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ヘブル10

「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。」ヘブル10:23 信仰が揺らぐ経験がありますか? そんな人たちに向けて、今日の箇所は励ましと秘訣を与えます。特に次の3つは、今日から実践できます。 一つは、動揺せず福音の希望を告白すること。(23節) また、孤立せず信仰者のが互いに励まし合うこと。(25節) 「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」 さらに、神の時を待ち、忍耐強くあること。(36節) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」 祈り:神様、すでにキリストが完成してくださった、福音の恵みを忘れないように助けてください。信仰の友と励まし合い、忍耐をもって互いに建て上げます。今日もあなたに信頼します。アーメン

ヘブル9

「まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」ヘブル9:13-14 旧約時代には、祭司が動物の血を携えて罪の赦しを乞いました。何度も何度もその繰り返しでした。 キリストの血は動物の何千倍、いや無限の力があります。 ただ一度十字架で流されれば、時代も場所も越えて私たちにも効力が及びます。 今も変わらない福音の真理を、何とかしてひとりでも多くの方が知り、永遠のいのちの希望を持つことができますように。 祈り:神様、キリストのあがないの力は無限大です。日常のご利益ではなく、永遠の次元に及ぶものです。 このダイナミックで素晴らしい福音に、周囲の方の目が開かれますように。アーメン

ヘブル8

「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」ヘブル8:10 外側の律法でしばられていた当時の人々に、もっと大切なことを述べます。 それは、イエス・キリストにある新しい契約です。 表面を繕うのではなく、心に書かれた契約であり、主の民とされるということです。 この約束は、今日の。ヘブル(ユダヤ)人でない私たちにも有効です。 キリストを知る者は、主の民とされ、心から自由にされます。聖霊が私たちをガイドしてくださるから、今日も安心、平安です。 祈り:神様、主の民としてくださり感謝します。今年もあと2ヶ月になりました。恵みを思い巡らしつつ、聖霊と共に歩み期待します。アーメン

ヘブル7

「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」ヘブル7:25 メルキゼデクという人物をあげて、祭司の仕事について説明します。 そして、キリストこそ完全な大祭司であり、いつも生きてとりなしてくださる方だと述べます。 今日、この方に近づいて何を感謝し願いますか。いつまでも生きておられる方が、私たちのためにとりなしてくださるのです。 園遊会にも勝る名誉ではありませんか。 祈り:神様、キリストのあわれみに感謝します。いつも生きてとりなしておられる方に、重荷をすべて打ち明けます。アーメン

ヘブル6

「私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。」ヘブル6:19 神の約束と誓い(18節)によって保証されている希望について、ヘブル書は語ります。 それは、変わることがない保証だ、と。 ちょうど錨を下ろした船が動かないように、 その希望はたましいの錨である、と宣言します。 聖書には多くの神の恵みの約束があります。今日、握って歩む心の錨はどんな約束ですか。 祈り:神様、あなたご自身が約束し保証してくださった、みことばの約束を感謝します。今日もその希望の中を歩ませてください。アーメン

ヘブル5

「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、」ヘブル5:8 神の子なのに、キリストがこの地上で人として苦しみを通る、というのは、なかなか理解しがたい事実です。 私たちにすら理解しがたいところを、キリストが経験し、従順を身をもって教えてくださいました。 「キリストに従う」というのは、私たちもこの従順を学ぶことだと言えます。 祈り:神様、キリストの姿を目指して歩みたいです。自己義や利己的な思いを、主にあって取り扱ってください。手放すことを教えてください。アーメン

ヘブル4

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」ヘブル4:15 試練の時、共感してくれる人の存在に慰められます。 神であるイエス・キリストが、私たちの悩み悲しみ、驚きやショック、抑うつや傷心、戸惑いや迷い、すべてわかってくださるというのは、どれほどの慰めでしょう。 しかもその方に向かって、願い祈ることができるのです! 「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(16節) 祈り: 神様、あなたは愛とあわれみに満ちた方です。私の心をわかってくださり感謝します。御座の前で祈りと願いをささげます。アーメン

ヘブル3

「『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように』と言われているとおりです。」ヘブル3:15 出エジプトの後、不信仰のために荒野で40年を費やした先祖たちが念頭に置かれています。 そうなってはいけない、と戒めています。 荒野の旅は、すべてが削がれ、最低限でした。その中で神に従うことと、必要はすべて神からくることを学びました。 ヘブ書の時代には、律法や言い伝えが重視されていました。しかし、それを削ぎ、主のみわざを信じ受け取る必要がありました。 あなたは今、何を手放すようにと神から促されていますか? 頑なではなく、柔らかい心を持てますように。 祈り:神様、信仰の目と勇気を頂いて、私が執着しているものを手放したいです。本当に大切なことを見極めさせてください。アーメン