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出 エジプト記21-22

通読:  出 エジプト記 21-22 、マタイ 19 「寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。 やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。 もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。」出エジプト記 22:21-23 各国が寒波の中です。アメリカでは、ホームレスの人のためにバスの中で暖を提供する活動があるということです。 ニュースでは、暖房のきいたバスへと寄り添うボランティアの姿を見ました。 社会的弱者に対して、聖書のまなざしはやさしいものです。 その人たちが神に呼び求めるなら、神は叫びをきかれます。 主は「わたしは情け深いからである( 22:27)」と言われます。 祈り:神様、弱い者に目を注いでくださることに感謝します。私が弱った時も助けられると信じます。私自身も他者に、手を差し伸べる(押し付けでなく、あなたの愛にかなって)ことができるよう導いてください。アーメン

出 エジプト記19-20

通読:  出 エジプト記 19-20 、マタイ 18 : 21-35 「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」出エジプト記 19:5 「十戒」を与える前に、神の恵みの約束が繰り返されます。アブラハムとの契約から変わらない、祝福の契約です。 すなわち、続く十戒は単なる禁止令ではなく、私たちが神の祝福を受けるための原則だということがわかります。 「全世界はわたしのものである」と神は言われました。 この神の祝福は、新約時代の信仰者にも向けられています。 招きを感謝して受け取り、主の恵みの約束を実践できるよう祈りましょう。 祈り:神様、あなたが愛と恵みに満ちておられる方であることを感謝します。私の生き方を導き、折々に修正してください。今日もあなたの祝福を受ける者として成長させてください。アーメン

出エジプト記16-18

通読: 出エジプト 16-18 、マタイ 18 : 1-20     「わたしはイスラエルの子らの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知る。』」 「イスラエルの子らは、人が住んでいる土地に来るまで、四十年の間マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまでマナを食べた。」 出エジプト記 16:12,35 初めてマナが与えられた日、人々はどれほど喜び感謝したことでしょう。 しかし、それが日常になり、当たり前になると、次の不満や不足が出てきました。 私たちも、どんなに素晴らしい恵みでも、それが当たり前になると不平が出てきがちです。 恵みへの感謝を忘れたにもかかわらず、イスラエルの民へのマナは40年間変わらず与えられ続けました。 今日、私たちの態度にかかわらず主が与え続けてくださっている恵みを発見し、感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの恵みを軽くみなして忘れがちであることを悔い改めます。 恵みを数えて感謝する心を与えてください。アーメン

出エジプト記14-15

通読:  出 14-15 、マタイ 17 「主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」出エジプト記 14:14 体育の先生が「山歩きの遠足では、サブリーダーが先頭、リーダーが最後尾」と言ったのを覚えています。 先頭は正しい進路とペース作り、最後尾は全体の安全と一人も置き去りにならないよう確認をします。 先頭に立って民を導き出された主は、 最後尾の民と追っ手との間に入り、民を守られました。 すべての人が海を渡り終えるのを確認し、水を元通りにされました。 私たちの前に立って導かれる主は、背後から忍び寄る誘惑や危険を押し留め、守られる方でもあります。 転んだまま見捨てられることはありません。 祈り:神様、万事休すと感じる状況になった時も、あなたにとってはそうではありません。 前にも後ろにも、あなたの守りを信頼して黙し、期待します。アーメン

出エジプト記12-13

通読: 出12-13、マタイ16 「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」出エジプト記 12:13 最後の災いは人命に直接関わるものでした。 ただ、傷のない羊の血を入口のかもいに塗った家にいれば助かりました。 主の裁きはそこを過ぎ越しました。 これはイエス・キリストの十字架の血と救いを直接連想させます。 どんな人でも、十字架の元に身を寄せれば救われます。 裁きを受けて滅びることはありません。 過越の祭りを直接祝うことはなくても、この恵みを覚える機会をことごとに持ちたいものです。 洗礼を受けたのは何月何日ですか?  イエス・キリストを信じたのは何月何日ですか? 私たちが忘れても、主は私たちを忘れず導き続けてくださいます。  「主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。(13:21 )」 祈り:神様、あなたの救いの恵みと方法を思い巡らし、改めて感謝します。滅びるべき私が、キリストの血によって裁きを過ぎ越され救われるという驚くべきみわざに感謝します。アーメン

