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黙示録8

「また私は見た。そして、一羽の鷲が中天を飛びながら、大声でこう言うのを聞いた。『わざわいだ、わざわいだ、わざわいが来る。地上に住む者たちに。三人の御使いが吹こうとしている残りのラッパの音によって。』」黙示録8:13 以前は、黙示録は怖いもの、暗いものというイメージがありました。 それで、この箇所を読むと、カラスが呪いの言葉を伝えるような想像を勝手にしていたのです。 しかし今は、黙示録にも神の愛と希望があふれているのがわかります。 「ワシ」が、空を飛びながら、注意報、警報を発令しているのです。 天気予報でも、注意報、警報は、人の安全と速やかな行動を願って出されます。 同じように、主の警告は、私たちが早く悔い改めて平安と永遠の救いを得るためのものです。 祈り:神様、あなたが愛をもって警告してくださることばに、耳を傾けることができますように。私の耳を、また人々の耳を開いてください。アーメン

黙示録7

「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。 」黙示録7:9 教会そばの交差点付近や、泉ヶ丘のそばでなつめ椰子の木を見ると、聖書の舞台みたいでちょっぴり嬉しくなります。 なつめ椰子といえば、イエス様がエルサレムに入る時に「ダビデの子にホサナ」と人々が手にし、道に敷いて喜んだのでした。 天の国でも主を賛美するため、同じように用いられているのですね。 枝を持った人々は、大声で叫びました。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」(10節) 私たちも、やがてその一人に加えられます。 祈り:神様、天の国の賛美に加えられる日を期待します。先に主のみもとにいる兄弟姉妹と共に、「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある」と宣言したいです。地上でも、同じようにできますように。アーメン

黙示録6

「子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。」黙示録6:9 キリストによって封印が一つずつ解かれます。 五つ目の封印が解かれ、ヨハネは殉教者たちの幻を見ます。 彼らは「いつまでですか」と主に問います。 すると、一人ひとりに白い衣が与えられ、殺される人の数が満ちるまで、もうしばらく休んでいるように言い渡されました(11節)。 なぜ神様は待たせるのでしょうか。それは、地の人々が悔い改めることを願って、です。 その間にも、殉教者一人ひとりに白い衣をくださいます。 神の愛とあわれみは、「よくやった。忠実なしもべよ」と「ひとりも滅びることを望まず」に表れています。 クリスマスは、神の愛を最も伝えやすい時期です。 その機会に期待します。 祈り:神様、、このクリスマス、出会いとあかしの機会を与えてください。あなたの愛とあわれみに触れ、福音を受け取る方が起こされますように。アーメン

黙示録5

「また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。『御座に着いておられる方と子羊に、 賛美と誉れと栄光と力が 世々限りなくあるように。』」黙示録5:13 やがて造られたものすべてが、このような賛美をささげると書かれています。 キリストを信じる私たちも、ともに賛美することでしょう。 素晴らしいですね。 しかも、その日を待たなくても、すでに私たちは今賛美する口、声を会わせて賛美する場所が与えられています。 イエス・キリストが生まれた時天使が賛美したように、私たちも今日、キリストのお生まれに感謝して賛美をささげることができます。 祈り:神様、イエス・キリストを地上に送ってくださり感謝します。毎週の礼拝は、ともに賛美をささげる天国の前体験であることを覚えて、恵みを味わい賛美します。アーメン

黙示録4

「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」黙示録4:11 天の国では、長老たちが主を礼拝していました。ひれ伏して、冠を御座の前に投げ出して、このように賛美しました。 私たちの地上の生涯が終わっても、それは天の国での始まりです。 私たちも長老に合わせて、主を礼拝するという期待と希望があります。 母の介護を通して、天への希望がある人生の素晴らしさと慰めを改めて覚えます。 祈り:神様、天の国での様子を黙示録を通して垣間見ることができ、感謝します。そこは素晴らしい恵みと豊かさに満ちています。地上で生かされている間も主の愛と守りがあり、天でも永遠のいのちの希望があることを、クリスマスの時期に多くの方が知ることができますように。アーメン

黙示録3

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録3:20 ある家を訪問して、「家の中が散らかっているのでちょっと待ってください」と、外で長い間待たされてたことがありますか。 思わず「そのままでいいですよ。それより、中に入れてくださるなら掃除を手伝いましょうか」と言いたくなったかもしれません。 イエス様が心の戸を「たたいている」とき、すぐに開けることができるでしょうか。 心の中を自分で片付けようとしても、うまくいきません。むしろイエス様に入ってもらい、片付けて頂くことが近道です。 どんなに散らかっていても、心の戸を開けて受け入れる人を、イエス様は喜んでくださいます。 「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。(19節)」 祈り:神様、混乱と不安な心に、イエス様が入ってくださって感謝します。イエス様が私の心を治めてください。アーメン

黙示録2

「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示録2:4 私たちは、ともすれば良いことはすぐに忘れ、不満や傷はずっと覚えています。 初めの愛…キリストを愛した愛、兄弟姉妹への愛、家族愛、夫婦愛…をどのくらい持ち続けているでしょうか。 イエス様は 「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい(5節)」 と言われます。 悔い改める柔らかい心を、主は喜ばれます。 何より、失敗してもやり直しができることに、愛と恵みを覚えます。 祈り:神様、私の心と態度を探ってください。批判的で疑い深いところを悔い改めます。初めの愛を思い出し、主の愛とあわれみを流し出す者となれますように。アーメン

黙示録1

「この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。『恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、』」黙示録1:17 ヨハネは信仰ゆえに迫害され、パトモス島に流されていました。 キリストはそんな彼に「恐れることはない」と声をかけ、見た幻を書いて諸教会に送るようにと言われました。 私たちは、目立たない者であっても、一線を退いても、弱くなっても、キリストから見放されることはありません。「恐れることはない」と声をかけ、主の働きに招いてくださいます。 祈り:神様、私の生涯が、どんな時も主に覚えられていることを感謝します。変わらない主と共に歩み、福音の恵みを味わい続けることができますように。アーメン