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Ⅱヨハネ

「だれでも、『先を行って』キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。」Ⅱヨハネ9 目新しい教え、斬新な聖書解釈…。 目が開かれるように思うかもしれませんが、キリストがぼんやりしていたら要注意です。 聖書はキリストをあかししています。 いつもキリストにとどまることができますように。 祈り:神様、どんな時代になっても、福音のみことばは変わらないことを感謝します。私の生涯を通して、キリストのうちにとどまることができますように。アーメン

Ⅰヨハネ5

「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。この方は、水と血によって来られた方、イエス・キリストです。水によるだけではなく、水と血によって来られました。御霊はこのことを証しする方です。御霊は真理だからです。」Ⅰヨハネ5:5-6 「世に勝つ」とは何でしょう。 張り合って、成果を比べるのとは違います。それは世の基準だからです。 「世に勝つ」とは、世とは次元の違う、世を超越したスケールの解決があることだと言えます。 永遠のいのち、真理、神ご自身であるイエス・キリスト、その方の霊である御霊…。 この世のものでないお方が開かれた、永遠の確証と平安を、信じる者は持っています。 祈り:神様、この世にはいますが、この世に勝たれた方に頼って生きています。永遠のいのちと、永遠に目を留めるよう教えてくださったことに感謝します。私の目を、もっと霊的な次元に開いてください。アーメン

Ⅰヨハネ4

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」Ⅰヨハネ4:20 昨日に続き、当時の私にとっては心がどきっとするみことばでした。 いくら口先で立派なことを言っていても、目の前の兄弟を愛せないなら、神の前には不真実だということです。 そして神ご自身が、まず私たちに愛を見せてくださいました。 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(9節) 祈り:神様、あなたの愛を感謝します。私も口先だけでなく、愛を実践する人となれますよう導いてください。アーメン

Ⅰヨハネ3

「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。 」Ⅰヨハネ3:15 今の働きに入るずっと昔のことです。 教会の中で、ある人が辛く当たって来られました。 良い友だと思っていたのにショックでした。 ショックは怒りに変わり、その人を憎む思いにさえなりました。 その時、雷のようにこのみことばが心に響きました。 打たれた、といった方が正確です。 自分が罪人だとひしひし感じました。 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(16節)」 愛を与えてくださったイエ様に感謝します。 祈り:神様、あなたの愛を感謝します。あなたが私の罪を赦してくださったので、私も同じように人をゆるす者にしてください。あわれみ深く、寛容な心を与えてください。アーメン

Ⅰヨハネ2

「世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。」Ⅰヨハネ2:17 子どもたち、父たち、若者たち…と、闇から離れてキリストの光の中を歩むようにと招かれています。 夕暮れか早いせいか、一日が短く感じられます。 クリスマスも少しずつ視野に入り、すべきことがいろいろと出てきます。 でも改めて見直すと、どこまでが神のみこころなのでしょうか。 あれもこれも、良いことに違いありません。 その中で、神が私に「してほしい」と望まれていることを選び取るために、日々のデボーションで祈りみことばを受け取ります。 祈り:神様、あなたが私に望まれることに焦点を合わせさせてください。自分の肉の欲ではなく、神の国の基準を教えてください。アーメン

Ⅰヨハネ1

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」Ⅰヨハネ1:9 続く10節には 「もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません」 とあります。 つまり、どんな人も罪を犯しており、否定することはできません。 自覚しなくても人を傷つけることがあります。 そもそも、罪の性質のうちに生まれているのです。 しかし、神の解決があります。 神の前に罪を告白するなら、神は赦しきよめてくださいます。 こんなに単純化で簡単な方法なのに、これで大丈夫たのです。 神様の愛と気前の良さに驚きと感謝を改めて感じます。 祈り:神様、素直な子どものような心で、あなたに罪を告白します。私の至らなさ、足りなさを赦してください。気づかずに人を傷つけたことを赦してください。アーメン

Ⅱペテロ3

「しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」Ⅱペテロ3:8 神様は、時間を超越された方です。 私たちが思うような分針、秒針ではなく、神の時である「カイロス」で働かれます。 あの早とちりでせっかちなペテロも、神に仕える中で徐々に変えられました。 そして、 「また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。愛する、私たちの兄弟パウロも、自分に与えられた知恵にしたがって、あなたがたに書き送ったとおりです (15節)」  と、パウロや他の使徒たちと共に、忍耐を与えられ、神のカイロスの時を待つ者とされました。 あなたは今日、何を待っていますか。神の時を期待し、信頼していますか。 祈り:神様、私は_______のことを待っています。「いつまでですか」といらいらする心に、神の時を待つ力と忍耐を与えてください。アーメン

Ⅱペテロ2

「主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。」Ⅱペテロ2:20 イエス・キリストと出会い、罪の赦しと永遠のいのちの約束を得たのに、再び罪深い暮らしに戻る人がいました。 ペテロはそうした人々に警告を発します。 ペテロ自身は、キリストが十字架にかけられる前、三度もキリストを知らないと言いました。 悔い改め、復活の主に赦された経験がありました。 「決してキリストから離れることなく」~彼のライフメッセージを、私たちも受け取ります。 祈り:神様、あなたの恵みと愛から離れないよう守ってください。誘惑や疑いの時には、みことばと聖霊により教えてください。アーメン