ったのですが、今回は反対にだまされ、上の子を優先されたのでした。 彼には自分の罪深さや、兄や父の心情が痛いほどわかったでしょう。 辛い経験を通してもまた、彼の人格は成長し練りきよめられていくのでした。 祈り:神様、私が通ってきた、あるいは通っている辛い経験も、信仰と霊の実を結ぶために益となると信じます。今日も一日歩む導きと力を与えてください。アーメン

創世記27-28

通読: 創世記27-28、マタイ8:18-34  「ヤコブは眠りから覚めて、言った。『まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。』」創世記 28:16 ヤコブが兄から逃れるためにひとり旅をしていた時です。 家庭の崩壊、良心の痛み、これからの不安など、様々な思いがあったでしょう。 道中寝ている時に、天からの梯子を主は見せてくださいました。 ヤコブにとって、主が共にいてくださることの確認は大きな大きな励まし、転機でした。 新約聖書の今日の箇所では湖が荒れ、弟子たちが慌ててイエス様を起こしました。 主がおられるのに「どうして怖がるのか。信仰の薄い者たち」とイエス様は言われました。 人生の嵐の時、日々の暮らしの見通しがきかないときでも、主は共におられます。 主が必ず導かれることを確信し、信じ続ける者を喜んでくださいます。 祈り:神様、ふりかえるとあなたがこの時も、あの時もおられた、と気づきます。今日も、この先の人生も、あなたがおられることに安心し、信頼できるよう導いてください。アーメン

創世記25-26

通読: 創世記25-26、マタイ8:1-17   「主はその夜、彼に現れて言われた。『わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』」創世記 26:24 突然ですが、こわいものは何ですか。 私にはいろいろあります。 たとえば、置き去りにされること、独り見捨てられることを恐れてきました。 昨夜は、終電に乗り遅れる夢にうなされました(実際の経験はありませんが)。 「恐れてはならない、わたしがあなたとともにいる」 とイサクに語られた神は、私たちにも同じように語られます。 たとえ終電をのがしても、誰かに見捨てられるような経験をしても、神は私たちを見捨てず、いつも共にいてくださいます。 祈り:神様、いつも共にいてくださり感謝します。どうしてよいかわからないとき、聖霊様の知恵と導きにゆだねます。あなたの働きを妨げることがないよう、霊の耳を与えてください。アーメン

創世記23-24

通読: 創世記23-24、マタイ7 「そして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。」 創世記 24:48 サラがいなくなり、アブラハムと息子イサクは二人暮らしでした。富はあり、使用人もいたけれど、淋しい思いも経験したでしょう。 48節は、イサクの結婚相手を探しに行ったしもべのあかしです。 誰もがこのような経緯で相手を見つけるわけではありませんが、しもべのぶれない信仰と忠実さにならうことはできます。 結婚は、若い世代の一大関心事です。中高生やユースのキャンプでは、分科会に「結婚」のテーマがあるくらいです。 もっとも、イサクのように結婚する人もいれば、パウロのように独身の賜物がある人もいます。 愛するユース世代のひとりひとりが、信仰に立ち、みこころに導かれるよう祈り応援しましょう。 祈り:神様、教会に集う学生やユース世代を祝福してください。彼らの将来、結婚が、主に喜ばれるものとなりますように。私たちも祈りと、実際の励ましとで支えさせてください。アーメン

創世記20-22

通読: 創世記20-22、マタイ6:19-34  「アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、『主の山には備えがある』と言われている。」 創世記 22:14 長年子どもが与えられませんでした。 イサクが生まれましたが、イシュマエルとの間がぎくしゃくしました。 さらに、イサクをささげるようにと言われました… このように見ると、人生は次から次へと問題続きだと感じてしまいます。 ある面、その通りです。 しかし、アドナイ・イルエ、「備え主」の神様によってアブラハムには息子イサクが与えられた。 イサクもイシュマエルも、別の場所で子孫が増え、数えきれないほどになった。 アブラハムが神を第一にするかのテストだった。 すでに羊は用意されていた。 私たちの問題の側面には、すでに備え主の神様の解決があります。 何に信頼し、視点をどこに置くかが問われています。 祈り:神様、今日まで私の必要を備え、生かしてくださって感謝します。これからも守ってくださると信頼しできますように。不安から解放してください。アーメン