出エジプト記9-11

通読: 出9-11、マタイ15:21-39  「主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。」 出エジプト記 11:3 モーセとファラオのやりとりが続きます。 雹やいなごなどの災害が起こっても、ファラオの全面的なへりくだりはありませんでした。 もっとも、家来たちの中には主を恐れる人が起こってきました。 雹の時には家畜を避難させ、ファラオをたしなめる人さえいました。 モーセの人格と忍耐とは、来るべきキリストの影をを連想させます。 キリストもご自身を低くされ、最後までへりくだられました(ピリピ2章)。 そして、今の私たちにまで救いが及びました。 祈り:神様、聖書は単なる歴史物語ではなく、イエス・キリストを指し示すことを覚えます。私たちにまで福音が届けられ、救いに入れられている恵みに感謝します。アーメン

出エジプト記7-8

通読: 出7-8、マタイ15:1-20    「わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエルの子らを彼らのただ中から導き出すとき、エジプトは、わたしが主であることを知る。」出エジプト記 7:5 何度も心変わりするファラオを、頑固だなあと他人事のように思います。 しかし、主の守りを知っていながら将来が漠然と不安なら、ファラオと同じように不信仰なのかもしれません。 一方、呪法師や国内のエジプト人たちは、主の偉大さと力とをすでに知りつつありました。 モーセたちが遣わされ、忍耐強く交渉していることは、すでに主の栄光を表していたのです。 自分の思った結果がすぐ見えなくても、主に忠実に従うなら、主は思いがけないところで働きを進めてくださいます。 祈り:神様、あなたに従い今日も歩みます。人の短絡的な評価に左右されないよう、私の心が主を見つめ続けるよう助けてください。アーメン

出エジプト記4-6

通読: 出4-6、マタイ14:22-36 「しかし、モーセは主の前で言った。『ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。』」出エジプト記 6:30 モーセにとって、うまく話せないというのはコンプレックスであり、いつも逃げ込む言い訳でもありました。 召された時にも 「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。(4:10)」と言いました。 その後も、同胞のクレーム、ファラオの拒絶と困難が続きます。都度、自分の苦手と無力にがっかりしたかもしれません。 しかし、これは「主に不可能はない」と学ぶレッスンでした。 私たちが無力だからこそ、これもあれも主がなさった、とわかります。 苦手なことをせよ、と主に導かれていますか? 「人に口をつけたのはだれか。…それは、わたし、主ではないか(4:11 )」 とモーセに言われた主は、弱い私たちを通してご自身の強さを表されます。 祈り:神様、私にはとても難しく、劣等感に触れるようなことがあります。でも、あなたの導きなら、あなたにゆだね、自分の肉の思いに死ぬことができるよう助けてください。信仰を与えてください。アーメン

出エジプト記1-3

通読: 出1-3、マタイ14:1-21 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 出エジプト記 3:14 聖書の神様は「わたしはある」という方です。 時も場所も越えて存在される方が、 小さな私たちや、私たちのの短い地上人生にご計画を持っておられるとは驚きです。 モーセはファラオのところに遣わされました。 私たちはそれぞれ、今年どこで何をするよう招かれているでしょうか。 それに集中するために、何をやめるよう語られているでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に望まれることを、私の肉のレンズでなく霊の目で見ることができますように。アーメン

創世記49-50

通読: 創世記49-50、マタイ13:31-58  「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」創世記 50:20 ヨセフは、自分の苦労の人生をこのようにひとことで述べました。 無私で仕えた彼の姿は、キリストの型と言われます。 イエス・キリストは罪がないのに私たちの身代わりとなり、十字架にかかってくださいました。 それによって、信じる人が永遠のいのちを得、生かされるためです。 試練に心しぼんでいますか? 身体の不調に疲れ果てていますか? 心探り、その中で感謝を発見し、仕える思いを与えて頂きましょう。 祈り:神様、自分の力では一歩も進めなくなります。あなたの恵みと回復の中に生かしてください。ヨセフのように、試練が益とされたと告白できますように。アーメン

