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黙示録13

「捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。」黙示録13:10 祈りが聞かれないように思え、悪や不正がはびこり、割に合わない経験が続くと、「主よ、いつまでですか」と叫びたくなります。 もしかすると、家族、クリスチャンホームの中でも同じように感じることがあるかもしれません。 神の時はいつか、私たちにはわかりません。 しかし、忍耐と信仰を持って必ず来るその時を待てと聖書は語ります。 神の秩序の元に、必ずすべてが正されます。 祈り:神様、あなたの時を待つ、忍耐と信仰を与えてください。苦々しい思いがサタンの足場にならないよう、霊肉をお守りください。アーメン

黙示録12

「兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。」黙示録12:11 竜に勝つ方法は、筋肉トレーニングでも武装でもありませんでした。 子羊イエス・キリストの血と、そのあかしでした。 パウロは、「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています(第二コリント6:10)」と言いました。 同じように、私たちにも、イエス・キリストによる逆説的な勝利と満足が備えられています。 祈り:神様、あなたがすべての必要を備え、勝利に導いてくださることを感謝します。アーメン

黙示録11

「私たちはあなたに感謝します。今おられ、昔おられた全能者、神である主よ。あなたは偉大な力を働かせて、王となられました。」黙示録11:17 天で24人の長老たちは、このように神を礼拝しました。 今日、私たちも同じように主を礼拝し、力強く宣言することができます。 声に出してみてはどうでしょうか。 「私はあなたに感謝します」 「今おられ、昔もおられた全能者、神である主よ」 「あなたは偉大な力を働かせて、王となられました」 すべてのものの王である主は、私の王です。 全地を治めるだけでなく、私の心の細やかな部分も治めてくださいます。 カウンセラーであり、慰め主でもあります。 祈り:神様、あなたが私の個人的な主であり王であることを感謝します。 クリスマスの楽しさや華やかさの中で孤独を感じる人がいたら、イエス・キリストこそ痛みと孤独を知る方だと気づくことができますように。 トラクト、あかし、聖書や信仰者との出会いを与えてください。アーメン

黙示録10

「七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。『七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。』」黙示録10:4 ヨハネが、黙示録の内容以上のものも聞いたことは確かです。 しかし「それを書き記すな」と言われました。 聖書に、あえて書かれていないことがあります。 それは神の領域だったり、私たちが知らない方がよいことだったりします。 神様がご自身の知恵でそうされたと、そのまま受け取れるでしょうか。 「わかりました」と引き下がる素直さもまた、私たちの信仰の態度です。 祈り:神様、私はあれもこれも理由を知りたい、納得したいと思いがちです。でも、神の知恵と配慮であるなら、理不尽さを感じる自我を砕いてください。アーメン

黙示録9

「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。」黙示録9:20 災害で生き残ったのに、神などいないという態度を改めない人のことが書かれています。 第三者の視点からは、早く悔い改めたらよいのに、と思います。 でも、それがなかなかできないのが人間の罪の性質だということも思わされます。 他人事ではありません。主を信じてからも、自分勝手なところや頑固な自我、失敗の数々があります。 気づかずに犯している罪は数知れません。 一年をふり返る時期です。 ご降誕のイエス様のようにへりくだる態度を、与えてくださいと祈りましょう。 祈り:神様、思い返すと失敗ばかりです。主の前にへりくだりたいです。あなたの介入と回復を切に求めます。アーメン

黙示録8

「また私は見た。そして、一羽の鷲が中天を飛びながら、大声でこう言うのを聞いた。『わざわいだ、わざわいだ、わざわいが来る。地上に住む者たちに。三人の御使いが吹こうとしている残りのラッパの音によって。』」黙示録8:13 以前は、黙示録は怖いもの、暗いものというイメージがありました。 それで、この箇所を読むと、カラスが呪いの言葉を伝えるような想像を勝手にしていたのです。 しかし今は、黙示録にも神の愛と希望があふれているのがわかります。 「ワシ」が、空を飛びながら、注意報、警報を発令しているのです。 天気予報でも、注意報、警報は、人の安全と速やかな行動を願って出されます。 同じように、主の警告は、私たちが早く悔い改めて平安と永遠の救いを得るためのものです。 祈り:神様、あなたが愛をもって警告してくださることばに、耳を傾けることができますように。私の耳を、また人々の耳を開いてください。アーメン

黙示録7

「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。 」黙示録7:9 教会そばの交差点付近や、泉ヶ丘のそばでなつめ椰子の木を見ると、聖書の舞台みたいでちょっぴり嬉しくなります。 なつめ椰子といえば、イエス様がエルサレムに入る時に「ダビデの子にホサナ」と人々が手にし、道に敷いて喜んだのでした。 天の国でも主を賛美するため、同じように用いられているのですね。 枝を持った人々は、大声で叫びました。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」(10節) 私たちも、やがてその一人に加えられます。 祈り:神様、天の国の賛美に加えられる日を期待します。先に主のみもとにいる兄弟姉妹と共に、「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある」と宣言したいです。地上でも、同じようにできますように。アーメン

黙示録6

「子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。」黙示録6:9 キリストによって封印が一つずつ解かれます。 五つ目の封印が解かれ、ヨハネは殉教者たちの幻を見ます。 彼らは「いつまでですか」と主に問います。 すると、一人ひとりに白い衣が与えられ、殺される人の数が満ちるまで、もうしばらく休んでいるように言い渡されました(11節)。 なぜ神様は待たせるのでしょうか。それは、地の人々が悔い改めることを願って、です。 その間にも、殉教者一人ひとりに白い衣をくださいます。 神の愛とあわれみは、「よくやった。忠実なしもべよ」と「ひとりも滅びることを望まず」に表れています。 クリスマスは、神の愛を最も伝えやすい時期です。 その機会に期待します。 祈り:神様、、このクリスマス、出会いとあかしの機会を与えてください。あなたの愛とあわれみに触れ、福音を受け取る方が起こされますように。アーメン