創世記46-48

通読: 創世記46-48、マタイ13:1-30  「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。」創世記 47:7 外国から来た老いたヤコブが、エジプトの王ファラオを祝福するとは、逆ではないのかと思います。 しかし、主の名において祝福の祈りをするのは、神を知る者に与えられた特権です。 クリスチャン一人ひとりは、周りの祝福の基として召されています。 今日、どのように主の祝福を流し出すことができるでしょうか。 祈り:神様、私をあなたの恵みと祝福を受けて流し出す器として用いてください。アーメン

創世記43-45

通読: 創世記43-45、マタイ12:24-50  「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。」創世記 45:5  ゆるしには力があります。 ヨセフが兄たちをゆるしたことで、兄だけでなく家族全員が救われました。 不当に扱った人たちをゆるしたことで、エジプトと周囲の国々が救われました。 そしてもちろん、ヨセフ自身も大きな祝福を得ました。 私たちも、プライドと頑固な心を神に溶かして頂きましょう。 キリストがこんな私をゆるしてくださったのですから。 祈り:神様、心のわだかまりを取り扱ってください。あなたの前に持ってきます。あとはえなたの方法で報いてください。相手をゆるすことを選択します。アーメン

創世記41-42

通読: 創世記41-42、マタイ12:1-23  「ヨセフは長子をマナセと名づけた。『神が、私のすべての労苦と、私の父の家のすべてのことを忘れさせてくださった』からである。」創世記 41:51 30歳で転機が訪れるまで、穴に落とされ、奴隷として売られ、陥れられ、獄中で過ごし、懇願も忘れられたヨセフでした。 今度はどんな不幸がやってくるのか…という予期不安を抱いても良さそうですが、彼はそうしませんでした。 かえって、自分の子どもを マナセ(神が、 私のすべての労苦を忘れさせてくださった) エフライム(神が、苦しみの地で私を実り多い者としてくださった、41:52) と名付けました。 神は良い方で「私を…させてくださる」と信頼しました。 そのようにして、神の栄光を表しました。 ジンクスのように、悪いことがまた起こるのではと不安になりますか? 神は、どんなパターンでも打ち破ることのできる方です。 労苦でさえも、益に変えることのできる方です。 祈り:神様、あなたが益にしてくださる、良い方だと信じます。全ての労苦が私を整え、主の栄光のためのものとなりますように。アーメン

創世記39-40

通読: 創世記39-40、マタイ11  「監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」創世記 39:23 「主は彼(ヨセフ)とともにおられ」という表現が何度も出てきます(39:2,3,21,23)。 状況だけに目をとめると、どんどん悪くなっているように思えます。 エジプトで奴隷として売られ、せっかく重用されたのに主人の妻のうそで投獄される。 番人の評価はよかったが、所詮は獄中でしかない。 神が共にいるなら、なぜ劇的な助けが来ないのか、と。 しかし、神はもっと大きなスケールでご計画を持っておられました。 それがエジプトと周りの国々、ヨセフの家族皆を救うことになります。 私たちが信じているのは、近視眼なご利益宗教ではなく、世界を地理的にも歴史的にも治めておられるお方です。 祈り:神様、時に「あなたがいるのに、なぜ」と思うようなことがあります。しかし、あなたのご計画に間違いがないことを信じます。主が生きて働いておられることを、多くの方が知りますように。アーメン

創世記36-38

通読: 創世記36-38、マタイ10:21-42  「しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、『あの子を打ち殺すのはやめよう』と言った。」創世記 37:21 ヨセフの夢はやがて現実になるのてすが、 話す相手と時期が軽率でした。 兄たちから反感とねたみをかいました。 私が兄の一人なら、やはり面白くなかったと思います。 しかし、ヨセフを殺す企みに全員か賛成したわけではありませんでした。 私たちは、同じ情報や状況でも、違う反応をすることができます。 感情の動きと、それに対する反応とを聖霊によって制御して頂きましょう。 ねたみや怒りに任せた反応が、より深刻な結果を生まないように。 祈り:神様、不快な言葉や態度を受けた時、私の心を守ってください。堅く立ち、主の導かれる言動をとれますように。主にある確信と強さを与えてください。アーメン